こんばんは、人都です。
就活が終わってからの更新はこれが初めてになりますね。
最近は私は予定が無くても長く眠る事が出来なくて、壊れかけのけたたましい目覚まし時計よりも高い精度で目を覚まします。
これは面白い話なのですが、予定にぎちぎちと詰まっていたものを払いのけてしまうと逆にソシャゲってしなくなるんですよね。
私は来年の4月からは社会人になります。
専攻分野の関係で年間の自殺数と労災の降りた人間、退職者数の相関を見て絶望しながらレポートを書いていたりはしましたが、一応社会人になれます。
長袖のリクルートスーツを着て新宿や高田馬場をハイヒール大爆走する生活とはおさらばです。
内定のメールが来た時、ちょうどその日もオンラインの説明会の準備中でしたが受け取るなりガッツポーズで身内に報告しに行ったら、男性アーティストオーディション番組が佳境なので話を後にしてといわれたこと、しばらく忘れません。
基本私の身内はところどころの思想は強いものの、ほとんど全員が温厚にサブカル的です。
それでも観客を多く入れるコンクールに出まくるまぶしい妹とは姉であることを恥じるし、何となく家族の中でも劣等感は感じてはいます。
どれだけ自信のある分野があったとして、それを表に出さなければ実績も場数もなく履歴書の片隅に個性の一色としての効果しか持ちませんよね。
私にとってのものづくり趣味は全部それですから、インターネットでどれだけ暴れたところでリアルでTwitterの話なんてするわけにもいかず、ただ時間が虚無に消えているようなもので、でもそれ自体が私を救うのでやめられない。
そりゃあちょっとだけなら身バレしそうなニッチな分野の大きめな実績はありますが、ニッチゆえに対面でそれを説明するときは必ずルール説明から始めないといけない。
それに比べてスポーツは?サークルは?音楽は?明るい壇上の、誰にでもわかる実績がある程度表現しやすくて、そしてそのせいで今まで知らない世界からやってきたような同級生と並び立つグループディスカッションというものはとても残酷な比較でした。
私が今まで頑張ってきたことも、自分を売り込もうとするPRも、人生のルーツすらも全てが創作活動に帰結していて、協調性やリーダーシップや企画力といったことになんとか結び付けようとしたって、人事の人にとって採用にあたる費用対効果や将来性のわかりにくい人材は60分という縛りの中ではあまりにも理解に苦しむものだったでしょう。
分かりやすい、そういう意味で量産的な人間になれればよかったとは思いました。
それでも私の創作活動が遊び以上の熱を帯びていたことは確かで、いくら人事の人に「そちらの方向へは行かなかったのですか?」と聞かれても趣味ですと虚言で割り切りながら、自分の人生のルーツには脚色を施しませんでした。
美大に行けるほどのセンスや勇気はなく、インターネットで成り上がれるほど実力やブランディングはままならず、分かりやすい技術を武器に壇上に上がることが出来ないことを悔やみながらもできるだけ悟られないように、ふざけたやつが来てもいいと思われて露骨に面接が雑談ムードになったとしても、ものづくりは私の根幹にあると言い続けていました。
50社以上は落ちたと思いますが、それでも何とかはなりました。
ちなみにちょっとだけ弱音を吐いて助けを求めてしまった面接は落ちました、自助のレベリングはまだまだ必要みたいです。
感情のコストを費やさせてしまったのに申し訳ない。
私は創作に携われるようなクリエイターにはなれませんが、社会人になってからはある意味でニッチな物を作る仕事に就く予定です。
出来るだけ死なないように生きていきましょう、私もそれになります。
そしていつかは志望動機に嘘をつかないように誰かの価値を創出しましょう、私この言葉何回打ったんでしょうね。
おやすみなさい。
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