こんばんは、人都です。
朝から今度はさやかちゃんのドッペルを解放するための素材集めに奔走していました。
ところでマギアレコードのこの「ドッペル」というシステムはストーリーをかなり進めたうえで最大段階まで育成することでようやく使うことの出来る、言ってしまえば超高難易度チャレンジぐらいにしか使いどころのない過剰な威力を持つド派手な技です。
そしてこのドッペルは、まどか☆マギカのネタバレを避けずに言うのなら「魔法少女の形を保ったまま魔女としての呪いを放つ」技でもある。
まどか☆マギカは私が小学生の時に摂取するにはあまりにも大きなコンテンツで、既に私の価値観とかそういった根本にすべての影響を与えた作品です。
絶望と希望、幸福と失いは例外もなく表裏一体で常に均衡を保っているという世界の摂理的な観点もその一つ。
願いという希望によって作られた魔法少女と後悔や絶望から生まれる魔女という呪い。
現実と創作の区別ぐらいはつけろ、と言われてしまいそうですが私の中の価値観にはその観念が深く刻まれています。
常に不幸な状況は持続しないし、幸せな世界はどこかで必ずぷつんと途切れてしまうけれど、それは何か凶悪な異常が邪魔をしているわけでもなく、ただただ自分の落ち度や思いがけない時に撒いた種によって日々変わり続けている。
これはちょっと思想の強い話に依ってしまいますが仏教でいうところの「因果」的な考え方です。
何がが起こる事には必ずその理由がある、簡単に言えばそういう法則みたいな話です。
まあこの理論は完璧というわけでは無く、例えば絶対的に手元の狂った黒い事故やいじめなんかのような一方的に受けることしかできない事象についてこの話を持ち出すのはあまりにも残酷すぎる。
そもそもまどか自体も魔法少女に待ち受けるシステマチックな残酷って感じでしたしね。
全てが自己責任だと気づきましょうっていうのが良くも悪くも仏様の考えだと私は宗教校卒業生的には考えています。
神と仏の違いとは?って聞かれたときはだいたい、奇跡を起こしたり作るのが神で、気づかせたり知識を施すのが仏って思ってください、そうするといろいろ考えやすいでしょ?
言うて私はそんなに信仰信仰しない人なんですが、長年いろんな宗教について専門的に学ぶ必要があったこともあって基礎教養ぐらいにはいろいろなものの基礎ぐらいは把握しているつもりです。
あと一応何か1個詳しいメジャー宗教があると新興カルトに付け込まれることが減ります、誘われても言い訳ができるからね!
まあそんなこともあって私は合理的だという考えの元、まどか世界の希望と絶望の相転移の考えは気に入っていて心を落ち着かせる一つの思考としています。
基本的に全ての事象にはそうなってしかるべき理由が付きまとい続けるのだと。
何か悪いことがあった時は、自分が必ずその責任の一部を踏んずけているはずなのだと。
そうすれば何かどん底に悪いことがあっても、私たちは魔女化するわけではないのでどこかにその原因があってそれさえ潰せば次の事故は抑えられるチャンスにできる。
物事の良し悪し全部に理由がある、と考えるのは過剰だと思われるかもしれませんがある種では救いでもあります。
必要以上に環境だったり、他人だったりを憎む必要を気力から失えることとか。
自己責任は最高の救いで人生の責め苦になってくれます。
ありがとう、まどか。
起きたらもう十時で天気は良いのに、もう朝の散歩という時間では無くなってしまいました。
夕方の説明会が終わった後に少し遠くの古本屋へ歩いていくとそこでは「20冊まで何冊買っても500円」なんて破滅的な企画をやっていてうっかりとまた蔵書を増やしてしまいました。
ああまたやってしまった…と帰り道に20冊持ちながら収納のことしか考えてなかった。
朝は少しおしゃれなエビアボカドのサンド、昼はチンパスタで夜ご飯はちらし寿司。
アニメは「ザ☆ウルトラマン」の一話、映画は「デス・アシスタント 死の人工知能」を見ました。
うるせぇ!私はオタクなのですぐ関連ワードに惹かれるんだよ!
感想はこれです。昔流行った「siriによる殺人教唆」が刺さる私みたいな人には刺さると思います。
明日は朝から就活イベントです、ああ今日も書きたいの量の文が書けませんでした。
不完全燃焼ですが、おやすみなさい。
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