2021年6月21日月曜日

2021/6/21

 

こんばんは、人都です。
今日の夕方は怖いほどにきれいな物でした。
ゲームでも文章でも衣装でも、美しいものは尊いと思うのと同時に自分の理解を超えることが怖くなります。
特にそれがありふれているのは自然という人が完全な有形で扱う事の出来ないそれで、時に暴力も振るうそれは現実の怪獣にも似ています。
私は自然が好きですが、自然派という程は思想は過激ではありません。

信じられないでしょうが、私はかなりアウトドア派です。
キャンプの経験数は並みの人より多いと思います、テントの設営や炭の扱い方、ヒルの倒し方も分かります。
今ではサブカルや密回避の観点から昔以上にキャンプが人気になった気がしていますが、私はそれとは少し別に少し小汚いぐらいなキャンプ場も好きでした。
インターネットはそこそこにスマートフォンなんてないぐらいの頃でその頃はまだキャンプは今ほどおしゃれなカルチャーではなかったような。
いや、そもそも布や空気を入れたマットレスこそ隔てても、そもそもやってることはガチ地面に寝ているのですからね。

私の虫への感情も恐らくこういった経験を重んじる親によって形成されたのでしょうね。
虫愛ずる…なんて風流なものではなく、私はひたすらに虫を嫌いもせずにただそんな小さなのに命があるのは面白い話だなと幼いころから思っています。
目を凝らすとそこらの地面にもどうしても小さな虫はどうやっても大量に蠢くという事はあって、それをずっと眺めてると不思議な気分になるんですね。
多分視界の中に命をカウントすればきっと100よりは多い、そんな小さい体に何があるのか知れないが確かに何らかの欲と目的で非常にランダムに稼働する、虫。
魚やカエルの解剖を理科の実験で行った時にひとつずつ命の役割を確認するような、まず訳が分からないほど小さな虫はそういったことが無い、多分一生虫のその心臓とか筋肉とかそういったものは目にしない、踏み潰すことはあるでしょうが。
ちいかわと思うかどうかは自由ですが、認識できない機構はやはりどうしても一瞬オカルトの類かと思えるほどに不思議です。

虫の魂は5分で、人の魂は21グラムで。
一つの肉体に与えられた自我は多くの場合に一つ限りでその規範だけはほとんどの生物が同じで。
もしかしたら複数本の脚や異常な色彩以外でも、虫に対して魂的な奇妙さを感じるのかもしれません、それが虫を苦手にさせる可能性。

おやすみなさい。

2021年6月20日日曜日

2021/6/20

 

こんばんは、人都です。
ブログの更新の時間、取れな過ぎる。
といってもやってることは説明会、書類整理、日程調整だけなもんで本当に単調でその割に心労が多いです。
気が付けば毎日夜になって、タスクを終えた安心感とびっくりするほど過ぎていく時間が速くって驚いてしまう。
もう今は夏でした。
気が付けばバイトの検便期限と給料日とサブスクの引き落としや月一更新のマンガが繰り返されて、もうずっと3月からそんな調子で。
人生ってこうやって食いつぶしていくんでしょうか。
収集ゲームの周回をずっと繰り返すみたいに?
そうだとしたら、ひどくつまらないですね。

隣の芝生はいつでも青く、同時に隣のワロタはなによりもワロタです。
世界はいつでも鮮やかに面白くて誰もが自分から駆け出して人生をどんどん面白くしている。
インターネット絶対見ちゃいけないのに、時間が無いうえに親しい人と会えないと居場所なんて液晶の中以外なにも楽しいことなんてないですよ。

こんな感じでここ最近は愚痴っぽいことしか書けないから、上手くブログを更新できないんですね。
就活しんどいです、でも多分世間自体がしんどいです。
義務教育でまともに美術の授業受けてなかった!みたいな絵ばかり描いていて。
目先の楽しみはまどか、VRCas、推しの新作、推しショップの新作、あとは個人的な創作活動。
生きることは楽しいですが、一年後に就職してる姿が見えず、想定も出来ず精神がまいりそうなのを創作へのエネルギーに変えてなんとかまだ弱音ばかりにならずに生きれてる。
この訳の分からない創作を自分の仕事にできればいいですが、今やっているのはこんなことは何の役にも立たない職務で、なぜなら私は美術大学を通過した同い年の奴と戦うのが負けるにしても嫌すぎるので、クリエイティブからは逃げている。
よく考えると逃げているばかりの人生と行動原理で、確か衝動を創作欲にするのは専門用語では帰化といったような。
少年漫画なら自分と向き合って壁を乗り越えるのに、その壁から逃げ続けてばかりの人生でそのせいで人間性もコミュニケーションも粗削り。
同い年の子に比べると全く秀でず、どうしようもない。
人事、俺じゃやっぱりダメか?

おやすみなさい。

2021年6月19日土曜日

2021/6/19

 

こんにちは、人都です。

ウマ娘はパソコン版をしているのですが、一切起動する時間を持てなくなってきました。
しばらくブログを書けなかったのは、書く書類や課題が多すぎてスタミナ切れを起こしていた為です。
朝は早いし、対面も増えたし、夜は書類作ってたら終わる。

そのくせVRoid関連アイテムは謎の連続リリースをキメました。
マジなのですが、ここ最近の人生で一番追い詰められてるのに同スピードで狂ったようにテクスチャを縫っています。

どうしてこんなにVRoidに病的に打ち込めるのか。
いや…分かりません、でも多分その内飽きるときの熱の持ち方なので今しか作れません。
うわあああ。
おやすみなさい。

2021年6月13日日曜日

2021/6/13

 

こんばんは、人都です。
就活では業界は絞っているので、似たような名前の企業を毎日書き分けては話を聞いています。
あとはアルバイトもしないと干されるので調査と調理の二足の草鞋。

こんな生活をしているのでまあ労働で運動不足は何とかなるにしても疲れ目と腰痛はえげつない。
もう寝ます、更新だけした。
内容が無いからTwitterにも共有しません。
時間配分が狂った。

おやすみ。

2021年6月12日土曜日

2021/6/12

 

こんにちは、人都です。

今日のニュースでAIと融合した科学者の話が流れてきました。
いよいよ星新一のような話で、中身を読んでみると体が一切動かないままに操作権を失った意識だけが体に取り残された科学者が自らに適切な機械化処置を施し、声や表情のようなデータをありったけ保存してコミュニケーションや生きる術を模索し病気の進行に抗おうとするという経緯で。
本当にSFのような話です、人類で誰もしてこなかった実験を自らそんなに希望を讃えて進化だなんて形容するのですから。
私は別に天才だとか成功者とかではないから彼の思考回路などちいともわからないでしょうが、単純にロマンを超えて怖いのだけれど、生きながら死ぬか一八の実験資材になるかなら後者を選ぶようなものなのか。
この人はフィクションではないのでこの地球の中で実際に存在して、本気でそういう人がいるというのはなんだか奇妙な気分です。

たまに思うことがあります、「創作物という中で語られるバーチャルや異世界は、本当にその規定世界と何の違いがあるというのか」と。
世間には異世界転生物が流行りますし、バーチャルという言葉が就活してるときのAIぐらいのペースで便利に使われて、デスゲームすら作中のデータ上の物語になる時代です。
だけれども、閲覧者さんにそういうものを好む人がいたら申し訳ないですが、そういう設定の時に私はまず「で?」という気持ちになってしまう。
作品は全て私たちにとってフィクションで、ノンフィクションすら他人事のフィクションに思える世界で、物語に没入しながらもどこかでしっかり「こことは違う世界の存在しない話」という事を理解できている。
だからこそ作中でその通常の世界と違う世界が出されたときにどう適応していいかわからないのですね、いわゆるその規定現実と平行な裏世界とか魔界とかいわれると理解できるけど冒頭で突然死なれたり終盤で突然データでしたとか言われると、理解より先に引っかかるものがある。

現実でのインターネットやメタバースそしてバーチャルというのは、良くも悪くも現実があってこそのコントラストで成り立つ世界です。
現実で辛かったからこそもう一つの世界に惹きつけられたり、出会うはずのなかった電波のいたずらでリアルの友人が一人増えていたりする、VRCにほぼフルダイブ偏在している猛者がいることも知ってはいますがそれはちょっと私たちの見ている世界とはまた違うような気がする。
バーチャルのおかげで現実の大切さに気付き、現実のおかげでバーチャルの尊さに気づくのは矛盾していない相互作用です。
肉に魂と自尊心を湛えたリアル実名匿名希望存在私がキーボードを叩くことで、バーチャル…存在しない人格存在として「人都トト」は存在します。
さてフィクションでの「架空世界」にこれほどの厚みを持たせることは果たして可能なのか。
もしそういうSFや小説を知っていたらぜひ私に教えてください。
どんな未来的世界観にも都合の良い、法も憲法も実は肉体的な命すら存在しない世界ではない、創作上の架空はクリーンなようで欲望ネオンと自尊心アルコールに満ちたこの私たちの言葉により編まれる地獄みたいな情報の世界が現実と絡み合ってこそ、メタバースは生まれ得ると思っています。

ぶっちゃけ聞きますけどカタルシスとクソデカ人間関係渦巻くデスゲームの最後にぜーんぶデータだったって言われるの、嫌ですよね?そういう使い方、好きじゃないです。
この世は肉と液体と憎怨と問題が渦巻くからこそ、無鉄砲野郎が輝いて私を恐怖に陥れてくれます。
フィクションさえも現実から逃げ始めたら、困っちゃいますね!
創作物に逃げ場なんて作らせないでください、あらゆる終わりの苦しみをその生身の世界で受け取ってそれを死にきれないままに考え行動し続ける続ける、そういう物語が好きです。
もっと言うとそれが妻子を殺された中年男性なら尚のこと私が好きです。

おやすみなさい。

2021年6月10日木曜日

2021/6/10

 

こんばんは、人都です。
なるべく二日以上ブログの更新を空けたくないので無理やり更新しますがあんまり元気はない。
ウマ娘のイベントは一切触らないまま期間が終わってしまった。
今日は卒論のことをしていました、来週の観察実習の準備も。
一日があり得ないほど早く過ぎていて気付いたら次の給料日がやってくる。
朝はパン、昼は麺に夜は鶏肉でチーズ巻いたのを食べました。
あ、マギレコ二期らしいですね、嬉しいです。

ここ最近は嫌になるほど天気が良く、そうすると出歩いただけで下手すると肌がぐちゃぐちゃになる、そういう体質です。
だから今の時期は就活的にはつらい、長袖のスーツで脳が狂いそうになる肌の暴れに耐えてずっと歩いていて面接のときはもう何も覚えていない。
夜に寝て朝に起きれば肌はいつも通りずたずたで、こんなにも意識のある時に制御しようとしているのに寝てしまって理性を失う自分が嫌いでたまらない、起きれば痛いわけですからね。
三食に大量のクソ苦いバカ高い薬を飲んで、酒からカフェインから全部ストップでコーヒーをカフェインレスとかいう虚無に買い直して、この季節になると破壊爆弾になる体質のせいでふらふらと散歩も出来ない、この際の送迎はどちらかと言えば運送だ。
もしかしたら私は吸血鬼なのかもしれませんね。
血を吸うのではなく、起きるたびに血を流してますけど…あはは…。
太陽のように育てと名前を付けられ育てられたのになんて皮肉な。
外に出るのは嫌いじゃなくてむしろ好きなのに、すべてに過剰な反応を示すから体が反動でめちゃくちゃになる。
肉体のせいで精神まで蝕まれてはたまったものではない!でも笑い飛ばせるほど軽い症状ではない。

少なくとも自分の肌を傷つけるのは夜の自分なわけですから最終的には自業自得で嫌になってしまうし、肌のどこを切り取っても痣だらけ傷だらけなので公衆の面前で胸を張って歩ける肉体ではない。
なら外見ではなく中身で勝負とはいってもできることと言えば先人の後追いか無難に便利をする枠でこれと言って優秀なわけでもない。

自分が肉体的に病んでいなければという話は無です、本気で嫌だけど生まれたときからずっと残念ながらこの状態だったしもっと幼くて衝動の管理が下手な時はもうすべてを爪で破壊しましたからそのせいで耳たぶの形も変形したぐらい、もしもが考えられないほど傷だらけでそれが無かったらと望むことは母へのひどい冒涜で。
黙っていれば誰にも知られることはなく、24時間テレビのネタになるほどドラマティックではなく、どちらかと言えば自分が悪い最悪の病です。
ブログでこのことを話すのは、身内にも明かせずこの季節に苦しんでいることへの独白とか告白とかそういった物だと思ってください、そういう最悪な体質があります、概念としての夏は好きなのに。

もっとまともな文章が書けるよう精神を回復させて、身体の皮膚を取らないように自分に祈っておきます。
信じてほしいですが精神的に病んでなんかいません、ただ肉体が辛すぎてそれにどうにか耐えようとしています。
弱音を吐いて同情を集めるのは大嫌いな人間の手口です、だから同情なんてしないで、私はこの体質の話をしたかっただけだ。
おやすみなさい。

2021年6月8日火曜日

2021/6/8

 

こんばんは、人都です。
最近毎日InstagramとTwitterでフルコーデを作って投稿しているのですが、ぶっちゃけこれしてるとマジでブログまともに書けませんね。
今日も説明会を3つ受けてたので、周回機能のあるソシャゲしかしていません。

今日Twitterにはメガネかけている女子中学生botという概念が現れましたが、実際恥だと思っている過去が多くの人にとってトラウマにも似た最悪でそしてそれらはブラックジョークに昇華できるというあまり知りたくなかった知見を得ました。
それはまるでコウノスケが投稿して取り消した腐女子の闇スタンプのように歪なサブカルの女をあぶりだしている。
Twitterにいる奴なんてどこかで誰かに笑われてきたような奴らばかりなのにやはり誰かを笑うことでコンテンツにすることを楽しいと思うんでしょう。

ニュースサイトで見た文章を思い返せば、今アニメや漫画のようなカルチャーは非常に一般化していて作品を倍速で見てでも履修を取り、自ずからオタクになろうとする人が絶えないらしい。
オタクは社会に迫害されたくないからすべてを隠して一般人になろうとするのに、一般人はどうしてかオタクになりたいらしい。

そもそもオタクという言葉がどこから来ているのかと言えば、コミュニケーションが弱い萌ブタの人種が他人に声をかけるときに上手く会話を切り出せないせいで「お宅は…」と語りだすから、それを揶揄して「オタク」と呼ばれるようになったのではないのか。
そういう文章を読んだ記憶がありますから、強い一説ではあったはずです。
なのに今ではインターネットエンジェルたちが生放送で「オタクくーん」という始末、もう切り出すとかそういう問題ではないし大抵のオーディエンスはそういう風に言われて盛り上がっている。
サブカルコミュ弱差別対象のことをオタクと呼んでいたはずなのにいつの間に世間はオタクになりたがるようになったんでしょうか。

オタクが世界でどれだけポピュラーカルチャーになっても、クラスの端っこには誰にもわかってもらえない物を抱えて上手に生きられない本物は存在し続けるでしょう、私がそうでしたから。
オタクは差別用語でもあるけれど、「あの子はオタクだから」という消極的免罪符としても機能していたのにそれすらもダンス部のパリピに奪われるならいよいよあの頃の私たちにはインターネットの徒党すら許されず、ただデカくてブサくてキモい奴として扱われ続けるほかに無くなるのでしょうか。

それでも社会性もいじめも全てを取り払っても盲目にコンテンツに狂えた時の眼鏡の学生は幸せでした、どうぞお笑いなさい、あなたのようにまっとうに生きてきませんでしたから。
私の青春はどれだけ隠してももう変えられずに、笑いものです。

おやすみなさい。

2021年6月7日月曜日

2021/6/7

 

こんばんは、人都です。

毎日「ああどうせまた縁が無いと言われる」と思いながら、敬語で生活して鬱屈は全部VRoidで創作して発散しています。
あとは毎日ミラクルニキの周回を回して、別に飽きたわけではないですがゲーム的に拘束時間が長いウマ娘はログインすらできない。
通信料はほとんどSpotifyが奪います。
悪い思考を押し流したり考えなかったことにするためには、音楽が無ければ気が狂ってしまうので。
都内は訪れるたびに本当に全ての景色とフレームが美しいなと思います。
朝も夜も昼も、絶望的な気分で歩いていても街は本当に素晴らしい世界の形をしている。

別に私は写真趣味を名乗れるほどは、その分野に関して造詣は深くありません。
昔一度写真の知識に明るい叔母から一眼レフについて聞いたことはあったはずなのですが、特にハマりはしなくって。
でもただ写真を撮るということ自体が好きで、修学旅行とかに行った時には全く自分や友人の思い出は残さずに景色と食べたもの、そしてなぜか完食した後の皿などを電子フィルムに残していました。
多分ですね、私は写真に対して自分の記憶というよりも一過性のいずれ無くなるものを留めておくという趣味が元々あってそこからやってきている。
またここを深堀すると忘却とアイデアで形作られる自分の価値観の話をしないといけなくなりますね、読者も多分傷食してるでしょう。

話を変えましょう、Instagramが流行してからというものの物を食べる前に撮影するという一種の文化が発生しましたが、私はこれを非常に好いています。
そりゃあ食べ物は熱々出来立てが一番おいしいのでしょうし、作ったものは一心不乱に食べてほしいというのはまっとうな思考です。
だけれども、小学生的問答ではあるけれども、食べたものは無くなってしまう。
この世から完全に「料理」という形状を失って咀嚼されて排便までに体内を巡って、食べ物としての機能はそれで終わる。
私にとって数日で死ぬ蜻蛉よりも、食べ物というものは非常に儚くて、その癖大量に養分として作られてどんなに趣向を凝らしても、配膳を凝っても全ては胃の中でドロドロになる運命を避けられない。

食べ物を撮るというのはそれ自体が常に遺影です。
この世にあったラーメン、もう無いバーガー、失われて撮影者の体内に失われたスイーツの存在を証明する唯一の証。
一応厨房で働いている身だから言うけれど、安全性やクオリティに気を配っていても一つ一つの商品にまず思い入れなんてかけないし、仕事の前ではそれらはタスクの中の一つでそれらの末など知る由もない、どうせ失われるものを作る、満足を作る仕事。
ほおっておいても腐敗していき、レジンに閉じ込めてもズタズタになる食べ物は本当に儚いものです。
Instagramに上がる全ての食物は既にこの世に存在しないのに、インターネットという場所で遺影としていいねを集め続けて承認の糧になる。
写真にはそういう時代錯誤以外の意味で、魂や存在を閉じ込める効果、この世にいたことを文章以上に強く留める効果があると思っていてだからこそ写真を撮るという行動というか、概念が好きです。
写真があれば遠い数日前の食事の内容もはっきりと思い出せる、スクリーンショットがあれば数年前にチャンネルごと消えたVtuberの名前も思い出せる。
覚えていたことすらも忘れてしまうより、ずっと良い。

おやすみなさい。

2021年6月5日土曜日

2021/6/5

 

こんばんは、人都です。
マギレコはまた社会の闇を書いています。
今日はバイトと説明会の日でした。
いや、ここのところ説明会を見ない日もないんですけれど。
朝はパンで昼はチャーハン、夜は煮込みを食べました。

ところで、非常に個人的な話をします。
自分のご機嫌を自分で取ろうなんて言うけれど、それは少しでも匙加減を誤れば傲慢になりかけるのでとても難しい話ですよね。
Twitterの人民はやけに自分を大好きでいよう!みたいな主張がまかり通りますが、私は実はそういう考え方ははあまり好きではないのです。

この世で一番大切な者は当然自分でしょう。
心の一番に他人を持ってくるというのは、尊いようで非常に危うい。
どれだけ素晴らしい憧れや好意がそこにあろうと人というものは自分以上にコントロールが出来ず、そして時に予測の外を超えどれだけの祈りをもってしても一瞬で絶望に変わり得る。
だからこそ人に頼らずに、自分を自分で愛し厳しい世界を生きようという言説が流行る。

ただし本当にそれが感染しすぎれば世界はきっとナルシズムで破綻する。
こんなことを言うのもおかしな話ですが、自分をやけに賛するのに他人に感情や愛を求めるのもが私はとても苦手です。
自分に自信があるのなら一人でだって生きていけるはずなのに、どうして自分の正しさを他人にも同意を求めようとするのか。
人の評価は通知のうるささやフォロワー数で計れないのに、リプライ欄にはヒエラルキーに似た何かが存在している。
インターネットで還元もしないくせに感情や愛を搾取する人が苦手。
自分に自信がありすぎて、他人も自分を好きだろうと決めつけてはインターネットで踊る者たち。

だけれど、私は出来るだけ自分をギャグ以外で賛美せず奢らないようにと心がけていても、ついうっかりと人からの感情や愛を消費しているのではと考えて頭を抱えています。
先日、通知欄に私がもう一人の誰かであった頃に見知ったフォロワー外の方から反応をもらいました。
私の隣に灯止とうとがいたときに、彼女を実に好んでくれていた方で口には出さないけれど名前だって憶えていました。
私はよく考えた結果ではあったものの、彼女にさよならも言わせずに元栓からすべてをこの世から消してしまって、その癖今は個人的にアバター文化にハマっているのですから正直な話糾弾されても文句は言えません。
なのに生まれてきてありがとうだなんて、お疲れ様なんて言わせてしまっていて。
感情の搾取を嫌っているはずなのに、こんな言葉を好意を向けられていた相手から出させてしまった私のなんてどうしようもないことか。
私は甘えてしまっていた、好意への還元も言葉もしないまま逃げたのは私もおんなじだ。
好きでいてくれてありがとう、消してしまって、心からごめんなさい。

ほんとにごめんなさい、そしておやすみなさい。

2021年6月4日金曜日

2021/6/4


 

こんばんは!人都です!
今さっきまでメチャクチャな文字数でクソ真面目にマヂカルラブリーについて語っていたのに投稿ボタンを押したら全て吹き飛びました!カス!
でもブログが2日空くのは嫌なので10分で最近のVRoid自撮りを載せます!
めっちゃ文章書いてたんですよ…。

今日のコーデ。テーマはクソガキ蟹。

忙しかった日のコーデ。割と現実に寄っている。
最強の冬ガール。彼氏途切れたことなさそう。

お嬢様なコーデ。ワンピースに一目惚れした。

ちょっとサブカルっぽいコーデ。こんな感じでフェスとか行けたらな。

綺麗めなオフィスカジュアルみたいな。スタバでコーヒー買うときっぽい。
さわやかな夏ガール。サンダルの赤がいい効果してる。

古着の町には柄シャツの女が多く住むって本当?ダウナーになりきれないもんでね。
少年すぎる雰囲気をサンダルで中和。このトップスが好き。
昨日このコーデのせいでブログの更新を忘れました。ここ最近で一番好き。

今日はこのあたりで。
マジで悔しいな…マヂラブ語りはまだ別日に回します、オートセーブ機能すら働かなかったの今までこんなことなかったんだけど。
超の付く不完全燃焼です。
おやすみなさい…。

2021年6月2日水曜日

2021/6/2

 

こんばんは、人都です。

どれだけ心の調子が悪くても、このブログは肉体の出来る限り更新しています。
肉体がダメな時というのは、後先考えずに絵を描いた結果夜を終わらせた事例や精神でそのままベットに倒れているときのことを指します。
しかし基本的にはどれだけ荒くしても肌以外は悪くならない体質なので、限界に至ることはそんなに多くはありません、すべてのダメージがアザと傷口と腰痛になる以外はあなたが思うより健康なんですよ。
だけれども、コロナウイルスは確実に恐れてもう一年以上の時が経っています。
日頃病気にならなくても、致死性も後遺症も恐ろしい可能性がある事が恐ろしい。
恐ろしい、恐ろしいけれど、本当に怖がっているのはもっと社会的な意図にあるような気もしてしまう。

もしも自分がコロナウイルスに感染したら。
まず学校やバイト先、前の二週間の間に関わった社会的関わりの全てには連絡を入れるべきでしょう、家族からは当然隔離で恐らくPCRの検査が彼らにも必要とされる。
嫌すぎる、どうやって話を切り出せばいい。
笑えるような話じゃないし、憐れまれるのは嫌いだし、多分何らかの形で受けるものは損害と費用で。
それは確かに医学的根拠だとしても全てから隔絶され、周囲の就活状況や卒論の進捗も時も止まらずにすべてが進んでいき、そこから取り残されていったいいつになれば本調子に戻れるか。
しょぼい理由に思えるかもしれませんが、私からすれば死活問題です。

私は今社会的でも交友でもどうせダメなんだろうなって思う志望先の人でも、関わり合える人なんて本当に限られています。
それらからも隔離されて、インターネットでうるさい癖にたぶん私はそれには耐えられずただ焦燥感でだんだんと頭が狂って、自分の全ての因果を恨むしかなくなって。
私を嫌わないでくれ!
いや別に私が嫌われているわけではなく、コロナは陰謀論者以外の全てには脅威なだけ。
罪を憎んで人を憎まず、病を憎んで君を憐れむ。
この全ては妄想のフィクションだけれども、実際に私が都内でちょっと遊びたいと思った時に流れる走馬灯はそんな世にも奇妙な現実でそれを防げるなら私はもう何もしたくなどない。
コロナウイルスはすべての好奇心を、社会的な絶望の名の下にそれでもやる気かと脅しをかけては食らう病魔なんだと思います。
君の不定形な感情の為に、もしも身内を殺すならいっそ何もしないで生きていよう?
それはそういって全ての文化とあてどない喜びを、友達と安いラーメンを食べて漫才を見る程度の不要で不急なそれでも尊かったあの時間の可能性を全て壊してくれましたね。

それはもちろんコロナ禍の中で生まれたカルチャーも人気の出た世界もあるだろうけど、人に頼まれれば断れず脅されればなんでもしてきた人間は、交友関係を人質に取られたらもう何もできない、そんな勇気は私には無い。
去年開催されなかったきっかけとともだちと笑えたはずの街並みも全てはもはや脅迫の中。
それでも大切な人と無駄を楽しみますか、その上で大切な人に疎まれますか、最悪殺しますか。
ブルーインパルスが医療機関の空を飛んでしばらくが経つのに、社会は結局選考の中で私を要らないというのに、私は社会に嫌われたくなくてすべてのきっかけを失ってでも秩序の中で心を縫い合わせてまだ座り込まないように笑っています。
コロナウイルスの病魔は肺よりも勇気を蝕むのかもしれません、比喩的な意味で。
それでもまだ距離を取りましょう、この戦いはいつか本当に終わってくれますよね?
私から無駄を奪わないで。

おやすみなさい。


2021年6月1日火曜日

2021/6/1

 

こんばんは、人都です。
アークナイツやシノアリスのようなキャラデザや世界観はいいのにゲームテイストが肌に合わず、それにしては容量を食うゲームを消すかどうかとても迷っています。
スマホゲームって割と栄枯盛衰ですが、それには人の持てるストレージは無限ではないという事も深くかかわっていそうだなと勝手に思っています。
月は変わりましたが、変わらず毎日書類と資格勉強と説明会に追われています。

これはずっと思っている話なのですが、「怪談レストラン」って後番組の「たけしの家庭の医学」という番組で潰されすぎたアニメでしたよね。
怪談のオムニバスを一つの世界観の中でアニメ化する割と貴重な番組だったのに、大人向けの健康番組に食らわれてたとはなんというか、皮肉。
正直あの番組は少しクリーンな雰囲気になる前の「本当は怖い家庭の医学」のセットは怖すぎた記憶があるし、むしろジャンル的にはほぼホラーだったような。

怪談レストランみたいなホラーテイストの子供向けアニメって、どうしてあんまり企画されることが無いのでしょうね。
どうせyoutubeに転載された検索すれば見つかって見ずに顔をしかめるようなものはびっくりするほど再生数がカウントされ、子供向けのマンガ型動画コンテンツでも生活の中の啓蒙的な恐怖って割と人気のテーマな気がしますが。
やっぱり親の立場からすると妙なトラウマとか、生死観の歪みとかを恐れて隔離したくなるようなものなのですかね?

まあそんな隔離をしようとも、意外にも児童書という奴はファンタジー程どうしようもない主人公の児童に背負わせるべきではない過酷なストーリーになったり、アニメイトの官能小説新刊一覧にマーカーラインを引くガキはいるのですから、インターネットがあればそんなものはほぼ非力でしょう。
インターネットには何でもあるし、検索規制もだいたいパターン覚えれば突破方法は見つかるし、隠されたものほどカリギュラな世界で子供は何もしなくても痛い目を見に行きます。
検索するなって言葉を検索してブラクラで泣いて、フェイクウイルスやアンサイクロペディアのギミックにガチ泣きして、興味本位でニコニコ呪いの動画を見て夜寝れなくなる。
ああでも、今はflashが機能していないので検索してはいけない言葉が既に動作していない例も多そうですね。
その枠がSCPになるには…解読への労力的に少し難しいと思うのですが、コロコロで取り上げられるなら今の小学生はああいった物を私たちのホラーflashと同じラインで接種するんでしょうか?
恐ろしい英才教育になりそうです。

私たちの世代のインターネットは良くも悪くもCGの分野や画像やレイアウトがシステム的に洗練されておらず、図らずもそれこそが多くを語らないほどに不明の魅力を持つホラーと相性は良かったように思えます。
全ての情報があふれて、CGも現実のようで写真も鮮明な現代の子供たちの恐れる非実在って何なんでしょうか?
ちょっとだけ気になります。

それではおやすみなさい。
明日もよろしく。