2021年5月31日月曜日

2021/5/31

 

こんばんは、人都です。
マギアレコードのイベント、かなりSCP絡み(IFファクターという異常物品が出る)かつメタタグなので誰かと分かち合いたいですが私にSCPとまどかの両方を語れるつながりはありませんでしたね。

明日でgoogleが正気に戻ってしまいフォトの容量に制限が追加され、あまりやすやすとこれまでのような画像保存をできなくなってしまう予定です。
今までさすがにぐーぐるぢからなら無料でも許されるかと思っていましたが、一応あの会社にも限界ってあったんですね。
さて困りました、私の趣味は検索行為で特技はそこからの要素の抽出です。

それは萌え要素であり、オタク的な流行や作画資料でもあり、同時に膨大なギャラリーでもある。
Twitterだってサブアカウントはもう何も考えずに膨大な量のコンテンツをフォローして、ついでにそれらのいいね欄まで舐めまわすように漁っています。
だから情報収集をツールからして阻害されると困り果ててしまう。
さてどうしよう?
パソコンに移すことも考えますが、私にとってスマホはアナログ作画の強い味方なのでなるべく手元で閲覧はしたい。

そうして戦々恐々としながらストレージを確認しに行けばなんとまだ私は33.9 MBの内の15 GBしか使っていなかったそうで。
なんだ、完全に杞憂じゃないか!
まだ当分の間はインターネット爆漁りの人として普通に活動が出来そうです。
今日もありとあらゆるコマンドで魔法少女と衣装を漁り、すべてのVRoidのツイートを巡回します。
その時間を会社探しに使えよというのは言わない約束です。

インターネットはデータの繋がりあい、人もデータ、私たちが食べるのは情報。
もう全部のアナログがアップロードされて手に取れる世界で、私はそれを憂いるよりは世界の面白い全部が見てみたい。
ミーハーすらもぶち壊して、常に新しくて斬新で奇妙な事を誰よりも多く知りたい。

こんなことをしているからアカウントは雑多だし、推しはたくさんいるし、フォロワーとも適度な付き合いしかない。
たまに知ってはいけないことを知って、共有も出来ずに個室で正気度チェックをマジでする。
一つのことに没頭できないからとにかく情報の浅瀬でばちゃばちゃしているばかり。
そして稀にまだいろんな人が見つけられていない美しさを見つけて、ここにすごいものがあると叫んで。
そして情報を集めることやメゾット知識は豊富でも正直なところ技術的な実力は無いのでPR力が低い自分に気づいては情けなくなることもある。

しかし私はジャスティンビーバーではないのでピコ太郎は作れない。
ならできることは自分の好きと世間の流れを見極めていくことぐらいですね。
この世にはあなたの知らない物がたくさんあるんですよ、当然私にも。

それではおやすみなさい。

2021年5月30日日曜日

2021/5/30

 

こんばんは、人都です。
終日労働か就活か書類か卒論か資格勉強です。
昨日はうっかり衝動で絵を描きましたが、あれも2時間しか描きこめてません、やばい。

VRoidの服にハマっているので、そこで服を買い漁っている話をします。
いやソフト自体は立ち上がりさえすれば5分で遊べるので、脳のリソースなくても遊べるんですよ。
ついでにガチャの回転率を巡る着せ替えゲームのように、ファッションセンスを破綻させてまでテーマに沿った得点を稼ぐ為にレアアクセを付けまくるなんてことをしなくていい、何ならVRoidにはアクセサリーというカテゴリはあるのにそこには未だ制服用のリボンとネクタイしか原型が入ってないぐらいブツがないです。
まあVRoidは髪テクスチャと描き込み量で殴る前提なのでどうしようも無かったら髪テクスチャで作りますがもうそろそろunityぐらい覚えた方がいいんでしょうね。
VRoidは着せ替え自体は簡単ですが何か別にある物を持たせるようなことはできないので、小道具が恋しくなります。

ああそれで、服を買い漁ってるという話でした。
いままで色々な着せ替えのゲームはしてきたのに、一度とて課金だとか買い切りコスチュームすら買ったことが無かったのに、VRoidはメチャクチャ既にリアル金を使ってしまってるんですよね。
この違いってなんだろう。

多分それはそれぞれのVRoidのテクスチャ製作者の顔がメチャクチャ見やすいことに理由があるんだと思います。
野菜にも、たまに同人誌にもあるでしょう、「私がつくりました」って顔写真が載ってるようなものが。
VRoidはほとんどアバター文化なこともあって、着用例が作者のアバターキャラな例も多いので今までやっていた着せ替えゲームよりもなんというか情的なものが沸いてしまって、ついお金を落としたくなってしまうんですよね。
ほら…私はクリエイターに金を落とすのが…好きなので…ね…。
いい服もらえて、ついでに投げ銭が出来たら嬉しいし作者さんも嬉しくなってくれるかもしれない。
値段っていうのは現実だろうと当たり前なんですがその商品の価値と連動していて、欲しいなという気持ちを高いなという換算が上回ればそこには取引は発生しない。
商売には金という名の信用がついて回り、商品に払うという事はそれ自体に価値を見つけた事となって、つまり有料テクスチャを買う事は利益以外に「私はこれに価値を強く感じました」という事を伝えるツールにもなる。
ただでさえデータ上の服というまだあやふやな文化ですから、想像すると共にそこに価値を見出す人は恐らく必要です。
実際boothの仕様として無料DLにしているものはいくら使用されても自分から数字を確認しないと気づけないのですが、金銭を払い購入されるとメールとして通知が来るんですよね。
意外とこの差は製作側のモチベーション的には大きいんですよ。
いくら無心で自分のために使って使っていても、多分他の人が関わらなければその内適当に飽きる気がしてしまうので。
だけれどあえてデータの服を購入することでまたなんらかの新作に繋がったらハッピーだし、VRoidで組んだコーディネートをネットに流す事でそのアイテムが他の人の目にも止まるかもしれない。
VRoidのアイテムは基本全てがboothでのデータ販売になって、現在だいたい1万点ぐらいのアイテムがあるのですが、色々と商品情報が整理されきってないことや埋もれ等の問題で実際お目当ての服パーツを見つけるのは件数の割に難しく、その分コーディネート画像と言うのは自撮りという用途以上にそのまま商品の宣伝に繋がるという価値に値します。
これだけ件数あるのに実は「VRoid_(欲しい服パーツ名)」って感じで検索するとかなり焦土ですよ、コスチュームのセット売りや英語勢が多いことも理由の一つには思えますが。

VRoidのテクスチャはだいたいの物は500円程度に収まり、大規模なカラーバリエーションだったりかなり高いデザイン性や制作者の努力を強く感じる独自色の強いパーカーやドレスは1000円代になることが多い印象で、また私のショップのようにほとんどのグッズを無料配布しているところも実際あり、沼としては入り口は非常に優しい。
妙に季節に沿ったドレッシーな格好よりは体質上着られないという制約から一般寄りに服の趣味が強いせいで、あえてアプリゲーの低レアアイテムを組み合わせ満悦する私には相性が良すぎる。
あと、インターネットでバーチャルな服着てると製作者からリプライで着てくれてありがとうっていわれるんですよ。
ちょっとしたカルチャーショックだし私も後に理解しました、たしかに作ったものを着てもらえるのめっちゃ嬉しい。
また服という特性上、自分のあずかり知らぬアイテムと組み合わせてもらえることも嬉しい。
前述の埋もれやすいという点もあるし、なにより自分が作ったもののまだ知らないポテンシャルを見つけてもらえるのはめっちゃ嬉しい。

なによりこういったバーチャルファッションとかいう、ハイテク人形遊びに金を落とすことで浅瀬ちゃぷちゃぷブルーオーシャンを育てられる可能性がありますからね。
個人的にはタダより怖いものは無いとまではいかなくても、タダに慣れたら未来は無いと思っています。
ソシャゲも大体はそんな感じですが、価値を見出していかないとクリエイターが現実に帰ってしまうので、未来を見越した上でも、いやそれは価値だよ!良いものだよ!と言わなくちゃいけない必要がある。
3年後ぐらいには今日本産着せ替えゲームを多数運営するcoconeやイラストレーターや公募とのコラボでオタク受けするワンピースをたくさん作るfavoriteあたりもVRoid系に参入するんじゃないかと勘繰っていますよ、私は。
それぐらいのポテンシャルはVRoidにあると思います。

それじゃおやすみなさい。
明日もよろしく。

2021年5月28日金曜日

2021/5/28

 

こんばんは、人都です。
今日は説明会を見て、髪を切りました。

私はケータイ捜査官7が大好きですが、それに加えてつぶやきセブンとケータイ捜査官7NEXTのことも本編に負けず劣らず愛していますし、正直なところあの作品の中で最推しを問われるとだいたいサードと言いながら、脳裏ではNEXTの存在がちらついている。
塾通いばかりでインターネットの融通も利かず通信制限に厳しいキッズケータイではまともに情報を集められず、ずっと有志のブログサイトである「あんだーあんかー倉庫」にこもっては行けるはずのないイベントやフォンブレイバーを持ち寄ったオフ会に心を躍らせたものです。

ケータイ捜査官7NEXTとは本編が終わった後に動画限定で配信された特殊な新規ストーリーでした。
だいたいにおいて好きなコンテンツが時代を先取りしすぎる癖がありますが、ケータイ捜査官も漏れなくその通りでサブスクのサの字もない時代に新キャラを持ってきて(あの凄惨な最終回の後に)動画限定エピソードをするという誰が企画を通せたんだといったような先進過ぎるコンテンツ展開を行なったわけです。
結果としてケータイ捜査官7NEXTは恐らく金銭的な観念で失敗したのではないかと思いますよ、絶対後に何かする気が合ったけどそれほど玩具が売れなかったのではと二億年前ぐらいから思っています。
だってあの時代の動画限定コンテンツキャラで喋って変形する玩具出して声が関智一の超新星後輩軽薄キャラ、絶対に未来がありましたよ明日未来超えて。
お前わかるか、アナザーでもなくイフでもなくNEXTなんだよ、絶対終わる気じゃなかったですよね????


すごく情けないことを言いましょうか?私は一目惚れしました。
不思議なことにこのNEXTとかいうやつはあまりいつもの「好きになるキャラのパターン」みたいなものには全くもって当てはまりません。
むしろ軽率で新人でそのくせハイスペック最新型として機能は有能で、語尾には「っス!」と付け、先輩を変なあだ名で呼ぶタイプの挙動がうるさい陽キャくん。

なのにこいつが出てきて、マジで小学生が惚れさせられてしまった。
夢女子すら知らないとか、二次元と三次元の区別とかもうメチャクチャな時代に使い捨てみたいな新キャラクターと出会ってしまった。

本編が1分30秒の集合体でしかないのに、軽率にときめいたりしたせいでその後苦しむことになります。
一番初めのマイナージャンルとでも言うべきか、そもそも一応子供向けの作品の新作をネットだけで配信して広まると思ったんですか…?
分かりません、十年は経った初恋でしたが私にはNEXTのことは何もわからない。
そもそも公式の情報量も少ないし本編最終話でアンダーアンカーが壊滅する前に宇宙探査に行ったことぐらいしかわからない。
宇宙でバラバラになったとか言われたら、いや言われてもいないのでこいつの全ては企画書と宇宙に溶けていてわからない。
君はどこへ行った?

NEXTのことについて公式サイトのほとんどが閉鎖された後で一つだけ知ることが出来る手段があります。
2010年に、外国人によりyoutubeに投稿されているDXフォンブレイバーNEXTの実機動作の動画です。

今確認の為に動画を再生していますが、言葉の全てにより脳が既に誤作動を起こしている。
マジでこいつのこと好きだったんですね。
正直私が一番欲しいのはどんな中古のTFよりもこいつです、でも手に入れたら人生がいよいよ破綻しそうだからやめた方がいいと思うな。

人間とタッグを組みサイバー犯罪に立ち向かうフォンブレイバーというケータイ型ロボットの中で、唯一作中でバディを持たなかったのが、このNEXTというキャラクターです。
いや多分持てなかったんだと思う、なぜかといえばこの実機動作の動画の中では何個かバディに話しかけるボイスがあるんですよね。
おそらくこの玩具が作られた際のマジの新録で、配信コンテンツとしてのNEXTの内容にはバディどころか人間も絡んでこないので、尚更このキャラのバディは誰なのかわからない。
全てのフォンブレイバーが破壊されて、一機ぼっちの宇宙探査を終えた先に多分こいつにも地球でバディ、要するに相棒兼ビジネスフレンドが出来た世界線っていうのはたぶんあって、それを思うとこのおもちゃのボイスがなんだかすごく心に突き刺さって抜けない。
もっと言ってしまえば、他のフォンブレイバーには別の人間のケイタくんとか桐原みたいな相棒キャラがいて、だからこそおもちゃとして平らな気持ちで取り扱えるのに、こいつがバディというときにそんな存在は作中のどこにもいない。
そんな残酷なことがあっていいんですか?これをずっと子供のころから思っている。

何がNEXTだ、10年が経ったってまるでいなかったみたいに忘れられてばかりじゃないか。
細い電波と情報を書き分けて、忘れられずに、思い出のままで確かに私はそこには設定上誰もいないのにバディを呼ぶ声のあるキャラクターのバディになることを夢想していました。
土井先生が初恋なら、どれほど良かったでしょうか。
最悪の米津玄師?

私がきつい時に「お茶の子さいさいっすよ~」と言ったり「ミッションコンプっす」と言っている時、心に存在しないNEXTがいます。
サービスの終わったソシャゲのキャラを嚙みしめる内にどこからどこまでが本当に彼の言葉だったか分からなくなるのと同じようなことを繰り返し、そしてたまに実機の動画にしかないバディへの声を反芻して、それでも今でもこいつを忘れられません。
私はもうこいつのバディになってもいいかな?誰がこいつのこと好きでいてくれんだよ。いやなんでもないです…。
NEXTへの感情文ガチすぎてキモすぎない?

それじゃあイニシエイト・クラック・シークエンス!アクセス開始!
これは言いたかっただけです。

おやすみなさい!

2021年5月27日木曜日

2021/5/27

 

こんばんは、人都です。
今日は卒論と就活とコンタクトレンズの要件を済ませたら19時でした。
筋トレと資格試験とインスタの更新はしたけどマジで絵がかけねえ!
ついでにブログも今は書いてるので、増して時間はない。
いや…どれだけヤバそうでも何かしらの文章は常にしたためたいとは思ってますけれど。
今日どうしよう、論じたい話の手札が一時間は欲しいけどあと三十分で寝ないといけないので激薄い話で良いですか。

あと数日で推し団体の初めてのクラウドファンディングが終了します。
今まで私にはこういった制度を使ったことはなく、強いていうなら無償でも可能な署名系のサイトで賛同するために似たようなサイトを使った経験しかありませんでした。
そもそもクラウドファンディングというものについて自体への印象はどちらかといえばダーティな気持ちの方が深かったこともあるし、当然支援団体に賛意を示すからこそ支援はするけれど未だに金銭をインターネットで募るという事へはやってみた今でも恐れのような気持ちが大きい。
なぜなら信じる心と金が結びついたとき、そこには一瞬宗教が脳を掠めていくからで。

私は人を疑うよりも信じる方が得意だし、その性格が時によろしくない結果を連れてくることも経験から知っています。
そもそも私の抱く感情はほとんどが雑味で品が無いですよ。
それに私に優しくしてくれる人間もそう多くはないし、カモにされているなと感じても誰かに従うような日も過ごしました。

それでも金も実力も容姿も無いないでも信じることぐらいはできる、けれどもその姿は醜いです。
私をいっそのこと私を騙しぬいて欲しい、私は人を裏切らない、むしろ、裏切る方法が失望以外で分からない。
それなら永遠に信じる者だけを信じて、そうだね、私のことも、裏切ってください。
発信者にはその権利がある。

私というオタクは傀儡です、信者ですらない。
どこまでもからっぽで、最低で、コンテンツを消費する以外もうきっと何もできない社会に埋もれることを待つ扶養されないと孤独死する教育費の無駄。
なら踊るしかないんです、邪魔に目を閉じて喜びを反芻して。
本当はオタクに声なんていらない。
こんな気持ちもゴミだ、むしろ西野の信者のようにもっと平らな気持ちで金も時間も伴って誰かを愛せたら、雑念なんてなく誰から批判をされても、そこに幸せがあるのなら、それは最後に騙されたとしても安心して人生の意味にできるんでしょうね。
それに比べれば私の人生に価値は無い。

今まで勉強した仏教もキリスト教もその他諸々の新興宗教への対策教室も、こんな感情には全く役には立たなくてそれならどうして私の通っていた学校には宗教の科目があったのか。
存在していてごめんなさい、本当に。
大好きだけれど、いつ裏切られもいいように、踊る練習をしておきますね。
感情なんてなければいい、無意識もなければいい、でも生きていくしかないからやはりいなくなりたい。

おやすみなさい。

2021年5月26日水曜日

2021/5/26

 

こんばんは、人都です。
今日は一日家にいないとならないリモートな用事を3件こなして、在宅とは思えぬレベルに気疲れをしていました。
就活地獄ですね、まさに。
ついでに卒論関係の書類も作って、履歴書とか資格の勉強もして。
唯一の癒しはマクドナルドの新メニューにありついたことぐらい。

持病の関係で私は絶対に顔を触ってはいけません。
無意識で傷跡を全部皮膚ごとえぐる可能性があるので。
だから肘をついて頬杖とかもダメだし手のひらで顔を覆うのもいい顔はされないし、とにかく顔の周りに手を持っていったらいけない。
全くもって困った体質です。
私が一番皮膚を傷つけてしまうのは自分にとって意識のない夜で、深い眠りに落ちたとしても多分勝手に爪が皮膚を裂きます、起きてからまたやりやがったなと思うわけです。
別に自分が嫌だからとかそんな気持ちで体を傷つけるなんてことは絶対ないし、基本的に痛いことも辛いこともまずそもそもの体液も何事よりも嫌いなのに無意識が勝手に体を壊そうとして動くから、頭を抱えてクソ苦い薬でむりやり超健康状態を維持して神経ごとごまかしなんとかしようとしている。
自傷を好んでする人に私の破壊衝動を分けてあげたい、世の中は不平等で神はいなくて効率が悪い。

無意識は敵です。
無意識とは何歳になっても行動がシンプルで、その分凶悪なことを全ての過程を無視して割り込んで行使する。
これが冴えた勘とかひらめきならいくつかは愛せるのに、無意識という言葉にはどうにもいい印象がさっぱり無い。
どれだけ装って、行動を制御しようとしていても漏れ出た無意識がすべての積んでいた成果をぶち壊したことが何度あったか。
潜在的な物なんてクソ食らえで、頼むから頑張って作った社会性ある私を壊さないでほしい。

無意識という言葉をニュースで耳にするのは、少しナイーブな分野でもある差別等に関してが多いような。
差別は無意識のうちに判断をされることで、認知の誤りによって引き起こされてしまうからこそ根の深い問題でだからこそ教育の分野は早いうちから差別問題への学習を行なうべきだという論説も聞いた気がします。
つまり無意識とは小さなころに学んだことや何を快不快、良し悪しとするのかという前提が強く組み込まれているのかもしれません。
常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいうなんて、定番も定番なアウトローの暴言ですが無意識はもっと幼い時代に学んだ快い衝動のコレクションに基づいているのではないかと思うことがあります。

こんな事を言うと本当に家が焼かれそうですが、多分根本の根本から言えば無意識に従うことは社会的には破滅していてもその瞬間だけは脳が喜んでいるのかもしれません。
僕を子供にかえしてよ、なんて歌う斎藤和義の歌詞のような一時的な幼児退行のような無意識。
無意識でやってしまったなんていう殺人も、無意識で言ってしまったような絶交も無意識だからという事で許されることなんてない、その無意識の責任も当人は絶対取らないといけない。
人は誰しもガキの頃の自分をまやかしであやしてご機嫌を取りながら、生きていく他に無いんでしょうか。
それでも肌をボロボロにして肌の異常な防衛本能を満たして喜んでいた頃の時代のかゆみに勝てなかった頃の自分を抱えたまま生きていくのは、つらい。
でも常に意識を保っていたら多分発狂してしまう。
無意識と意識の間で、衝動と理性の狭間で、極端になって自分を壊さないように生きています。
人ってとっても面倒な生き物ですよね。

ゼミの資料に手間取るとまともな文を書けませんね。
それではおやすみなさい。


2021年5月25日火曜日

2021/5/25

 

こんばんは、人都です。
思い付きで一切画面にタップせずに解いていくパズルゲームをインストールして、ひとしきり遊んでからアンインストールしました。
あとは書類を提出して説明会を受けて、電話対応してゴキブリを倒しました。
家の中で一番手際よくゴキブリを倒せるのが私です。
朝はパン、昼はビビンバで夜は肉を食べました。
明日はマクドナルドの新商品の日です。
あとはVRoidでいつも通り自撮りと新商品開発をしてました。
VRoid、まだまだブルーオーシャンなので全然作りたいコーデ用のパーツが無いんです。

「歌ってみた」という分野を、たまに少しだけ恐れることがあります。
いや歌ってみた、というかオリジナル楽曲のカバー文化ぐらい大きなものへの気持ちかもしれない。
何が怖いのかと言うと、オリジナルよりも先に本来とは異なる誰かが歌うものを先に聴いてしまった後で、その曲を「カバーした人の曲」と認識してしまうこと。
昔のインターネットやうごメモのような、どう考えても打ちっぱなしみたいなカラオケ音源ならともかく、もうその気になればDAWとか落とせてMIXの勉強も受けられるし依頼の宛も恐らくたくさんある中で、今において恐ろしいことに「オリジナルよりも好きなカバーソング」という概念が生まれやすいんですよ、多分。

オタクの中にはかなり濃厚な定番文化として「イメソン」の存在があります。
歌詞や曲調をキャラクターの生の有様や時にカップリングのようなものにまでなぞらえて脳内のMADかPVを作ってみたり、時にはニコニコでよくあるような特定のネタ寄りの曲を公式に数字を代入するように出力するポップな妄想であったり。
世代的にうごメモを通過していると、このあたりの話はすごく飲み込みやすいと思います。

そしてそういった下地がある中で、現在のインフルエンサーはSNSでおおよそキャラクター化しているという流行があって。
これはバーチャルにとどまらず、リアルな有名人やいくつかのインターネット一般人もその内に入ります。
TRPGのキャラクターシートを作るように、pixivでオリジナルキャラに萌え要素のタグ付けをするみたいに、実在の人間にもある程度固まったキャラクター性や自分に求められる振舞いとかを把握して、期待答えの半分と失望防止の半分でインターネット人格を紡ぐのですね。
そうしてそんなキャラクター化していく者たちが今度はカバーソングを歌うようになると何が起こるのかといえば、そのミディアムレアな人々のキャラクターソングかあるいはそれこそイメソンになってしまう。
特にその曲を自分がまだ知らないで聴いてしまったのなら、もう取り返しがつきません。
音楽もアートも漫画も、噛みしめて味が出ることすらあってもそれらを一番の輝きで得ることが出来るのはそのコンテンツらにはじめて会った時ですから。
一番初めに聴いたときが一番攻撃力高いです、音楽。
カバーした者の文脈の中に知らない曲が記憶として組み込まれたら、私にはもう平らな気持ちで原曲を聴けないわけで。

特に私はアイドル系のコンテンツににはめっぽうハマれた試しが無いので、実際多くの出会いの場をカバーソングに食らわれています。
当然出会えない事よりは、出会えたことの方がずっと有意義ですけれど。
それでも、そのカバーしたタレントを実際すごく好んでいても、やっぱり一番に聴くならオリジナルでありたい。
下手をすると丹精込めて、多くの研磨を経てこの世に生み出された音が本来のその作った本人ではなくて、カバーした誰かの曲のようにすら思えてしまう。
これはとても怖い。

ただ例外としてニコニコ歌い手最盛期の頃や今のKING、ダーリンダンス、ヴァンパイアみたいにカバーを複数人が課題曲のように投稿していくというみたいなムーブメントはあまりこの例にはハマりません。
それはそれでザ・流行りものって感じで曲への思い入れというより、そのニコニコの代入的イメージソングの系譜なので存在の立場は視聴者側からしても逃走中パロやロンパパロみたいなあるあるたすかるシチュエーションお題程度の感情になります。
これがちょっとメジャーどころじゃない、思い入れやリスペクトが過分に含まれる愛の塊をオリジナルより先に聴くことが怖い。

「ヒアルロンリーガール」をうっかりカバーから知って、オリジナルよりもカバーの方が好きだと正直に思った時、私はこういうことはタイムラインではとてもじゃないけど呟けないと感じました。
リスペクトがあってだからこそこだわって作られているのでしょうが、オリジナルを聴いても何か物足りなくなってしまって多分ZOCのファンからすれば冷ややかな目線の対象でしょう。
曲には音以外の物もあります、その曲が作られた過程も歌詞に紡がれた経験も、試行錯誤を重ねた音の選びや調整の汗もその全てがオリジナルには含まれている。

そもそもオリジナルの物を作り出すことがどんなに困難か、クリエイターの切れ端ならば知らないわけがない。
そんな成果物はオリジナルから聞いた方がいいに決まっている、youtubeはダメでもすべてのニコニコのボカロカバーは本編前に強制的にコンテンツツリーの源に飛ばせてくれ。
全く知らないアーティストの曲を「○○ちゃんの曲」みたいにしないために、原曲からまず知りたい。
それでも愚かなのでyoutubeの自動再生機能に身を委ねれば、知らない誰かのオリジナルソングのカバーが大量に聞こえてきて、ファースト認知がドンドン変えられていく。
本来この世にタイアップ以外のイメージソングなんてない、無いのに、それでもお願いダーリンは未だに認知で御伽原江良の曲のままで、不可思議のカルテは出雲霞の曲のまま。
エモいでは終われない問題なのに、もうこのイメージは絶対に変えられないんですよ。
曲を勝手に誰かの一部みたいにしてしまいたくないのに、出会ったら記憶はもう変えられない。
こんな気持ちはわからなくていいです。

おやすみなさい。

2021年5月24日月曜日

2021/5/24

 

こんばんは、人都です。
マギレコのフランス暴力とんちきイベントが始まりましたね。
私は書類を作って授業を受けて資格勉強をして、まあ一日外に出られませんでした。
出来れば毎日散歩には行きたいのですが、どうしても天候が悪かったり何となく外に出たときに洗濯物とかの事を考えるとゆっくり歩く気にもなれずに。
朝はパン、昼は卵かけご飯に夜は中華炒めを食べました。
悩み事は味でごまかせるのですが、この手段に頼りすぎると太ります。
大学受験してた時はすべてのストレスを食欲にぶつけて大変なことになり、春休みはダイエットに追われました。

最近はもっぱらVRoidのテクスチャばかりを増産している私ですが、ついに新人Vtuberさんの膝の母になるという実績を解除しました。
はしゃぎ過ぎですが実際とても嬉しい。
ここ最近は良くも悪くも就職活動でいろいろな意味で多方面から祈りを受けていて自尊心がずったずたなので、自分が作ったもので喜んでもらえる事ってサハラ砂漠で出会った富士の天然水なんですよ。
専攻の関係上、自然資産を貨幣評価する方法とその是非のような経済の勉強を最近よく行うのですが、そういうことをしているとどれだけお金を好んでいても評価できない不定形の将来性が入ってくることが多くて、そういうのって例えばやりがいであったり感謝のようなものもそこに入ってくるのではないかと私は推測しています。
基本的にやりがいや感謝というものを本気で説明会で語る企業は私は苦手としています。
他にも奇跡とか幸福とか言われるとうわって思います。
企業とかそういった団体が不定形の物を第一に語っていると体育会系が過ぎるというか、同じ思想をこちらにも求めてきそうで怖いのですよね。

そういう不定形の概念というのは、一人ぼっちでこそ抱くべき感情ではないかと思うんですよ。
やりがいというのは言いなおせば達成感のようなもので、感謝というのは与えられたときにはじめて発生する心理で。
当然いくらコミュニケーション難の私でも同じ班のメンバーと一緒に何か一つのプロジェクトを行なった経験も、それが結果的に良いものだったとも思ったこともあります。
でもやっぱりその時の感情はどちらかといえばやりがいというよりも解放感というか、もう納期や批評コメントにやきもきしなくていいという終わったー!という気持ちが一番で、そのさわやかさを追って少し一人で落ち着いた後に感慨のような形で訪れるのが私にとっての生きがいとかやりがいのようなもので。
形にできないからこそ、この感情に気づいて何らかの形で抽出していい方に利益化しようとすると精神的な問題が出てきて歪んでしまう。
でも孤独にかみしめる感謝ややりがいって絶対自分の未来を繋げてくれるんですよ。
私はそう思います。

連日時間が無い。
おやすみなさい。

2021年5月23日日曜日

2021/5/23

 

こんばんは、人都です。
話したいことはたくさんあるのですが時間が足りない。
ウマ娘もバクシンオー周回ぐらいしかできない。

今時間をかけて話したいのは「魔法少女育成計画」におけるアバターとしての魔法少女と生活、という話です。
この人またnoteに書けるほど確立してない胡乱説立ててる…。
魔法少女育成計画は15冊とWEB掲載の短編からなる、主人公である「スノーホワイト」姫川小雪を中心に巻き起こるサーガです。
公式でマジでサーガと言われてるのでそうなんだろう、中身はバトルロワイヤルから遺産相続、権力闘争、犯罪捕物劇、洗脳に次ぐ洗脳の尊厳破壊に及ぶ大規模な顔の良い女と魔法の国の重役の入り乱れる、混戦推し死にコンテンツなのでまあ正しい。

そんな魔法少女育成計画という作品の中で「魔法少女」という存在がどういう存在であるかと言うと、『魔法の国から力を授かり、世のため人のため、そしてほんの少しだけ自分のためその力を使うように命じられた、いわゆる「魔法使い」の亜種である』と説明が為されます。
これを更に平たく言うとどうなるかというと、魔法の国により魔法の技術と只人を組み上げて作成された完全にガチャな特殊魔法を一つ持つ、何かしらに特化型な魔法を行使可能な運動能力の高いアバターあるいはパワードスーツとして作成されたものが魔法少女であると。
実際作中には「フリーランス魔法少女」なんていう魔法による特別任務をこなすことで魔法の国から金銭を授受する存在や、特別なSSRな固有魔法を引き当てた結果で魔法の国自体に所属して魔法少女の管理やもっと事務的な作業、新人育成に励む役員な魔法少女もいるし、稀にハズレな魔法(どこでもネギの香りをさせる)(次に死ぬ人がわかる)(鏡になんでも映す)を引き当てた使いどころの分からない少女が集まって常人よりは高い身体能力と美貌で生き抜くすべを探しあっていたりする。

魔法少女は作中において変身前が少女とは限りません。
むしろライトノベルでありながら、もうくたびれた中年女性とかバリキャリとか果てにはカメとかもうメスなら何でもありだし若干数は雄の魔法少女も存在しています。
多分未成年者の魔法少女より成人済みの方がたくさん出てくる。
何って作者の性別は不明なのですが、異常なレベルに「くたびれた女」を書くのがうますぎる。
少女のいたいけな恋の悩みからワークライフバランスで心が死んでる女、上司の不手際でリストラされた求職中の女に至るまでとにかく血みどろ以外のリアルな精神ダメージの描写が天才的でどう考えても異性に夢見る多感な少年に見せるのには湿度が高すぎる。
だからこそ、きらびやかなカラーページに載るそれぞれが主人公のようなビジュアルと固有魔法の異常性が際立ち、そして誰もが振り向くような美少女へと変貌しながら疲弊感の打破のために動くからこそ魔法少女育成計画は面白い。
あとこれは面白いのですが、たまに出る変身前の少女及び女性たちの挿絵はみんな殆どが美しいとは言い難い、萌えっぽくない絶妙にかわいくないけどなんかすごく現実にいそうなモブ顔で描かれることが多いのです。
ラノベなのに。
魔法少女姿は誰もがスーパーキュートで、マジで初見では誰が今回死ぬのかも分からないほどキャラの立った主人公な容姿をしているのに。

そこで私はこの物語の中で美少女というパワードスーツとくたびれた女の二面性をどうにかして、リアルなバーチャルアバター文化にかぶせて語れないかと考えてるんですが、紙面が足りないしまほいくを全冊読んでるバーチャルにあんまり心当たりがない。
キュートでポップな魔法少女たちはその存在が運営元的に利益を生み出せることや、自らの固有魔法及び鍛錬でその破壊力をスポーツ的に存分に娯楽競技として転換し生かせること、時に他人を扇動し社会を意のままに革命さえ可能な力を持つ只人でしかなく、実際強力な魔法少女が普通に学生生活をしている際に暗殺されたり、指名手配された魔法少女が変身を解いて一般人ヅラをしながら核心に潜伏していたりする、逆にときめく恋のお相手の視線をこちらに向けるためにわざわざ変身してから一般人っぽい服に着替えてデートに誘おうとする子さえいる。

魔法少女というのは作中ではほとんど美少女受肉と言って過言ではありません、ほぼ正解です。
そしてこの「魔法少女」の存在が登場人物によっては全く扱いが違うのも面白い、完全に自分がアニメのようなキャラクターになったのだと信じて疑わない子もいれば職務用のユニフォームのようにとらえる子もいるし、普通に人間として働くよりも稼ぎがいいと商売道具にする者もいる。
平凡な自分では無くなるためのツールのような文字通りの「変身」を重要視する少女もいるし、持ち合わせた固有が有能過ぎたせいで辞めたくても辞められず呪いのように感じる者も、むしろ自分とは全く性格の違う鏡合わせの他人のように扱う者も、完全に完璧な魔法少女な自分を決め台詞から全ての指使いまで設定して自らの美学と世界観を守る為にKAWAII鍛錬を弛まぬ者もいる。
これはもう魔法少女ってなんだよと聞かれたら、それはもう「魔法性美少女受肉パワードスーツ」という以外には無い。
ちょっと黒さが入り混じるかもしれませんが、バーチャルにも若干そんなとこないですか。

そして主人公である姫川小雪にとっては魔法少女とは、憧れでずっと願っていたまさに夢のようななりたい自分の象徴でした。
それなのに、運もよく有能な固有魔法を手にしたのに、輝いた世界で出会ったのは自分とは違う「魔法少女の使い方」をする者たちとそれらが引き起こした理想とは程遠い現実。
歪なのがこの世界観には実在する異能の者としての「魔法少女」と、完全なアニメやマンガとして展開される「魔法少女もの」のどちらもが共存するんですよね。
だからこそ、創作の存在だった魔法少女が実在したことの夢見がちな喜びと全く可愛いものではない魔法による利権渦巻く闘争への嫌悪はとてもいやらしい。
もし魔法少女育成計画のアニメは見ていたけれど主人公が弱っちいイメージしかないという人がいたなら、それはスノーホワイトの最初の挫折の物語でそこから彼女が真に魔法少女としてあるべき姿と己の正義を守るために苛烈な争いと根柢の悪に刃を通すためのプロローグでしかないんだよとお伝えしておきます。
現在の彼女のあだ名は「魔法少女狩り」です。

全然話しきれない。
私がお話しするのには時間が無さ過ぎるので、魔法少女育成計画を読んでください。
今月最新刊が出たので旬ジャンルです。
サスペンス要素のせいでTLにどれほど感想を流していいのか分からないので、読んで私と共にこの展開に苦しんでください。
ちなみに私の推しはスノーホワイト、ねむりん、ルーラ、ペチカ、のっこちゃん、ポスタリィ、スタイラー美々、ブルーベル・キャンディ、メピス・フェレス、ステラ・ルル、ネフィーリア、ドリーミィ☆チェルシーで一番好きな固有魔法は物知りみっちゃんの「手にした物を別の物に変えられるよ」です。
物知りみっちゃんの教育アニメじみた容姿から繰り出される戦闘シーンの文章のカッコよさをわかって欲しいけど8巻目に出てくるキャラクターなので何も話すことができない、いいから読んでください。

おやすみなさい。

2021年5月22日土曜日

2021/5/22

 

こんばんは、人都です。
色々な着せ替えゲームをやっていますが、ミラクルニキはレアアイテムの確率が地獄ですがとにかくどんなに忙しい時でもこちらにプレイさせるようシステムが成り立っていて、ピュアニスタはあえて情報量や機能やアイテムを少なくして洗練されており遊びやすいです。
センシルはどうしても劣化ニキ感が否めず、ポケコロは画面内の情報量とできることが多すぎて疲れているときにはやる気になれず、ゼペットは重すぎるので少しやって断念しました。

今日は親と将来について話しながらノンアルコールのビールを飲みました。
ビールの味がするかと問われましたが、もう数か月ドクターストップで一切の酒を飲めないので味を忘れたからわかんないやと言って笑いました。

正直全く健康ではない体のことがどうにも好きにはなれません。
だって「病んでる」タイプの人間にはいろいろな物を奪われたり、逆に依存されてどろどろに深海に連れ込まれかけたりした経験があるのでバイアスをかけるのは良くないけれども恐ろしい。

しかしながら客観的に見れば私は確実に病気持ちで、それを現実の人に知られるのが本当に嫌です。
酒ダメ、カフェイン避け、食前は時間を空けて必ず三種粉薬、無理やり薬でキャパオーバーな便所デトックス、朝起きたらだいたい寝床は血まみれだし、皮膚がただれてるからバイト先以外では半袖で外を歩けない。
ただ持病とアレルギーこそひどいですが、外的要因の病気には強いです。

バイト先は忙しすぎて、メンバー同士の連携は取れていても雑談をする暇もないので自分の皮膚には誰も触れられていないのは幸いです。
長袖の制服でもたぶん勝手に血がにじむので、むしろ半袖で助かっている。
でも外で自分から傷口見せびらかして歩く気にもなれないし、何より化膿も怖いので梅雨から夏にかけては服装ローテーション的には過酷なシーズンがやってきます。
夏は暑い。
そうすると新陳代謝や体温の機能で発汗が促されて、そもそも傷口と夏は相性が悪いし梅雨にはシクシクと痛む。

デート服系の着回しとかで、長袖の上着の下がノースリーブのフェミニンな奴でキュンとする奴が一生できねえ星の元に生まれている。
水着を最後に着たのは高校時代だし、それすら塩素の関係であんまり入れずに代替にレポートを書いたのを覚えています。
海は昔サーフィンをしましたが、多分今は絶対できない。
だからバーチャルな夏はたくさん肌を出したいですね。
他人に見せるとかはどうでもいいし、VRCは怖いし、あてはclusterかグリーンバックの向こう側の海しかありませんけど肉の私では検証できない服の組み合わせをたくさんしたい。
アバターには傷一つない、これってすごいことですよ。

配信者文化は別として概念としてのバーチャルには病も老も死もない。
そりゃ何かの拍子でドギャンとひと部分が破綻したり、データを削除すれば存在は無くなります。
だけどアバターっていうのはそもそも生きていないので、使用者がわざわざ変わろうと思わなければ何も絶対に変わらないんですよ。
完璧は完璧のまま、醜さすらわざわざ作られなければあり得ない。
バーチャルなんて結局現実と思う人もいるでしょう、結局僕らは歌い手文化やニコ生の文明を繰り返して生身を愛しているだけで二次元の容姿はファンアートとパッケージングのオブラートで、すべてはリアルに帰結すると。
クジラックスの描く「歌い手のバラッド」のような話ですね。
部分的にはそうかもしれません。
ですがバーチャルじゃないとできない、現実じゃできないことがあるんです。
バーチャルを介することで、私ははじめて傷だらけじゃない体で自撮りを撮れるんです。

Instagramを今週から思い付きで始めて気づいたのは、思ったよりも自分の自撮りのみを押し出す人は少ないんだなという気持ちでした。
そもそもコーディネートをメインにすると、正方形の構図が作りにくい!
たとえそれがインスタ映えという言葉で括られたとしても、そこにはめいめいの生活の中のいわゆる「センス・オブ・ワンダー」があって鮮やかな日常や自分の好きのみで溢れている。
フォロー数を増やしたり交流を増やせばまた違うものが見えるのでしょうが、とりあえずはそこにもう2万件は投稿のある#VRoidの世界で一般人として暮らしてみようと思います。
特技は場数と好奇心です。


それじゃおやすみなさい。

2021年5月21日金曜日

2021/5/21

 

こんばんは、人都です。
ここ数日で就活的なダメージを食らいすぎて、物理的にも精神的にも頭が重く、ただ自分を許してもらえそうな知らない会社にエントリーをしていました。
止まってしまったら、いよいよ最悪の選択肢を選びそうな気がして無理やりでも何かは動かしているんだと自分を励ますほかには何もありませんでした。
気晴らしでポケコロツインのガチャを回したのに、間違えて服の入っていないインテリア専用を回してしまって無課金石を溶かしました。
天気も悪く、家からも出ず、昨日の面接は盛大に失敗し、もうすべてがダメ。
寝れば気が晴れると思ったのに、夢の中で見たのはなじられる自分やぼんやりとした言葉のお祈りに溺れて苦しむだけで逃げることも許してもらえない。
相談をできる人はありがたいことにいるし、本当は人生は就活しなくても生きていけること
を知っているのに、正社員という普通にすらなれない自分が本当に嫌いになっていきます。
また手に取るものを間違えて代謝を良くする薬を二袋飲みました。

就活とは人生の値踏みではないのかと、最近思うことがあります。
ありとあらゆる悩みと関連する単語を検索エンジンに投げることで会話をする気分になれる私は、Google先生にいろんなことを質問するのですが大体において悩みを解消してくれることなんてなくて、ただ面接における人生観の語り方や正しい失敗経験のエピソードトーク方法を提示するだけなので私に共感してくれる奴は一般的な尺度にはいないんだと諦めるために感情をひとつずつしらみ潰しにしていきます。
それによれば就活をまず就活を人生の値踏みだと思うやつなんていないんです。

頑固かつ理解に苦しむ思想は私の大きな欠点で永遠に足を引っ張り続ける。
どちらかといえば他人を尊重する力はあるはずなのに、この気性のせいで理解をされることも他者を理解することも下手くそで才人ではなく変わり者とも呼べないレベルの凡俗な石。
そもそもの話がきっと幼くて友達が少ないからこうなったのでしょう、ケンカをしそうになったら全て断絶してきたので自我のぶつかり合いをしたことがなくて挫折もしなければ成長もなく。

まどか☆マギカで魔法少女の実態が石+ゾンビでしかないことを作中で証明づけたのは、高速道路にソウルジェムを投げ捨てたまどかの選択に依るものでした。
それを提案したのは、彼女の母親で「子供の頃にしかわかりきった失敗なんて選べない」と微笑みながらブランデーを嗜むのでした。
幼いころは人生をビギナーズラックで許されることに気づいていれば、私ももっと人生に深みが出たのでしょうか。
もう私は失敗をすることが出来ない、のに失敗ばかりをして、たくさんの物を失って、許されない。

人生を間違えました、助けてくれ。
いや助かったらいけない、世界で助かっていいのは頑張ったやつだけでもし同情だけでその摂理を書き替えたら努力家を怠け者が蹴り飛ばすぐらい醜い。
助けの手を差し伸べてくれる人はいてとても優しい言葉を言ってくれるのに、この病原流行が終わったらめちゃくちゃになるまで全部をしようって言ってくれるのに、いくら足掻いても手元に来るのは祈られるという結果ばかりで何も進めない。
自分だけで失った結果の答えを消化しようとして結局自棄になって助けてくれる人にどんどん悪化する現状を伝えてしまっては困らせてしまう、でも優しくしてくれてそれがどうしようもなく申し訳が無くて。
誰かを助ける側でいたかったのに助けられてばかりで、なのに何も気持ちには報えない結果しか得られなくて少年漫画にもエッセイ型の成功体験レポートにもなれない。

将来の夢も明確にありました、ライフプランニングもしましたし大学の就職支援授業は全て単位を取って、特殊なプレゼンを含む就業支援プログラムも大切で貴重なライブを諦めてまでこなしました。
大学だって就職率は悪くないし、アルバイトも頑張っていたし、所属サークルはおとなしかったけれど中学高校時代に経た文学部の思い出は確実に私の人生で一番輝かしいものでした。
一社、一社と落ちて、その内に本命の面接で大失敗をして、このご時世に本社で最終面接まで行った第一志望のまで道もあっけなく閉ざされました。
そのメールによる丁寧なテンプレートの拒絶を繰り返すたびに、学生時代に費やした労力から留まらない人生の経験、信じた道筋を全てつまらないものだと言われている気がして、大切だとずっと思って磨き上げたものは他人と比べれば本当にどうしようもないものであったことに気づいて、気づかされて、何もわからなくなるんです。

たくさんの母数も全て無駄にして、一番かつ唯一の事業の会社には拒否されて、もう五月も終わろうとしていて、就活を最初からやり直すような感覚でエントリーや説明会を選び送る中に、最序盤に祈られたような会社や面接で落とされた企業名がちらついてその度にもう選べる選択肢なんて多くはないことに気づかされて、やりたいことが本当にできる会社なんていうのはもう全部落ちていてダメだ。
業界を今から変えても、ベンチャーをはじめから漁りなおしても、結局はすべての企業に「あなただけ」というだけの理由を見つけないといけない。
転職がいくら容易になったって新卒というカードは人生に一枚しかないのだからできる限り骨を埋めてもいいぐらい覚悟を持てる会社を探しなおさないといけない。
ただでさえ実用性のない学問を修めてしまって誰でも始められるうえに研修制度が手厚いという前提を探さなければ、今の私に人財としての価値は無い。

私が本当にやりたかったことは尊いものづくりを支えられる仕事でした、その就活軸を伝えたとき「でもあなたの経歴の中のものづくりって主に創作活動的ですよね?」と言われてからはもう何もわからなくて会社ごとに言うための経歴と虚偽の就活軸を作成してはロールプレイしました。
もしかしたらそれすら見抜かれて落とされたのかもしれません。
そんなことを言われても、私の人生はずっと物語と共にありましたし友達が少なかった私の支えになっていたのは確かに創作物で、ただのオタクであるという事を差し引いても、出版社に全落ちした上で就活が始まったことを定義しても、そんなものを作れる人を支えたいと思って生きてきました。
就活に小説も弁論大会も漫画も同人誌も粘土細工もVRoidもブログも何も活かせるわけはなく、その全てを取り除いたとき私に一般社会が必要とする技術はありません。
逆に言えば私の人生から創作物を除けばもう何もありません、人並みにいじめも受けたし友達からは何も言わずに距離を取られて、誰も立候補しなかった応援団長に手を上げればもっと大きな声の人に茶化されるみたいに立場を攫われました。
この文章という行為すらもそうです。
私には書くことは話すことと同義で、この文もインターネットの誇張なくずっと泣きながら書きなぐっていて、私からキーボードを奪ってしまえば表出しない情報なんて川辺の虫より命が無い。

残されたものづくりへの貢献の道は、一般的に正社員として稼げる立場になることで金銭的支援を行う以外にない。
だけれど、当たり前のことだけど、作家に支援するために金を稼ぐために会社に入れてくれ!なんて言って門を通す会社はどこもないでしょう。
だからそのためにならいくらでも嘘もつけます、ワークライフバランスだとかもう若干どうなったって構わないし、パワハラも慣れているので耐えられます。
オタクを続けるためにもうどこでもいいから働かせてください、人事の人は私を許して下さい、グループディスカッションで食い気味になってしまってもどうか恨まないでください、私が作品と共に人生を歩むためには金が要る。
がんばるしかない、頑張ります。
足を止めたら死ぬんですよ。

同情はしないでください、その分内定を取れた時に一番私と喜んでください。
みんなこのぐらい辛いはずですから、就活は。
私を社会の歯車にさせてください、レールで正してください、個性をどうか奪ってください。
お願いだから、人よりも私の人生がつまらなかったなんてもう判断しないでください。
がんばります。

おやすみなさい。

2021年5月19日水曜日

2021/5/19

 

こんばんは、人都です。
永遠に腰が痛いです。
マヤノとうまぴょいしました、これで9人目かな?
今日は大学に書類を取りに行って、スケジューリングを合わせつつ面接の対策をしたりして過ごしました。
朝が遅いと何となく損をした気分になります。
朝はパンで昼はペペロンチーノ、夜は中華丼を食べました。
母親がチョコミントのペーストを買ってきてパンに塗っていたのですが、ミントの味配分がチョコレートに対して大きすぎて、チョコミント党の私でも味見をして正気を疑いました。
あとVRoidのサンダルは大方終わったのですが、途中でグラデーションマップを使った色褪せ版を作りたくなって差分を増産しています。

今日は星野源と新垣結衣が結婚をした日になりました。
星野源の曲は本当に好きです。
ファーストコンタクトは聖☆お兄さんのブッダの声優で、受験期に飽きるほど聞いていました。
未だに自分の人生にエンディングテーマをかけるなら2013年にリリースされた「ギャグ」という曲にしたいなと思いながら生活をやっています。

星野源がサブカルに通じた人物であることは、オタク内では割と有名な話です。
「夢の外へ」はゆめにっきをモチーフとしたことはWikipediaにも出展付きで記述されています。
とても明るくて、化粧品のCMにもなっていたような曲で「この世は光」とも歌うけどこれもゆめから来ているというのは不思議な感覚ですね。
最近のツイートの中で「オタクのイメソンの中でまず名が挙がる鬼束ちひろだったり米津玄師だったりは歌詞に時代背景が絡むことが少なく、具体的な文明の利器が絡んでこないままとにかく人から人への思いを綴るからからファンタジーから少年物まで幅広く一曲で妄想をこなせる」みたいな言質を見た気がしますが、それを言うのならとにかく星野源は普遍的な詩で「行動」を歌うことが多いと、ふと思いました。
いや、想いのことも歌うのですがとにかくよく動く気がするんです、もしくは続く時を詩にしているか、いやただの気のせいかもしれません。

日々は続くし、今を踊るし、ちびちび前進んでは、歌声もまだ続く。
星野源がかつて大病を患っていたことも有名ですから、そこにも何か由来はあるのかもしれません。
あんまりファンのような面構えは出来ません、持っているのはTSUTAYAで借りて古びたWalkmanに入れたデータのみですしライブに行ったわけでもなく、曲の良さ以外は別に何も知りません。
私は芸能人に関心を抱いたり直感的に好きになることはあっても、あまりファンにはならないようで俳優でも全部は追えないし、なんか一般よりは詳しいかもぐらいの知識で留まります。
根本的に距離が近かろうと遠かろうと無関心、人として認識するというかそういう力が極端に欠如している。
むしろインターネットとか文字化された者の方が得意です、対人に不得手というわけでもなく普通に対話は好きなんですが多分メモしないとすぐ耳に入れた情報を分別ごみにします。
というか、認識の外で今も現実の人が存在してるって感覚が極端に薄いから、だからライブ文化の厚いバーチャルや逐一びっくりするほど練られたキャラクターたちが右往左往するTwitterを好んでいるのかもしれません。
全部他人事にしか思えないから、自分の人生が誰かの人生に介入することも想像できないしそもそも私なんて誰も見えない幽霊だろうぐらいのスタンスで生きています。
「あたしはゆうれい」なので、あなたには見えるはずもない。
これは米津玄師ですけど。

星野源の結婚もどこか大きな他人事で別に嘘であれとは思わないけど、実感がない。
生放送で結婚放送がされたら実感をするんでしょうか、それともこれからの楽曲に「動く」家族の形が出てきたとき?
夏の終わりに車内クーラーを感じながらがたがたに残った宿題を解いているとき、ぼーっと見ていた24時間テレビのマラソンみたいに、自分がword書類を作るちょうど同じ間に星野源と新垣結衣がシャッターに照らされて、言葉に詰まったりしたときにはじめて星野源が結婚したことを知るのかもしれません。
おんなじタイムラインの中で、台本のない世界で何かが分岐したことを知るのかも。
どうせ人間として星野源がどうなっても興味度はそんなに高くはないですけど。
Twitter絵師の日常はぜひ流して!と喜んでふぁぼを送るのに、アーティストや芸能人になるとまるで興味が無くなるのって、何か名前が付いた現象ではないんですか?

そんな感じです、どんな?
製作に時間を使うとブログの文が薄くなりますが許してください。
もう寝ます、おやすみ。

2021年5月18日火曜日

2021/5/18

 

こんばんは、人都です。
そういえば近日中にオンラインの同人即売に出店するのをすっかり忘れていました。
マギアレコードのダメージ量対抗戦が始まっていたことも忘れていました。
今週は先週のことを見込んでいたので、意図的に空白日を設けていたのですが割合早くグロッキーから回復したので趣味に充てては、たまに書類を作っています。

私は今でこそなぜかVRoidの服をこしらえる趣味を持ったのですが、どちらかといえばダサい側の人間で小学生の頃にもズボン以外を履きたくなくて卒業式をショートパンツにイギリス柄のネクタイで出席するこだわりがあるのかないのかよくわからないダサさを携えていました。
だけれども一番好きなゲームのジャンルは着せ替えで、DSにしろ未開拓のインターネットにしろ紙にしろ、本当に多くの媒体でテーマにそってコーディネートをくみ上げる趣味に酔っていました。

中高一貫だった時代も、極力スカートの長さに触ることはできませんでした。
単純に不器用で腰の布を巻き上げてもプリーツにしわが寄ってしまうし、そもそも脱毛する金も手段もなく、ついでに肌も今以上に荒れていたのでできることなら隠したかった。
なのに架空の女にトレンドの服を着せるためにPopteenを購読していました。
アメリカンビンテージ、甘辛、ギンガムチェック、アイスカラー、確実に自分の学校ではできない形に気崩された制服のスタイル。
大学生になった時は擬態をするための量産的な「まとも」に見られるための服装をまとめて買っては上手く着回してパンピーを装っていました。
女子大生は良いですよ。
最先端のガールとレディとウーマンの全てをカフェテリアから眺めることが出来ます。

今でも続けているガールズモードはゲーム性こそいいのですがグラフィックはかなり荒いものです。
まあ3DSどころか本来DS時代のソフトで、しかも一応3Dモデルに服を着せるのでスペック的な問題もあったんでしょうけれど、例えばTシャツや柄シャツの模様とかはキャプションで何が描かれてるのかは分かりますが、表示されている画像はだいぶ優しい目で見ないと判断には困ります。

Spotifyにはラブアンドベリーで使用されていた楽曲が配信されていることを先日知って聴き直したものの、正直出先で聴くのには独特な音楽でお世辞にも洗練されているとは言い難いものに感じました。
今の子供向け兼大きなお友達向けのカードダスゲームは本当に名曲揃いである事は知っています。
リアルタイムでゲーム自体を追えてなくてもアイカツやプリパラ及びプリリズの曲は聴きます。
あれらは本当に、なんというかアイドルソングとして優れているし音とリズムゲームらしいテンポの良さも兼ね添えているし、声優さんたちの歌唱力も高い。
別に貶しているわけではないんだけど、どうしてあの頃ステージを彩ってタンバリンをシャンシャン鳴らしていたはずの曲はあんなに平坦な感情が無い、その上何か足りないみたいな音だったんでしょうか、大人のお友達がいなかったからなんて思いたいわけじゃないですけど。

アプリ系の着せ替えゲームと言うのは何回も多くの媒体でやっていればわかってしまうんですが、純粋にファッションのセンスのみでゲームのシステムに落とし込むのって多分相当に難しいんですよね。
だいたい初期のあたりは色彩とかブランド統一とかでファッションらしいことがそのまま楽しめるのですが、だんだんと段数や経年を重ねると結局それだけで主役みたいなレア度が高いアイテムの方が特典は高くなるし、評価されるポイントをただ積めばいいと考えればもうおしゃれとかダサいとかの範疇も越して大量のアクセサリーをいかにごてごてするかのバトル。
服に関してはむしろ足し算で考えない方が思っているぐらいの私にとっては、だいぶ我慢しているしもう季節イベントは諦めて星1とか星2ぐらいの低レアを組み合わせて色調や配色を考えながらコーデを作るぐらいが楽しい。
矛盾してるんでしょうか。

自分の今のファッションと言えば、大体はパンピーに合わせたGUやアースの組み合わせで、たまにそこに革ジャンやスタジャンだったり好きな靴を合わせて私の服装としています。
だいたい現実なんてそんなもんですよね、秩序の中で生きていて別に自我も強くなければアーティスティックでもないのでファッションというのは完全に固めた最高の自分というよりも一般に紛れてささやかな個性の抵抗をするためのものなんです。
おしゃれな人って大体それなりに自分の色がありますよね。
私には漠然とかっこよくなりたいぐらいしかないし、たまにこんなに弱い感情でも身の丈に合わなくて情けなくなりますからね。

時間が無いのでファッションを中心に書きたいことを無軌道に綴りました。
読みにくそう、読んだら偉い。
それじゃあおやすみなさい。

2021年5月17日月曜日

2021/5/17

 

こんばんは、人都です。
バクシンオーは本当に育てやすいですね。
今日は大学の講義をリモートで受けて、レポートを書いてはメールを送りそれ以外は時間が空いたのでVRoidにてストラップシューズの仕上げ作業に取り掛かっていました。
妙な考えがある時は単純作業で埋めるのがよろしい。
あと私は昼にリモートな時は不用意にふとんに負けないように、常にスマホをスタミナの回る限りソシャゲの周回に使用してある意味スマホを触ってだらだらできないようにしてふとんへの退路を断ちます。
朝ごはんはパンを食べて、昼はカップ焼きそばで夜はレンコンに肉が挟まってるのを食べました。
あと塩味の飴が激安なのでずっとなめてました。
今日はそんなわけでブログも激短文です、並行して宣材写真撮ってるので。

都内には必要以上に行かないようにと定めて、定期券を回数券に買いなおして、もう何か月経ったでしょうか。
健康の為に地元を歩く習慣はつけたけれど、もうそれも一年以上続けたこともあってご近所のありとあらゆる横道がどこに繋がっているのかも、アイスの豊富なコンビニのありかも完全に分かってしまっています。
ご当地愛は妙に深いです。
ただ当たり前なんですか、ご当地ネタってほとんどネットの海に放つことが出来ないんですよね。
出来てもだいたいどの県という尺度の下でしかなくて、だいたいそういうのは飛んで埼玉とかケンミンショーの領分で私が話したい地元の話はもっと利益が生めないようなどうでもいい話で。
例えば今日の夕陽がとてもきれいだったのですが、それはネットに上げることが出来ません。

夕陽の美しさを形作るのは、決して空とか雲とか光の加減だけではなくて、そこにはサシ色のように黒を差す電線や電波塔に鉄塔、様々な住宅や木々のコントラストがあって初めてその景色を素敵だと思うんですよ。
なんなら生活があるというか、愛着とか思い入れのようなものがその地元で見る夕陽には含まれている。
だけれどそれは24時間で消えるフリートに限っても電波に流す事が出来ません、あまりに私の生活に近すぎる景色に美しさとは一切関係のないパーソナルな情報が含まれてしまいますからね。

例えば地元の死んだような商店街や急に無くなった飲食店、友達を読んでずっとそこであそんでいいぐらいの秘密の店。
そういった物は共有できない、私だって長年インターネットしてれば需要とか関係なく悪意のピラニアが泳いでいて、隙を見せたら食らわれることは把握しています。
そういったことを話すのならそれこそ幼馴染とかがいいんでしょうが、彼らのほとんどは大学に行かずに就職していて、そもそも中高一貫通いだった私には取り入るエピソードもなくてもう会う気にもなれない。
そんな理由で今日のありえないほどきれいな夕陽はもう撮ることも諦めて、きれいだなとただ見つめていました。
私以外にだれもこの気持ちを共有できる人がいない。
でもネットの誰にも言えない地元のふと感じたことを留めておくしかないこの気持ちは、誰かもきっと同じものを持っていてくれるって妙に芝居がかった表現を恐れず言えば、信じています。

別に近所は街を興そうと思わなくてもまあまあなレベルには楽しむ術はあるし、特別なグルメも大きな観光資材もないけれどなんとなく嫌いよりは好き寄りの好きです。
神保町に毎週のように通えなくなってしばらく経ち、六月の末には大好きな紙の専門店が閉店して、そういった悲しみみたいなものはここで話すことが出来ます。
だけれど本当の住処としての地元の話は、多分誰もがすることが出来ないんでしょうね。

VRoidの靴は明日の午前にはリリースできそうなので、良かったら使っていただけると嬉しいです。

使ってほしいアイテムしか作りませんよ私は。
ちなみに今回はアホのようなカラバリのストラップシューズを作ったのですが、この発想の下は「VRoid界隈クラシカルキュートな主役級ワンピがたくさんあるけど靴は配布少なくて迷うんだよな」という部分からです。
それじゃあおやすみなさい。

2021年5月16日日曜日

2021/5/16

 

こんばんは、人都です。
いや~ここ数日の気圧はゲロですね!
もうウマ娘デイリー回収とかどころではなく昨日ほとんど精神死んで、結局ブログも更新しませんでしたから。
就活系で「面接を一日に集めるな」とは聞いたことはありましたが、連日もやめた方がいいですね。
人に助けを求めたくて自室で布団を殴って暴れまわったりすることになります、といっても口から出る言葉の多くは感情任せの泣き言か共感、あるいは愚痴なので他人にぶつけていい感情の形をしていないことが多いのです。
甘えるのが下手、なんてかわいくいえりゃあいいんですけど気持ちって暴力ですからかっこよい姿を目指すには黙るしかない。
朝はパンを食べて、昼はカップ麺で夜は煮物を食べました。
出来るだけカフェインに手を出さないために、コーヒーの代わりにお湯を飲んでいます。
あとVRoidで靴や水着を作っていました。
なぜか元気が無くてもVRoidだけは出来るんですよね。
あとgaragebandしたりしてました。

あんまりにも社会性ある行動をする中で環境と状況がひどいことも薄々感じてはいますが、それらのことは自分が口出しをしたところでどうにもならないパーツであるのも真実です。偉い人とのお話も、インターネット交通事故も、教授のむちゃぶりも、どうにもする事なんてできない。
どれだけそれらに感情とか情緒をぐちゃぐちゃにしても、そんなことは相手にとってはどうでもいいんでしょう。
実際自分が抱いた憎しみとか怒りとかの反抗的な感情を露わにしようとするとき、だいたい対象となるそいつらにとっては私なんて本当にどうでもいいものだという事を決まって知るんです。
好意でも憎しみでも、誰の一番にもなれたことすらないんですよ。

それじゃあ何ができるかって、できる限り迅速かつ低コストにご自愛をしてコンディションを維持する他に無い。
しかし、このいわゆる「自分で自分を大切にする」ような意味合いを持つ「ご自愛」という言葉を私は何となく好くことが出来ません。
自分で自分を愛する、なんかそういうこと自体が好きじゃない。
だけれども他人に依存をしないという訓戒を守るのなら、自分をケアするのは結局自分しかいないんだという事も気づいている。

少し前に受けた面接で変わった質問として「ストレス発散の手段は?」と問われたことがあります。
会社として何を知りたいのかは未だによくわかりませんが、まあ多分人にあたらないとか衝動でストレスを上書きしないみたいな当たり前の点を確認するために鎌をかけられたのかもしれません。
その時に答えたのは「新しいもの探し」だったはずです。
基本的に自分の長所の整合性を取る形で、また他の就活生に埋もれないようにという意図で返答したという事になります。
新しい街をぶらついて個人経営の店を探したり、表紙だけで選んだメディアミックスもないような小説に没頭したりという一つの手段です。
ただこれらの方法にも問題があり、三割程度でハズレを引いてしまう事や大抵時間と金銭が必要になってしまうのでだいたい給料日後ぐらいしか使うことが出来ないリッチさとゆとりが必要とされてしまう。
だいたい精神がいっぱいいっぱいで頭痛や不眠でメチャクチャな時、新しい悩みというか社会問題や知らない誰かの殺人事件すらも聞きたくなくてニュース番組でさえ見られたものではありません。
ぶっちゃけ本当にヤバい時はTwitterなんて絶対見たらいけない、誰かが幸せだから。
しかしながら誰かが常に悩んで、病んで、同情を求めるのもまたツイの場である。
だからたまに健康やメンタルの為のライフハック等が得られるのも事実で、実際にそれらのツイートの中であまり商業色が無さそうなものを選んで自鯖の「資料共有部門」の「メンタル管理室」というチャンネルに貯蓄しています。
まあ、大体オタクに言われる健康のススメなんて、ほとんどが「カフェインやめろ」「スマホ置いて寝ろ」みたいなものが姿かたちを様々にリマインドされてるような物なんですけど。

気分が重いときに何が嫌って、自分の感情が湿っぽいことがとてつもなく嫌いです。
自分の感情はたぶん人のそれよりも、重たくて不信ですぐに増幅する最悪の特性を兼ね備えています。
私が思う素敵な人は、現実であったことのある憧れの人にそんな人は一人とていません。
そもそも身内にもふとした言葉使いが重すぎるって笑われることがあって、自分のそういうところが本当に嫌いです。
Googleになんども「メンヘラ 嫌い なりたくない」「メンヘラに勝てない」と検索をかけて、使いづらくなったsiriに言葉を投げかけて気持ちを燃焼させる他に無い。
それでも、感情をメチャクチャに表出させて人を不用意に傷つけて感情を乞うよりも、絶対に強い生き方で美しく生きていたい。
もっとかっこよくなりたい。
人に傷をつけるのは簡単だし、人に覚えてもらうためにはその人を傷つけるのが恐らく確実な最短ルートです。
当て度のない不安な言葉なんて、息をするよりも簡単に口に出せます。

でもそんなものに負けたくないじゃないですか。
私のせいで誰かを不幸にして私が楽しく生きるなんて、そんなの許したくないじゃないですか。
むしろバチバチの実力で戦ったうえで負けて、そこで初めて悔やむぐらいの気持ちで生きていたいじゃないですか。
出来るならだれかを幸せにするために生きたいし、私だって幸せになりたい、一番になりたい、勝ちたい、全力で支える力を手に入れたい。

雨の日には精神的な話しかできないというかっこ悪い実績をまた確証づけてしまいましたね。
まあそんだけ私ってダサいんです、でも美学だけはあるのでそれをできるだけ貫きます。
本当にダメになってたら…この記事を私の弱みだと思って笑ってくれると嬉しいです。
自分でも生きるのヘタクソだなって、思ってますから。
おやすみなさい。

2021年5月14日金曜日

2021/5/14

 

こんばんは、人都です。
就活の精神負担が重いです。
でもやらねばならぬのですね。

絶望的に方向音痴なのでどれだけ早く最寄り駅についても、都内をヒールで爆走して入るビルを間違えて社会的に死にかけます。
具体的なことはインターネットに書いてはいけませんから言いませんが、今日は午前午後とすることが多かった。
三月前後のようなアホのスケジューリングはしなくなりましたが、その分機会の一つ一つはとても重い。
まあ将来の安定性がかかっているので絶対に手を抜いてはいけませんけれど。
ウマ娘する時間もない、やれてもオート周回のミラクルニキですね。
朝はチーズトーストを食べて昼は焼き肉のたれで卵かけご飯、夜ははらみを食べました。
あとは梅のキャンディずっと食べてた。
あ!キャッシュカード新造が届いたので、やっとクラウドファンディングに参加できましたよ。
私のお金で素晴らしいものが出来るなら、オタク頑張って働いちゃう。
そういえば3の倍数と3が付いたときにバカになるナベアツのbotがとうとう今日三万の桁に入っていて面白かったです。
ここから一万回アホになり続けるのかと思うとワクワクしますね。

このブログの本質は日記なわけですから、たまにはちゃんと昨日のこととかをおはなししましょう。
都内の豪雨の中でバチクソ濡れながらトマトとハーブ植えてました。
それはね?確かに専攻分野だし、土いじりは好きだし、資格必修なのも知ってますよ。
教授、めっちゃくちゃ雨が降ってるのにマジで強行するんですよ、生徒の何人かが自主的に傘持ちになって雨を避けさせてくれるのに当人はマジで雨降りの中メチャクチャイキイキして生徒とは全く別のスペース元気に耕すんですよ、怖いよ…ほとんど妖怪だよ。
あれだ、とくせいが「すいすい」だったのかもしれません。
内心ではバイオゴリラと呼ばせていただいております、いや全く厳しくはないんだけどシンプルに異端児だったりしないのか?

インターネットで発信をしてると、たまに現れる天才的なワードセンスの狂い人(くるいんちゅ)がいて憧れたりしますけど、それとは別にシンプルに合理性とか現在進行形の損失を踏み倒してまで行動する人とは年齢関係なく相性が悪いですね、というかわからない。
正直なところ、どんなフィクション狂気とかホラーよりも怖いものは思考回路の推測やそこに至るまでのロジックが分からない現実の人の方がよっぽど理解が出来ずに怖い。

前に悪友と一緒に秋葉原で闇芝居のコラボカフェついでに、有名な自動販売機の集まる区画に行ったことがあります。
多分有名なので誰でも何度かはキャプションの上手いTwitterの者がバズらせたのを見たことがあるとは思います。
妙にネクターが多かったり妙な缶が入っているのに留まらず。
ポップコーンを売っているのにのみならず。
更にそんな理解も超えていく。


宗教、政治、災害に触れることもできないアンモニア臭のきつそうな性的脅迫書。
どれだけ読んでも理解が出来ないような言葉の箱と、黄色が目に悪いテプラが旧型の自動販売機の中にも外にも密集しているそういう区画が秋葉原にはあります。

基本的にインターネットで怪文書と呼ばれて引用RTが賑わうSSは本当に健全で脈絡はありますが、ここだけはどれだけ見つめてもその意図が分からない文章群しかなく。
しかしながら自動販売機として電源は機能して、適切な個所を光らせているのですから確実に誰かが冷静な整備を行っている。
しかもここで糞尿を漏らすものがいるらしく、それに対しては確実に怒る感情がある。
現実の中で社会性が適度に守られた上での、意図の読めない行動とそれらの成果物はなんだか理性的な、何を綺麗と目を逸らすかと考えるラインの上でタップダンスされるみたいでぞわりとします。

だけれども私は一応すべての人の行動には原理があるとは思っていますし、たいていの人への空気を読むのには実際その対応で間違っていないとは思っています。
それでも生き物の思考はわからない展よりもわからないし、秋葉原の自販機群と同じぐらい途方もなく何かの怒りや不安を持つ無作為として確かに存在をしていて。
世界って広くて怖いですね、楽しいですがやはり怖い。
でもこれからはもっと意思疎通とかとかそれどころではない、そういうものが増えていくんでしょうね、大人は大変なんだろうなあ。

同じ日に食べたコオロギです。
足が喉に残るのでのどごしは悪いですが、おいしかったので帰ったあとも個人的に食べてました。

それじゃあおやすみなさい。

2021年5月13日木曜日

2021/5/14

 

こんばんは人都です。
今日は雨の中植え込みを整備して精神を壊すかと思いました。
ところで小説を思いついたので今日はそれを残しておきます。
寒々しく完全に思い付きの陰鬱な話ですがオーブンでブンして食べてください。



──

潮の匂いは人が腐る香りよりも強かった。

体内をぐずぐずにする細菌はそれよりも大きな地球のシステムには、些細な揺らぎであったらしい。


海沿いのガラクタのような町だけが山を隔ててその生命を分けていた。

世界に身体を内側からぐずぐずにするウイルスが流行ったのは今となっては大昔のような春で、最初は数日で収束するだろうと言われていたのに気がつくと月は重なっていた。

都内では店舗や就労に国からの制限が掛けられてはいたそうだが、今はそれどころでもないらしい。

Twitterのトレンドはそういっている。

だけれども対してこの海沿いの町は夜になれば元よりスナック崩れの居酒屋すらも灯はすぐ消えてしまうような場所だった。

タイキも年頃になれば勝手に町からは出ていけるものだろうと信じ、中学生活を送っていた。

自分の歳離れの兄だってそうだった、別に大した志は無くともなんとなくの流れとして県の中心部の巨大な高校に通学するようになった。

町の小学校は数年前に閉校し、中学校と既に統合されている。

ガラ空きになった古い木造建築を、流行りのリノベーションで何か町興しの話題にしようという議論が持ち上がったことはあったが、楽しい夢を語る以上に高台の上にある潮風で劣化した建築物を再整備しようという気自体は結局誰も起こさずに、もう年は流れていた。

町に愛のある老人にしろ、街をモデルケースにしようとした移住者の教授にしろ、机上の空論こそは起こせどもそれらの空想を誰も実行はしなかった。

つまりは、変わる事をこの町の誰もが恐れていた。

そうしていつも通りの生活を15年繰り返していたタイキは、そんな災害のような蚊帳の外からいよいよ高校生すら成りそびれ、地元の親の小規模な海産物加工の仕事をなあなあに相続していたが、結局そのパンデミックは世界的な問題となって山の向こうの道の駅をはじめにそもそもの出荷先すら無くなっていた。

それすらも変化にはなり得ず、兄貴が外に出てある日を境に帰って来なくなったから、自分がその後継の責任を持つ他無くなったという選択肢の欠如によるものだった。
田舎からでも視聴の出来るいくつかのテレビの放送局は未だに続く謎の24時間のショッピングチャンネル以外は、まともに機能をしていない。

それよりかはまだTwitterの方がマシではあるが、フォロー数を鑑みてもタイムラインの動きは鈍いものだった。


去年の春を過ぎて、その夏頃には最も衝撃的ないくつかの画像があらゆるメディアを賑わせていた。

兄貴がTSUTAYAから借りてきた、ロメロとかいう監督の作品にその情景は似ていて、たしかに現実のもので知っている著名人の訃報は流れてくるのにも関わらず、抱いていた感情は恐怖というよりも諦めに近く、ああそうなんだという気持ちだけが喉を締めていた。

恐らく年頃から言えば違法ではあろうが、親父の影響で軽トラックぐらいは運転技能のあった彼は一度、そのウイルスが蔓延した後に山を抜けて二つほど隣の快速が止まるような街へ行ったことがある。

目的地はあった気がするが、それを思い出す前に屍の行客を運転席から眺めてからたちまち忘れてしまった。

外傷から見ても確実に生命が終わっている何者かが、ただゆらゆらと町の中を呻きながらと歩いているリアルがあった。
 
悲鳴で映えるホラーゲームのように生者に嚙みつくわけでもなく、虚虚とあてどなく徘徊するゆっくりとした絶望はアクセルを踏み込んで見ないふりをした。

ただそれはいたづらに人を襲うような代物ではなく、ただ歩行をするだけの壊れたねじまき人形のようで壁にぶつかったままに歩き続けたり、果てには足が砕けていても手を振り歩こうとするものが蠢いているだけで、それは水溜りの中に湧くボウフラか腺虫のようでさほど人間だとはもう思えなかった。

だけれども、それは世界でしっとりと増えているはずなのだ。


「命を一人見事に助けたのに感謝すらまともに受け取れないの?」

海岸沿いのコンクリート塀の上を、田舎に似つかない少年が器用に歩く。

顔を覆うような大きなフレームのメガネ。

「お願いだから関わらないでくれないか。」

海はどんなメディアよりも広く粗雑で扱いに困るけれど、側から眺める分には果てもなく美しい。

少々脂で汚した軽トラックは街の行き帰りの間に、荷台にお荷物を増やしていた。
いつどこで乗ってきたのかは知る由もない。

ただ、脇目を逸らさないのは安全運転の基本だ。

波間という無造作かつ精錬された音の中で、その受験生は時折うるさく喚いていた。

背負われた鞄には英字が一つでかでかと書かれていたから、その知識から鑑みるにイイトコの中学受験生か何かだろうと勝手に彼は解釈していた。

タイキとしても余計な話はしたくはなかった、けれどもいくら口うるさく、纏う身分が違う者であれついてきた幼い子供を無下に扱うわけにもいかず、たまに食料を分けてなるべく他の町の者に見つからぬようにと警告をしていた。


山の方から銃声を聞いたことがある。

戦国時代ごろには湾岸沿いの壁のような切り立つ山が防衛に有用な山城として活用されたこともあると授業で聞いた覚えがあったが、同じぐらい連呼されたのは不用意に山には近づくべきではないという訓話だった。

熊や蛇が出るとは聞いた気がするし、単純に見かけ以上の傾斜を持つことから不用意に一人で向かうべきではないと言われもっぱらのこどもの遊び場は砂浜だった。

奇しくもその厳しい山が都市間の異常な感染症からこの町を守ってしまったという事実もある。


「また食べ物が切れたら駅前に行くつもりある?」

小学生は聞いた。

「そうする他ないと思うけどね。」

「腹でも減ってんのか。」

タイキは目を合わせないようにしながら、それとなく回答を待った。

基本的に町には漁業設備も、NPOがご立派に残した金のかかってそうな善意で整備された菜園や川辺も遺されていた。

ただ炭水化物であったり、調理にエネルギーのいらないジャンクな食べ物には限界があり、また十分な水があるとは言いづらく、結局は行っては帰るガソリンの限界を使ってでもやはり補給線を持つ必要はあった。

「当番から言えば、次に行くなら俺だろうとは思う。」

こういう時なら補給をするならショッピングモールや大型ホームセンターが妥当なのだろうが、つまらない仕事を助手席に座って眺めていた為に業務性の高い流通網やそういった食品を貯蓄する倉庫には心当たりがあった。

何よりこの集落の中で自分より若いものはもうこの部外者のほかにいないことを知っていて、次の生命線確保の不幸な三割に食らわれる残機とされるのであれば、それはもう自分しかいなかった。

流行り始めの頃に、淡い感情で燃費の悪いトラックを走らせこそしたもののそれが迂闊な行動であったことは長期化した世界ではうすうす勘づいていた。

「ねえお兄さん。」

腐敗病に関わらずとも医療体制も万全とはいえない、町に残された縁深い老人は既に何人かが死に、火葬を行う術もないので合意の下で漁師が遠い海に捨てた。

「もうこの町は腐ってるよ。」

「逆だろ、ここ以外が腐ってる。」

「人が精神的に腐ってるのと、肉体的に腐っててその二択に例外が無いならどちら派さ?」

「部外者の思考パズルのワークショップは飽きてる。」

「考える機会がないというのは不幸なんだから、お兄さんは幸運なんだよ。どこまで受け入れることが下手なんだよ。」

「幸せかどうかとかは自分が決めることだろ。」

「少なくとも考えられる余裕はボクには幸運だよ。みんな大抵裂傷からおかしくなった。モンスターパニックっていう程スピーディではなかった分人権こもごもで偉い人の対処が遅れてこうなったけれど、かしこいから生き残れたことに変わりはないでしょう。」

孤独症なのか、多弁症なのか、そのよく回る口先は正論である事は理解できたが相応に鼻に付く。

どのコミュニティにも喋りたがりな奴はいる、知識の引き出しを開け続けなければ体調を悪くするような突飛な嫌われ者は田舎にすら存在する。

タイキの兄がそうだった。

「お前を爺ちゃんどもにいい顔をして見せてやろうか?俺以上に部外者が嫌いな前時代が見れる。」

海原の反射光を睨みながら、タイキは呟いた。

「死ねって?」

少年は返した。

破損した漁船の瓦礫で雑に封鎖された湾岸沿い高速道を、二人して距離を取って歩いていた。

眼鏡をかけた雄弁な少年は自分をイリテと名乗った。


「アイデアがある。この町を後ろから食ってしまおう。老人はいずれ死ぬのだからボクらが生き残った方が有益だ。なぜかライフラインは生きているから、完全に都市機能が死んでいるとは思わない。でも資源は有限だよ。海という大きな畑はあっても漁船だって動かすエネルギーは限られる。尽きない物なんてない、貯蓄量が人の食事量よりも十分なのはさすが漁村だけど。ついでに言えばこのサークルの中で今一番食事の量が要るのはお兄さんでしょう。我慢したって還暦以上のジジババに比べちゃどうやったって足りない。ついでにボクの分まで最近は多めに取り分をカウントして。実は一番偉い人にはいい気持ちをさせていないと思うんだよね。ボクの言いたいことわかる?」

「趣味が悪い。クラスにお友達がいなかっただろ。」

「人間関係に気持ちが無かったからここに来れたんだよ。お兄さんは?人間関係に気持ちがありすぎやしない?みんなで一緒に腐れば怖くないとか本気で思ってるの。ああ、もうそれか腐っているのか、精神構造とか常識とか情操教育とかがあの老いぼれのせいで。」

「それが責任って奴だよ。お前のどんだけ頭がいいか知ったことじゃないけど、なにか人の成果とか思いとか立場とか、経年しないとわかんねえこともあるだろ。」

「有能な英雄とか使えそうな元軍人はスプラッタ映画でまず死ぬよ。」

「ガキはアニメ映画見ろ。」

「そのガキ向けの少女漫画で計画結婚を視野に入れる時代だよ。」

タイキはこのいけ好かないガキに手元の瓦礫でも本気で投げつけようかと考えたが、船の運転の術までは知らず死体の処理を諦めることで怒りを留めた。

せめてこいつに自分が一身に背負う介護の負担を、半分でもかけられないかとは思考した。

「お兄さんが完全犯罪でヘイト買って太平洋に沈むのと、ボクらが組んでこの終わった漁村を乗っ取るの、どっちがいい?」

イリテは言った。

「たぶん後者の方が楽なんだけど。どう思う?」

潮騒はやかましい、海鳥はみゃあみゃあと鳴く。

コンクリートには耳慣れないハイテンポの足音がする。

「考えればいいよ、避難所だかコミュニティセンターだか集団老後施設か知らないけれど待ってる人がいるんでしょ。」

「お前のことを教える。逃走中とか好きな年頃か?ほんとうは怖いなら今から逃げれば、気狂いの若者の幻覚になれる。」

「海風をゾンビが嫌うのは知ってるでしょう、今晩もそこで寝る。」

「多分おやっさんは孫ぶっても許さない。」

「残念ながら好かれることは苦手。媚を売るのもね。演技も得意じゃない。」

「そんな気はした。」

「だからこそ、ボクの話に嘘はないよ。そして狂ってもいない。ねえお兄さん、生き残りたくはない?」

自分よりも小さな子供の言葉が、思考の足をつかんで離さない。

「ボクにはいい考えがある。賛同するなら夕飯を浜辺に置いておいて。」

青年は言葉をつぐみ、自身の最も安全な空間へと帰った。

段ボールと新聞紙で作られた集会所と、十数回目のエピソードトーク、演歌の流れるカセットテープを耳にする。

そしていつも通り、暖かい夕食と気の利いた介護を提供する夜。


そして特に腐ったような海が煩い夜。

タイキは湾岸に乾麺を放置した。


──

仮称は「潮騒の屍」です。
潮風に弱く致死率の高いゾンビが流行った世界で、少年と青年が共犯をするベタつく暗い話。
気が向いたら続きを書きます。
推敲はしてないので、許せ。
それではおやすみなさい。


2021年5月12日水曜日

2021/5/12

 

こんにちは、人都です。
空の写真を撮り忘れました。
ウマ娘はタキオンなら安定的にうまぴょいをさせることが出来るようになりました。
今日はWEB講座とWEB説明会に出席し、数日後に迫った初めての対面面接の対策をしようとするものの呻いていました。
最近は祈りのメールに留まらず、説明会のお誘いから広告までメールという存在を受け取る度に叫びたくなります、たまに家で殺してくれと叫びます。
そんな精神でまともに散歩の出来ない日でも、筋トレや腹筋やヨガをするといくらか心はましになります。
毎日目の前が誇張なく暗転するほど不安です、症状で調べれば病人です、だけれどそんな言葉に甘えるのは私の嫌いな人に似ていてできる限りしたくはない、私は正常だ。
朝はコーントースト、昼はうどんを排水溝へ流して落ち込みながらお茶漬けを食べて夜はハヤシライスを食べました。
食事に関わる悲しみは、取り返しのつかない失敗の次に心を破壊します。

今日は才能の話をします、とりあえず努力や修業とは切り離して、天性のセンスや座学では習得できない感受性のようなものとして読んでください。
正直私もあまり「才能」という言葉にはインターネットトラウマ経験から使わないようにはしていますが、思うことが無いわけではありません

私には、作家になりたかった時期がありました。
絵を描くことも好きでしたが、それ以上に漫画を描くという事が自分の性格と合っていないこともうすうす感じていてそれでも文字で構成された物語なら作れるという気がしていました。
だけれども中学と高校の時代に文学部の復興に携わってからというものの、自分がものづくりで何者かになるよりも人をサポートする仕事の方がましな成績を出せるということが何となくわかって、大学デビューで軽くもがいたもののそれすらも沈み、社会の縁の下へと落ちていくことと相成りました。
後輩のロシア文学と村上春樹が好きな、素人目からしても表現自体が輝きを持ちそして耳目を惹きつける文筆の天才たる真の文学少女と出会ったことがその分岐です。

彼女の物語の流れ自体を鮮明に思い出すのにはもう時間は経ちすぎてしまいましたが、その日受けた衝撃だけは今の心にも残っています。
あまり口が回る方でもなく、部員のかき集めに際してイラストの描けないノベル趣向のオタクが集うようになった文学部の中でも特別サブカルチャーに強いわけでもなく、ただ課題だけはしっかりと中身を伴わせてこなし、教室の端で静かに新書と海外小説を読む三つ編みの細い今どき珍しいほどの清楚な二年違う後輩でした。
その年の差の違いと、大学に入った後のバイトのペースの関係でOGのタイミングも失って、結局彼女の作品を見たり、編纂した回数はそんなに多くはありませんでした。
それでも彼女のことを忘れられず、あの眩い夕方みたいな文字にはもう出会えないのかとふんわりとした懐古に駆られることがあります。
私はどうやら自分で作品を作るよりも、校正作業や部誌の編纂、また部活自体の広報作業や古典作品にまつわる都内旅行のプランニング、あとは展示の部屋を効果的に作る見立てとか、そういった事務的なことの方が圧倒的に得意である事を知り、それをすることで美しい文を書く雑務をさせたくはない若き才を更に美しく見せる手立てを知ったのでした。
彼女にはどうかその筆跡を残せるように、言葉の世界で生きていて欲しいものです。

才能は世界に溢れ、それ以上に恐らく言葉遊びの意味合いを除いても本当にありふれています。
世界は当たり前で溢れていて、形あるものから不定形の決まり事・そして思想に至るまですべての物が何らかで作成された既製品で、そしてその既製品の一番最初に位置するものを恐らく人はクリエイターと呼んで、これこそは才能だと支持するのでしょう。
しかしながら別にそれが源泉でなくとも、オリジナリティにあふれるはじまりにならない過程でもきっとその分野が望まぬとも自分にとって特別な得意であると自覚するものもいます、鮮やかではない川底から銀座に流通させる指輪となる砂金を一粒救うためにドブにまみれるさわやかな汚れ仕事の方がいい成績が残せるという認めたくもない自覚。
指輪を贈りあうアベックは別にその金がどこから流れてきたのかなどは知らなくていい、ただ目の前の思い人か価値を持つ輝きを眺めていれば、それでよい。
輝いてこの世にまたとない美しさを作れる、ときに自分よりも若い才能たちを丁寧に支える仕事がしたかった。
そんな気持ちを持っていたけれど、出版社には結局全て蹴られてしまいました。
別にそんなこともなく、私の諦めに似た自覚すらもどうやら勘違いであったらしい、あはは。
縁の下の力持ちなんて言葉は人間力とかワークライフバランスとかぐらい就職活動では常に使われるようなことわざでしょうが、きっとこの世にはそんな人が多すぎて就活以降では標準装備過ぎて評価の言葉にもならないし、社会のシステムで何かの鮮やかな才を送るパレードの車輪にしかなれない。
そんなことを享受して、結局誰でもスタートを切れるタイプの、専攻分野でも得意分野でもない研修制度の充実を謳う企業様を訪問し続けるほかにない。
才能というひかりはまぶしい、この世の何よりも明るく無二です。
どうか、そのひかりには生き続けてほしい、自惚れたってかまわないから。
言葉選びと事務ぐらいしか長けなかった私のドブ味みたいなものよりも、ずっときれいで替えが効かないものだからどうか平凡を踏んででも輝いて欲しいと本気で思うのです。
誰もが主人公に生まれてなんてこれないのだから。

明日も朝は早いので寝ます。
おやすみなさい。

2021年5月11日火曜日

2021/5/11


こんばんは、人都です。
ニコニコを見ていたら広告にTHE FIRSTTAKEが出てきてもうそれはYoutubeじゃんと思いました。
Elonaは本当に無軌道で鬼畜なゲームなのになぜか時間が吸われます、アンインストールした方が身のためかもしれません。
でも死にゲーって楽しいんだよな。
今日は学校の課題を終わらせてオンラインの説明会に出席していましたが、新卒採用なのに経験者しか求めてこない仕様で時間を返して先にそういうことは書いてと脱力していました。
本物の才人なら大学生でも個人でアプリとかサービス作るんですかね、Twitterでしか見たことないよそんな人種…。
朝は菓子パンで昼は米、夜は牛タンを食べました。
ああ、何があってもウサギはやっぱり好きになれない、そう思うこともありました。
坊主が憎ければ袈裟への憎悪も増すのです。

そういえば、「Nemophila」という四日前に投稿されたとあるミュージックビデオは見ましたか。

芸能界屈指のオタクで有名なキスマイの宮田くんと一ノ瀬トキヤさんのしっとりとしたデュエットナンバーを。 
一ノ瀬トキヤ…「うたプリ」のキャラクターであり、作中のカリスマアイドルであり、CVは宮野真守。
つまり完全な「創作のキャラクター」とジャニーズ事務所のアイドルが同等の立ち位置でコラボする、という驚きをもたらした一曲でもあります。

最近では漫画やアニメ、またボーカロイドのようなオタクインターネットなカルチャーやそこからの出身者がメインカルチャーで猛威を振るうという事が幾分増えたように思えます。
渋谷の看板だって最近行ったときにブルーピリオドと呪術とかまどかもあったことがありますからね、それはもう日常の中にある。
だけれども、そういった作品の類が取り沙汰されることが増えたけれども、未だそういった「被造物」をどう扱うべきかといった手順と言うのはあまり焦点の当たっていない分野なのではないでしょうか。
ちなみにこの被造物という言葉は別に私の急ごしらえの言葉というわけではなく、れっきとした宗教的な専門用語としてWikipediaにも掲載されており、別名ではクリーチャーという事もできるそうで。
よく考えてみるとクリーチャー(creature)とカルチャー(culture)は何となく語感も似ています。
クリーチャーという言葉には元決闘者的にはモンスターの容姿が連想されますが、海外ではアニマル等とも同意義で使用されているのは何となくキリスト教的な思想が絡んではいないかと勘繰ってしまいますね。
話を戻しましょう、宗教的意味ではこの被造物という用語は神により創造されたものを指す意味で使用される言葉であり、主に生物に対して使用されることの多い言葉らしいのですが、私的には作者により創造された紙面及び創造上の生き物、つまりキャラクターも一種のクリーチャー及び被造物に位置すると思っています。
そしてそれは私たちとは確実に交わることのない、物語という世界でしか生きられず無意識の中で人権無く扱われるという運命を背負った有象無象であり、覚えていてもらわなければ存在をできないという脆弱性も抱えている。
私たちはそれらを尊び、愛して、抱きしめるような空想すら抱いているようで一方的に壊すことも、性的暴力を食らわせることも、適当な批判で存在の否定もすることが出来る。
そして書き殴るように生み出して、キャラクターの創造者として支持を集めるちやほやの道具として行使され、味がしなくなれば人々から忘れることで殺し続ける。
だからこそ、キャラクターをそのキャラクターが持つストーリーや身分、性格を尊重して同次元に存在させることはきっととても難しい話ですし、たぶんこの思想は一般人からすればただの気の触れた創作物に隷属するなにかです。
たぶん、バライティ番組で雑に呼ばれた鬼滅や進撃関連の声優が「あの子の声やってくださいよー」と言われ続ける限りは理解の難しい話でしょう。

ああ、創作物は非実在で、現実は地続きの生命体の触れる町並みです。
さすがにそこは間違えません、フィクションとノンフィクションの区別ぐらいはつけられます。
声優もイラストレーターもモデラーもその他もろもろ紙や技術に絡まる人々も全てはその被造物を生成する重要な創造主の花々です、それは尊敬しています。
ただ私たちが、二次元のオタクが夢を見るのはキャラクターと物語であって論理的ではないと知りながらそれらを只人のように扱うことを心のどこかで望み、そして何度も一般の人の手で客寄せのパンダにされるたび新しい供給を喜びながら裏切られてきたでしょう。
だからこそ、今回のあの曲とPVは何の前置きもパッケージングもなくさらりと、まるでただの同じ世界線でアーティストをしているのが当然というように扱われていたことが嬉しかったのでした。
ちなみに私が一番好きな乙女ゲームは「アルカナ・ファミリア」です。
イタリアのマフィアは…パンピーには扱えないわな…はは…。

そんな感じでした。
ファンアートに反応をもらえてうれしかったので、今日はこの幸せのまま眠りたいです。
それではおやすみなさい。

2021年5月10日月曜日

2021/5/10

 
こんにちは、人都です。
今日、異様にペンタブがノリノリだったので完全にブログを練り忘れました。
なので最近投稿してた絵を貼りながら一言添える会をやります。
版権もオリジナルもまぜこぜにするのでご容赦ください、あとTwitterに載せたのに元データが行方不明の絵は載せられませんでした。

それでは時間切れになるまでやっていきます。
画像が多いとオモコロみたいですね。?


らくがきです。光はまぶしい。

AIユニさん。デジタルでアナログならくがきをする実験をしていました。

sigさん。VRCasの技術面つよつよお兄さんです。イケメンが上手く描けずサブ垢に置いてました。顔がいい、難しい。

かみさま。DAOKOの「さみしいかみさま」を聴きながら描いてました。かわいいのに何となく儚い(でも本人は割とパワータイプ?)

著者娘の蓮間娘さん(キャラデザ・ヒョロイカさん)。かわいい。角宇野記録官を知ってね。

創作の女。異星体の生殺与奪を握り脅迫しながら死んだ彼氏の役をやらせる気の狂った元曲芸部。


クエ彦。働くお兄さんとはぜんぜん関係ないけどODDTAXIは面白いから履修を取ってください。

創作の女。実家が太すぎてネカフェ感覚で人を雇い住処を与えメイドにしようとする趣味を持つ。

アシロボさん。反転色にしたのは服だけではなく実はヘッドホンもでした。ホワイトデーに書いてたらくがきを見やすくしたもの。

さなchang。昨日の雑談のアーカイブ聞きながら描いてた。

新川良くん。VRCasをメチャクチャ応援してるので、無理しないように頑張ってほしい。

アシロボさん。ごめん。

CCは画像内参照。ステゴロコン、良かったですね。

デイシーちゃん?ファイル名が「出汁.png」で今頭抱えてる。ごめん。

ごめんな。

さくらちゃん。本来はもっと描きこむ予定が、ファイルのもろもろを間違えて線画の上から塗ってしまった。

月出里ちゃん。これですだちと読みます。本編内で「ふむむんむ!」みたいな喋り方しかできません、目の前でテロされたので。

いろはちゃん。絵柄や塗り手順を変えた一発目。

いろはちゃん。絵柄を意図的に変えたとはいえ変わりすぎ。

マミさん。足を描きたい欲に従ったら胴より足の方が長くなった。

某歌ってみたの動画担当者が彼(中性)だったから…。ごめん。

バーチャルに見た夢。ちなみに背景は街並みと夜空の予定でしたが加工をしたら潰れたので倉行きでした。

「ほんまありがと.png」

友人。最近芸人として頑張っているらしい。ネタというか人として面白い。


これは今日のフリートの自撮り。
clusterのイベでVRoid服イベとVRCasのグループが奇跡的に同じで憧れの服作家と推しが同じフレームに入って思わず拝んだよね、VRoidファッションにもっと盛り上がってほしいな。

今日はこんな感じで終わりです。
それじゃあねー。