こんばんは、人都です。
思い付きで一切画面にタップせずに解いていくパズルゲームをインストールして、ひとしきり遊んでからアンインストールしました。
あとは書類を提出して説明会を受けて、電話対応してゴキブリを倒しました。
家の中で一番手際よくゴキブリを倒せるのが私です。
朝はパン、昼はビビンバで夜は肉を食べました。
明日はマクドナルドの新商品の日です。
あとはVRoidでいつも通り自撮りと新商品開発をしてました。
VRoid、まだまだブルーオーシャンなので全然作りたいコーデ用のパーツが無いんです。
「歌ってみた」という分野を、たまに少しだけ恐れることがあります。
いや歌ってみた、というかオリジナル楽曲のカバー文化ぐらい大きなものへの気持ちかもしれない。
何が怖いのかと言うと、オリジナルよりも先に本来とは異なる誰かが歌うものを先に聴いてしまった後で、その曲を「カバーした人の曲」と認識してしまうこと。
昔のインターネットやうごメモのような、どう考えても打ちっぱなしみたいなカラオケ音源ならともかく、もうその気になればDAWとか落とせてMIXの勉強も受けられるし依頼の宛も恐らくたくさんある中で、今において恐ろしいことに「オリジナルよりも好きなカバーソング」という概念が生まれやすいんですよ、多分。
オタクの中にはかなり濃厚な定番文化として「イメソン」の存在があります。
歌詞や曲調をキャラクターの生の有様や時にカップリングのようなものにまでなぞらえて脳内のMADかPVを作ってみたり、時にはニコニコでよくあるような特定のネタ寄りの曲を公式に数字を代入するように出力するポップな妄想であったり。
世代的にうごメモを通過していると、このあたりの話はすごく飲み込みやすいと思います。
そしてそういった下地がある中で、現在のインフルエンサーはSNSでおおよそキャラクター化しているという流行があって。
これはバーチャルにとどまらず、リアルな有名人やいくつかのインターネット一般人もその内に入ります。
TRPGのキャラクターシートを作るように、pixivでオリジナルキャラに萌え要素のタグ付けをするみたいに、実在の人間にもある程度固まったキャラクター性や自分に求められる振舞いとかを把握して、期待答えの半分と失望防止の半分でインターネット人格を紡ぐのですね。
そうしてそんなキャラクター化していく者たちが今度はカバーソングを歌うようになると何が起こるのかといえば、そのミディアムレアな人々のキャラクターソングかあるいはそれこそイメソンになってしまう。
特にその曲を自分がまだ知らないで聴いてしまったのなら、もう取り返しがつきません。
音楽もアートも漫画も、噛みしめて味が出ることすらあってもそれらを一番の輝きで得ることが出来るのはそのコンテンツらにはじめて会った時ですから。
一番初めに聴いたときが一番攻撃力高いです、音楽。
カバーした者の文脈の中に知らない曲が記憶として組み込まれたら、私にはもう平らな気持ちで原曲を聴けないわけで。
特に私はアイドル系のコンテンツににはめっぽうハマれた試しが無いので、実際多くの出会いの場をカバーソングに食らわれています。
当然出会えない事よりは、出会えたことの方がずっと有意義ですけれど。
それでも、そのカバーしたタレントを実際すごく好んでいても、やっぱり一番に聴くならオリジナルでありたい。
下手をすると丹精込めて、多くの研磨を経てこの世に生み出された音が本来のその作った本人ではなくて、カバーした誰かの曲のようにすら思えてしまう。
これはとても怖い。
ただ例外としてニコニコ歌い手最盛期の頃や今のKING、ダーリンダンス、ヴァンパイアみたいにカバーを複数人が課題曲のように投稿していくというみたいなムーブメントはあまりこの例にはハマりません。
それはそれでザ・流行りものって感じで曲への思い入れというより、そのニコニコの代入的イメージソングの系譜なので存在の立場は視聴者側からしても逃走中パロやロンパパロみたいなあるあるたすかるシチュエーションお題程度の感情になります。
これがちょっとメジャーどころじゃない、思い入れやリスペクトが過分に含まれる愛の塊をオリジナルより先に聴くことが怖い。
「ヒアルロンリーガール」をうっかりカバーから知って、オリジナルよりもカバーの方が好きだと正直に思った時、私はこういうことはタイムラインではとてもじゃないけど呟けないと感じました。
リスペクトがあってだからこそこだわって作られているのでしょうが、オリジナルを聴いても何か物足りなくなってしまって多分ZOCのファンからすれば冷ややかな目線の対象でしょう。
曲には音以外の物もあります、その曲が作られた過程も歌詞に紡がれた経験も、試行錯誤を重ねた音の選びや調整の汗もその全てがオリジナルには含まれている。
そもそもオリジナルの物を作り出すことがどんなに困難か、クリエイターの切れ端ならば知らないわけがない。
そんな成果物はオリジナルから聞いた方がいいに決まっている、youtubeはダメでもすべてのニコニコのボカロカバーは本編前に強制的にコンテンツツリーの源に飛ばせてくれ。
全く知らないアーティストの曲を「○○ちゃんの曲」みたいにしないために、原曲からまず知りたい。
それでも愚かなのでyoutubeの自動再生機能に身を委ねれば、知らない誰かのオリジナルソングのカバーが大量に聞こえてきて、ファースト認知がドンドン変えられていく。
本来この世にタイアップ以外のイメージソングなんてない、無いのに、それでもお願いダーリンは未だに認知で御伽原江良の曲のままで、不可思議のカルテは出雲霞の曲のまま。
エモいでは終われない問題なのに、もうこのイメージは絶対に変えられないんですよ。
曲を勝手に誰かの一部みたいにしてしまいたくないのに、出会ったら記憶はもう変えられない。
こんな気持ちはわからなくていいです。
おやすみなさい。
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