2021年5月26日水曜日

2021/5/26

 

こんばんは、人都です。
今日は一日家にいないとならないリモートな用事を3件こなして、在宅とは思えぬレベルに気疲れをしていました。
就活地獄ですね、まさに。
ついでに卒論関係の書類も作って、履歴書とか資格の勉強もして。
唯一の癒しはマクドナルドの新メニューにありついたことぐらい。

持病の関係で私は絶対に顔を触ってはいけません。
無意識で傷跡を全部皮膚ごとえぐる可能性があるので。
だから肘をついて頬杖とかもダメだし手のひらで顔を覆うのもいい顔はされないし、とにかく顔の周りに手を持っていったらいけない。
全くもって困った体質です。
私が一番皮膚を傷つけてしまうのは自分にとって意識のない夜で、深い眠りに落ちたとしても多分勝手に爪が皮膚を裂きます、起きてからまたやりやがったなと思うわけです。
別に自分が嫌だからとかそんな気持ちで体を傷つけるなんてことは絶対ないし、基本的に痛いことも辛いこともまずそもそもの体液も何事よりも嫌いなのに無意識が勝手に体を壊そうとして動くから、頭を抱えてクソ苦い薬でむりやり超健康状態を維持して神経ごとごまかしなんとかしようとしている。
自傷を好んでする人に私の破壊衝動を分けてあげたい、世の中は不平等で神はいなくて効率が悪い。

無意識は敵です。
無意識とは何歳になっても行動がシンプルで、その分凶悪なことを全ての過程を無視して割り込んで行使する。
これが冴えた勘とかひらめきならいくつかは愛せるのに、無意識という言葉にはどうにもいい印象がさっぱり無い。
どれだけ装って、行動を制御しようとしていても漏れ出た無意識がすべての積んでいた成果をぶち壊したことが何度あったか。
潜在的な物なんてクソ食らえで、頼むから頑張って作った社会性ある私を壊さないでほしい。

無意識という言葉をニュースで耳にするのは、少しナイーブな分野でもある差別等に関してが多いような。
差別は無意識のうちに判断をされることで、認知の誤りによって引き起こされてしまうからこそ根の深い問題でだからこそ教育の分野は早いうちから差別問題への学習を行なうべきだという論説も聞いた気がします。
つまり無意識とは小さなころに学んだことや何を快不快、良し悪しとするのかという前提が強く組み込まれているのかもしれません。
常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいうなんて、定番も定番なアウトローの暴言ですが無意識はもっと幼い時代に学んだ快い衝動のコレクションに基づいているのではないかと思うことがあります。

こんな事を言うと本当に家が焼かれそうですが、多分根本の根本から言えば無意識に従うことは社会的には破滅していてもその瞬間だけは脳が喜んでいるのかもしれません。
僕を子供にかえしてよ、なんて歌う斎藤和義の歌詞のような一時的な幼児退行のような無意識。
無意識でやってしまったなんていう殺人も、無意識で言ってしまったような絶交も無意識だからという事で許されることなんてない、その無意識の責任も当人は絶対取らないといけない。
人は誰しもガキの頃の自分をまやかしであやしてご機嫌を取りながら、生きていく他に無いんでしょうか。
それでも肌をボロボロにして肌の異常な防衛本能を満たして喜んでいた頃の時代のかゆみに勝てなかった頃の自分を抱えたまま生きていくのは、つらい。
でも常に意識を保っていたら多分発狂してしまう。
無意識と意識の間で、衝動と理性の狭間で、極端になって自分を壊さないように生きています。
人ってとっても面倒な生き物ですよね。

ゼミの資料に手間取るとまともな文を書けませんね。
それではおやすみなさい。


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