2021年7月19日月曜日

2021/7/19

 

こんばんは、人都です。
就活がひと段落していたのに、タスクが減っても悪い思考は増えていて今は檸檬堂で全てを搔き消したので一時的に気が楽になっています。
悩みを消すのには他に、ただ栓を抜いて男を助けるゲームや駐車場の出庫を手伝うぐらいの機能のみのゲームは効果的です。
最近は好きなコンテンツに続編が告知されまくっているせいで世界から延命をされているような気分になります。
就職活動が終わって、ちょうど都内の暑さは人を殺しかけるようになって、ようやく余暇が出来たのにどうにも外に積極的に出ていく気にはなりません。
でも朝は早く目が覚めてしまうし、課題やレポートはこなすけれども正直愉快さはなくって、今はその現状をどうしようかと悩んでいます。
今日は朝はパンを食べて昼はチンパスタ、夜は鶏肉を食べました。
後どうしても今の今の季節はアイスを食べてしまいます、家には備蓄アイスがあるのに出先でも買ってしまう、愚かなので。

最近はオッドタクシーというアニメにハマっています。
見た目だけなら子供向けのような動物たちの織りなす現代社会の群像劇です。
Amazonプライムで全話配信されてますから是非見てください。
見てくださいしか言えない、なぜかというとトリックやサスペンスの要素があるので好きなキャラの話もあんまりしないでおきたいなと思う稀有なジャンルなんですよ。
出来る限り言葉を絞るなら「芸人」「共犯者」「反社」のいずれかが趣向に混じる方は絵柄関係なく作業用BGMでも構わないので見て欲しいですね。
あとは関連楽曲も少ないながらに珠玉です。

前も話したような気がしますが、コンテンツというのは一番初めの一口が何よりも新鮮でおいしい。
謎やカタルシス、リアルタイムのドキドキが含まれるならそれは尚更で、謎というのはまとめサイトや他人の副流煙で何となく知ってしまえば事実及び情報でしかありませんが、個人的な考察や不明感を経ることでその気づきは体験へと変わります。
何より小説でも映像でも時に聴覚でも、自らの認識で誰の意識も通過せずに初めての情報を噛み砕くことに勝る快感は無いとすら私は思います。
ネタバレオーケーという人も確かにいますし、世の中には作品内の犬の生き死にで情緒を乱す方もいますから当然一概には括れませんけれど、その情報が例え荒削りのはっきりとしない物でもそれを初めて噛み砕く触感は一つとして再現が出来ない。
はじめてこんにゃくゼリーを食べた記憶も、梅干を食べた衝撃も、パクチーを知った絶望も意外と思い出すのは難しいものですが、コンテンツを初めて噛み砕くときいうのは、それはなんとなく新たな味覚との出会いに似ています。

そりゃあ私も食わず嫌いはします。
どうしてもスケベを前提とした恋愛ものは苦手だし、異世界や日本史はちょっと躊躇するし、あんまりしんどいとかクソデカとか言われると言葉の大きさに警戒して距離を取ります。
でもどんなアマプラの駄悪な映画でも、Huluの邦キチも語らないような作品でも、その情報を噛み砕くという経験自体はどんな名作も迷作もそれぞれに替えが効かない物でその瞬間は無駄にしても経験という意味では生きている限り無駄は無いんですよね、たまにほんとうにAVみたいなのを見てしまいげんなりしますけど。
外が人を殺すほど暑い夏の最後の夏季休暇なので、また少しずつ私も知らない映画を見進めようと思っています。
だけれどサブスクのサービスにはあまりにも一生では足りない作品が並んでいて、それもまた玉石混合でしょうから何かおすすめでもあったら教えてください。
学校じゃ知れない身の程を教えてくれる作品が、私は好きです。


それじゃあ、おやすみなさい。

2021年7月15日木曜日

2021/7/15

 

こんばんは、人都です。
就活が終わってからの更新はこれが初めてになりますね。
最近は私は予定が無くても長く眠る事が出来なくて、壊れかけのけたたましい目覚まし時計よりも高い精度で目を覚まします。
これは面白い話なのですが、予定にぎちぎちと詰まっていたものを払いのけてしまうと逆にソシャゲってしなくなるんですよね。

私は来年の4月からは社会人になります。
専攻分野の関係で年間の自殺数と労災の降りた人間、退職者数の相関を見て絶望しながらレポートを書いていたりはしましたが、一応社会人になれます。
長袖のリクルートスーツを着て新宿や高田馬場をハイヒール大爆走する生活とはおさらばです。
内定のメールが来た時、ちょうどその日もオンラインの説明会の準備中でしたが受け取るなりガッツポーズで身内に報告しに行ったら、男性アーティストオーディション番組が佳境なので話を後にしてといわれたこと、しばらく忘れません。

基本私の身内はところどころの思想は強いものの、ほとんど全員が温厚にサブカル的です。
それでも観客を多く入れるコンクールに出まくるまぶしい妹とは姉であることを恥じるし、何となく家族の中でも劣等感は感じてはいます。
どれだけ自信のある分野があったとして、それを表に出さなければ実績も場数もなく履歴書の片隅に個性の一色としての効果しか持ちませんよね。
私にとってのものづくり趣味は全部それですから、インターネットでどれだけ暴れたところでリアルでTwitterの話なんてするわけにもいかず、ただ時間が虚無に消えているようなもので、でもそれ自体が私を救うのでやめられない。

そりゃあちょっとだけなら身バレしそうなニッチな分野の大きめな実績はありますが、ニッチゆえに対面でそれを説明するときは必ずルール説明から始めないといけない。
それに比べてスポーツは?サークルは?音楽は?明るい壇上の、誰にでもわかる実績がある程度表現しやすくて、そしてそのせいで今まで知らない世界からやってきたような同級生と並び立つグループディスカッションというものはとても残酷な比較でした。

私が今まで頑張ってきたことも、自分を売り込もうとするPRも、人生のルーツすらも全てが創作活動に帰結していて、協調性やリーダーシップや企画力といったことになんとか結び付けようとしたって、人事の人にとって採用にあたる費用対効果や将来性のわかりにくい人材は60分という縛りの中ではあまりにも理解に苦しむものだったでしょう。
分かりやすい、そういう意味で量産的な人間になれればよかったとは思いました。
それでも私の創作活動が遊び以上の熱を帯びていたことは確かで、いくら人事の人に「そちらの方向へは行かなかったのですか?」と聞かれても趣味ですと虚言で割り切りながら、自分の人生のルーツには脚色を施しませんでした。
美大に行けるほどのセンスや勇気はなく、インターネットで成り上がれるほど実力やブランディングはままならず、分かりやすい技術を武器に壇上に上がることが出来ないことを悔やみながらもできるだけ悟られないように、ふざけたやつが来てもいいと思われて露骨に面接が雑談ムードになったとしても、ものづくりは私の根幹にあると言い続けていました。
50社以上は落ちたと思いますが、それでも何とかはなりました。
ちなみにちょっとだけ弱音を吐いて助けを求めてしまった面接は落ちました、自助のレベリングはまだまだ必要みたいです。
感情のコストを費やさせてしまったのに申し訳ない。

私は創作に携われるようなクリエイターにはなれませんが、社会人になってからはある意味でニッチな物を作る仕事に就く予定です。
出来るだけ死なないように生きていきましょう、私もそれになります。
そしていつかは志望動機に嘘をつかないように誰かの価値を創出しましょう、私この言葉何回打ったんでしょうね。

おやすみなさい。

2021年7月7日水曜日

2021/7/7

 

こんばんは、人都です。
ブログ更新は久々ですね。
忙しすぎて最近は文字打ちはゼミの資料作成と選考用の資料書きで、いくら文字を打つのが好きでもスタミナ的に無理な日が続いたためです。
ウマ娘もう一切開かなくなってしまいましたね。

最近、弱音を吐くこと自体が苦手になってきました。
人の弱みを何となく握って曖昧に笑うインターネットが嫌で、できるだけ頑張って明るく生きている内に上手に気持ちを表せなくなってきました。
無感情というわけではありません、私はオタクなのでコンテンツが進展すれば嬉しいし、クリエイターが悲しそうだと私も悲しいです。
ただ、私の場合はそれらの対外的なものによって引き起こされる感情があまりにもすべてになりすぎて、私から染み出すインクみたいな黒いものは上手に記述がままならないのですね。

しかしながら、面倒なことに人は出力しなくても勝手に感情や痛みを持ちます。

言わなければ気づかれないし、誰も不幸になんてさせないし、疎まれることもないけれど毎日訳が分からないぐらい全身が痛くなったり腰が限界になったり夢と現実が曖昧な幻覚が見えたりしています。

最近こんな状況で思うことは本当に全ての人類に平等なのは、死ではなくて痛みなのではないかという事です。
そもそも死が平等であったとしてもその前には人それぞれの痛みがあるはずなのですが、インターネット的にはゼロイチの生命の有無しか見ないので歪だとは思うのですよね。
痛みって何より苦しいですから。
神経が過敏に引き起こす、筋肉が異常な動作をして体の中身が歪んで軋む。
それは肉体がある限りほとんどの存在にとっては平等で、誰一人として逃げようがなく、誰でも痛いものは痛い。

感情を増幅するガスがあったとして、それが新宿や神田に撒かれたらもしかして叫ばれる言葉は苦しみや憎しみ以上に体の痛みになるのではないのかと思うのですよ。
就活中もストッキングとヒールの下に訳が分からないレベルの手負いを複数個所しましたが、恐る恐る身内に相談してもみんな通る道なのと笑われて、そんなものかと感じながら化膿止めを塗りこみました。
みんながみんな痛みを訴えずに、どんなに傷を負っても健康ですって平気な顔をして生きていて、それが社会の普通でむしろ痛みを叫ぶことは子供のすることとみなされて。
でも確かに私はインターネットで体の痛みを訴えてフォロワーに辛かったねと囲われる女が心底嫌いで、でも私も痛いものは痛くて、自分の理念からしてもそんなことは言えないから何か鎮痛の話題とコンテンツを漁って。
何となくいった深夜病院では症状が軽すぎると気休めの市販製品をもらっただけで、もう病院なんかにはかかるものかと思ってもいます。
生きてるって本当に痛いことばかりで、嫌になっちゃいますね?

おやすみなさい。

2022/2/6

  こんばんは、人都です。 お久しぶりの更新ですが、またあまり快いことを書かないことを許してください。 本当にこの場所が肥溜めのようになっていることを案じてこそいますけれど、本来は絵よりも文のほうが気楽な私には重い悩みは絵にぶつけるよりも書き出す方が安眠剤になるのです。 私の親が...