2021年10月11日月曜日

2021/10/11

 

こんばんは、人都です。
またブログの更新が滞ってしまいましたね。
しかし本領は元は文字書きであったはずなので、それだけ他の活動や現実が充実しているという事はもしかしたら健全な社会的治療の傾向なのかもしれません。

最近はTwitterのトレンド欄を漁ることはほとんど新たな怒りの話題を見出すことに近いような感覚を覚えています。
女性関係に政治に創作者の冒涜に…様々な私刑と議題で溢れかえるあのコーナーにはもはや中立という言葉はありません。

それは確実に、例えば未成年者がTwitterを始めたいと私に言ったなら様々な要因から確実に止めに入るでしょう。
Twitterは恐ろしく危なく、3歩歩けば毒沼のダンジョンです。
しかしそんなことは私が小学生時代にアメブロがしたいと大人にごねたのと同じで、年頃の青少年からすれば口うるさくてめんどくさい存在でしかないでしょう。
端的に言えば、Twitterに未練を作ってはいけないから始めてほしくないという一つに収束していくのですが。

しかしながらそれとはまあ関係なしに、現実で成功していくやつというのはいつの間にかインターネットから離れていきます。
それは現実の忙しさだったり、コンプライアンスの順守だったり…そうして広報という意味合い以外のインターネットを自分から手放していくのです。
インターネットでしか知り合いのいない私なんかよりずっと健全な離陸でしょう。
どうせ人間は現実でしか生きることはない、SNSは所詮ごっこ遊び。

私という人間は大学生活が再開してもまだリモートのままで、話す相手は職場以外には身内と液晶画面以外に無く。
4年間の大学生活の半分は電波を介したようなもので、都心のキャンパスに行く面倒さを誰かが歪んだ猿の手で吹き飛ばしたようにただ変わらない学費の金額をにらみつける他に鬱憤を晴らす当てもなく。
自宅で模範的に過ごしながら、一方的に仲がいいと思っていた人たちの輝かしい告知の数々に絵文字で拍手を送るほかに生きている気持ちなど無く、それはもはやインターネットへの依存でした。
私だけは網状の文字の中で環境由来の言い訳を添付しながら、数多とあなたと同じ光へは届かない。

インスタ映えというのは揶揄されがちだけれど結局は究極的に健全で、要は自分をキラキラに見せるための努力と探求をたゆまないという話になるのだけれど、Twitterはその特徴として実力のないものは狂った底辺ムーブしか認知を集めることはない。
怒りと哀れみと指示厨を集めることは無からのエネルギーの収集には効率的な話で、もし承認欲求に墜ちるならいずれかの欲求を満たすにはインスタントな手掛かりになり得るのでしょう。
ああ、そういうわざと弱みをさらけ出す共感の形こそが崩れた自分の最後の救いになるのか、なってしまうのか。
これも出来ない、あれも出来ない、できれば君に助けてほしい、ちょっとのことで話をきいてほしい、私ってすごく寂しくて失望されがちな一人ぼっちのどうしようもないやつだから。
そんな…本当に私にはそんな人と同類にならなければ、誰からも見向きもされなくなってしまうのか。

世間はその怪物の正体をメンヘラと呼称しますが、私は自分がそんな今までさんざんばら私を食い物にしてきたものとは分類を同じにしたくはないのです。
例えば年老いたうるさい老人が最終的な説得の手段に自分の寿命を持ち出して反論すらも許さなくなってしまうような、ノーガードのように見せかけた完全な否定の形をメインウェポンにしてしまえば本当に現実で生きていくことは不可能になってしまう気がするのです。
理論とリプライ欄で武装して、戦うわけでもなくその言葉で行えることはただ殻に籠るための言い訳のミルフィーユになっていく。
私はただでさえ他人への依存を恐れているのですが、インターネットへの依存を問われたときにいやそんなことはないよと茶化せるようなフラットさはもはや持ち合わせていないような気がしています。
そしてこの歪んだ耳目に依存した猫背を直す特効薬は、結局自分の成功体験と実力の会得には変わりなく。

何か対外的なトレンドに物申すことでしか自分を表現できなくなった時、それはもう私が私である必要性を失っていると思います。
誰かと同じ気持ちになることで、仮設の脆い仲間を得てスイミーの中の一人になって、自分に大きな力があると思い込むようなインターネットでしか生きられないゾンビに私はなってしまって、こんな文章がいつか「かゆうま」と笑われるようなそんな生き恥しかパフォーマンスできなくなってしまうなら、ひどく無様であると私は感じます。
常に何かを作りつづけて私が私である意味を稼がなければ、いつかはみんなみたいに現実と共に踊らなければ、大きな鯨の民意になってしまわないように今溺れかけているところです。
美しい皆さんと同じ舞台に上がれるまで、私はあと何年ピエロをやり続けるんでしょうか。
いつか盛大な告知のツイートと共に現実で笑える、そんな日を見つけなければいけないって心の底から思って現実で誰にも打ち明けないまま資格の勉強を続けています。




それではおやすみなさい。

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