こんばんは、人都です。
今日の夕方は怖いほどにきれいな物でした。
ゲームでも文章でも衣装でも、美しいものは尊いと思うのと同時に自分の理解を超えることが怖くなります。
特にそれがありふれているのは自然という人が完全な有形で扱う事の出来ないそれで、時に暴力も振るうそれは現実の怪獣にも似ています。
私は自然が好きですが、自然派という程は思想は過激ではありません。
信じられないでしょうが、私はかなりアウトドア派です。
キャンプの経験数は並みの人より多いと思います、テントの設営や炭の扱い方、ヒルの倒し方も分かります。
今ではサブカルや密回避の観点から昔以上にキャンプが人気になった気がしていますが、私はそれとは少し別に少し小汚いぐらいなキャンプ場も好きでした。
インターネットはそこそこにスマートフォンなんてないぐらいの頃でその頃はまだキャンプは今ほどおしゃれなカルチャーではなかったような。
いや、そもそも布や空気を入れたマットレスこそ隔てても、そもそもやってることはガチ地面に寝ているのですからね。
私の虫への感情も恐らくこういった経験を重んじる親によって形成されたのでしょうね。
虫愛ずる…なんて風流なものではなく、私はひたすらに虫を嫌いもせずにただそんな小さなのに命があるのは面白い話だなと幼いころから思っています。
目を凝らすとそこらの地面にもどうしても小さな虫はどうやっても大量に蠢くという事はあって、それをずっと眺めてると不思議な気分になるんですね。
多分視界の中に命をカウントすればきっと100よりは多い、そんな小さい体に何があるのか知れないが確かに何らかの欲と目的で非常にランダムに稼働する、虫。
魚やカエルの解剖を理科の実験で行った時にひとつずつ命の役割を確認するような、まず訳が分からないほど小さな虫はそういったことが無い、多分一生虫のその心臓とか筋肉とかそういったものは目にしない、踏み潰すことはあるでしょうが。
ちいかわと思うかどうかは自由ですが、認識できない機構はやはりどうしても一瞬オカルトの類かと思えるほどに不思議です。
虫の魂は5分で、人の魂は21グラムで。
一つの肉体に与えられた自我は多くの場合に一つ限りでその規範だけはほとんどの生物が同じで。
もしかしたら複数本の脚や異常な色彩以外でも、虫に対して魂的な奇妙さを感じるのかもしれません、それが虫を苦手にさせる可能性。
おやすみなさい。