2021年5月8日土曜日

2021/5/8

こんばんは、人都です。
ウマ娘、結局ゴルシモードのマニーは取り切れつくせてはいません。
今日はいつもの朝昼バイトが思うように儲からず、労働時間のカットをされてしまいました。
朝はバーガーを食べて昼はピザ、夜は牛丼を食べました。
あと私はリセットレモンというなかなか置かれていないしずく型のグミが好きなのですが、最寄りの菓子屋に安く大量入荷されていたので喜んで買って帰りました。

そういえば今日適当にTwitterを歩いていたら、推しカプの自作イラストをリアルな情景にコラージュしてシュールな画像を作って反応を集めていた絵描きを見ました。
恐らく自前の画像編集ではなく、そういったことをワンタッチで可能にするジェネレーターかアプリで作ったのでしょう。
実際そういったコラージュマシンみたいなものはインターネット中に溢れていますし、今更こういうものに対して著作物の何たらを説くのは話すだけ無駄でしょう、バズったツイートのリプライ欄にはツギハギされたネタ画像や名前も知らない誰かの描いた矢印とハートを押し付ける絵が並ばない日はありません。

いわゆる画像ツイートのクソリプというのは、そういった自分の感情を技術をセンスか無心かでフォルダの中から使いこなしリプライ欄に提出する、非常に一方的なコミュニケーションの切り出しです。
コミュニケーションは時にキャッチボールにも言い表されますが、これはもう受け取る側とかそういうものよりも「IQサプリ」で投げ込まれるモヤっとボールのようなもので。

私的には、リプライという機能は相当気心の知れた間柄でもない限りは使いたくすらありません。
私は決して陽気ではありませんが、だからこそ表情や機嫌を伺えないインターネットのコミュニケーションはリアル以上に苦手意識が強いのです。
だからこそ、オモシロにオモシロで返せてあまり気を使わなくていい、嫌われるとか媚とかそういったことを考えなくていい人しか自発的なリプライはとてもじゃないけどできないというわけです。
これが匿名なら話は変わってくるのですけれどね、あそこにはほとんどヘイト関係の感情がいきませんしにじさんじの顎には何となく怪マシュマロは送りますから。
絶対に帰ってくるボールか、まず帰ってこないボールのどちらかでないととてもじゃないと何も投げられない。
こんなんだから数年以上相互のフォロワーとも一度も話したことが無いような状況が生まれるのですよ。
多分足りないものは「思い切り」です、勇気がそこにはない。

最近Twitterは新機能の実装に余念がないようですが、英語版では近日攻撃的なリプライを送信しようとしていると推測された際にワンクッションを挟む機能を実装するそうで。
おそらく「嫌い」とか「カス」とかみたいな言葉を感知して、本当にその言葉で良いのか?と問いただす機能なのでしょうか。
しかし、まあこれを日本語版に実装するのは何となく空想しても単純なNGワード行きの言葉の幅広さで骨が折れそうですし、それをしたところでオタクたちの新しいネタツイの餌になるだけで何の抑止にもならないでしょうね。
むしろいわゆる「手が滑ってネコがツイートした」みたいな心無い暴言の理由を、ワンクッションを入れることで絶対に起こりえない状態にするという意味合いの方が強いかもしれません。
そもそも日本のクソリプはきっとほとんどが画像ツイートで、これらの規制でフィルターが敷かれることは難しいと思うのです。
感想もライクもヘイトも言葉に起こすのは難しいことではありますが、言葉にすらならなければそこに個人である必要はないとすら私は思ってしまうのですけれど。

私はまた感性的話にはなってしまいますが、誰一人として全く同じ感情を抱くという事はありえないという考えを持っています。
どれだけ一つのイベントの中で同じ音楽に揺られていても、一つのプロダクトの為に同じ理念を抱いて結束しても感情は一つには絶対になりえない。
そこにはロマンも若干はありますが、もっと大きい理由としては感情と言うのは自分の目の前で起こった現象や対話した相手のみならず、自らのバックボーンや経験、知識等を全て与した上で湧き上がってくるものこそが感情だと考えているからです。
例えばクラブイベントのトリのDJが最後にかけた楽曲がにじさんじの「virtual to live」であったとして。
確かに曲としては確実に名曲のうちに入りますし、曲自体もある種の集大成感を強くにじませる曲ですから煌びやかに色に濡れた箱の中できっとズルだとか言いながらオタクたちは床になるでしょう。
ただこんな時でもノリ自体は最高の一体感に包まれていても、かならず感情は違うはずで。
例えばにじさんじのメンバーを毎日のように追いかけていて、誰か帰ってこない人の終わりも見届けた「文脈」に造詣のある者なら音楽と記憶が絡み合って感謝や嬉しさに似た感情を抱くでしょうし、何か別の箱を強く推していた人間はちょっと予想していた〆の曲とは異なって内心では少し驚いているかもしれません。
なんならいくつものクラブを渡り歩いている人にとっては何度も最後に聴かされる曲であると認識されはいはいエモいエモいとちょっと傷食気味になるかもしれませんし、最悪の場合そのジャンルにすごく思い出したくもない記憶のあるものは、もう乱暴にでも踊らなければその感情を抑えられないかもしれません。

逆に言えば、ノリというやつはこの感情を覆い隠したりうやむやにするのには本当に持ってこいです。
ノリを丁寧に言うと、場の空気や雰囲気といった言葉に言い換えられるでしょう。
心臓に響くほどのリズムを届ける音楽であったり、トレンドに対する民意の揺れ動きであったり、どんなに世界が暗くても大きいインターネットから小さなタイムラインでもどこでも、いい波に乗ってんね。
でもそのノリという波に飲まれるのはあんまりにもつまらない、せっかくならばその上で乗りこなしてしまいたい。

御歳50は超えている母親はすぐ、バラィティ番組やドラマで納得がいかない展開を目にするとTwitterを開いては自分と同じようなマイナスの意見を抱いているツイートを探して、見つけては安心するという妙な癖を持ちます。
私はそれを笑いつつも、ある時実写版ソニックの映画を友人と見たときになんだこのクソ空虚な原作との関わりもようわからんストーリーはと評価が一致したのにも関わらず、大衆的な評価は大体3Dモデル作り直して良かったねぐらいの賛意がほとんどで、自分達と同じ意見の者をなかなかTwitterやレビューサイトに見出せず二人不安になったことがあり、人のことは言えない。
何よりもユニークにたった一人しか抱くことのできない孤独でしっとりとした感情と、大体は大味で理解も容易くそれだけで誰かと分かり合える気がしてカラッと晴れてはいるものの決していつまでも続くことはないノリ。
きっと画像リプライはこのノリの方に位置するのでしょう、誰かがもう既に作ってくれたもので感情の代替をするのならそういうことになるはずです。
感情の複雑さを誰にでも飲み込めるように大味にして、そして実際ありふれている画像を使うことでそれとなくそういうノリであるということをリプライ欄を見た他のユーザーにも波及させて。
ならそれに対抗せしめるは私たちの感情を丁寧に文章化した140字!
…とはスワイプでは打てども、実行が難しいことも極めて理解できます。
推し絵師の絵はなんかもう、良さを指摘したら全肯定の賄賂赤ペン先生並みのここ好きを全部伝えたくなりますし、推しには、その、感情全部伝えたら絶対引かれて嫌われるというか、キモいと思われたくないというか、いやでももう手遅れな気もするというか…というか自分で昔送ったマシュマロ読み返して恥ずかしさで心象がヘクタールで焼けたというか…。
ああ、感情は難しい!本当に難しい。
でも絶対ノリよりも強い力が感情にはあるはずで、大体上手いと呼ばれる表現者達は自分のクリエイティブに適切に思想や自らの感情を盛り込むからこそ鮮烈かつユニークにその世界に存在するはずなのです。
SNSでノリ過ぎない程度で感情を使いこなしたいです、一応は私だってものづくり好きのはしくれですから!
どれだけそこが居心地が良く孤独でなくても、透明な嵐の中に溶けて消えていきたくはないでしょうよ。

それじゃあおやすみなさい。

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