こんばんは、人都です。
今日は朝から全力で怠惰して、パズルゲームに没頭しながら日程調整をした日でした。
なんならめんどくさくて朝飯を抜きました。
夜はエビのてんぷらを食べたので満足しています。
外にすら出てない!この空は過去に静岡で撮った空です。
私は何かを組み合わせるのが好きです。
それはパズルゲームはもちろんそうだし、全く異なった分野のコラボレーションが好きなのもそう。
クロスオーバーも好きだし、VRoidのコーディネート趣味もある種全く違うブランドのパーツの組み合わせが楽しいという点があります。
いや、そんな組み合わせ自体が好きな人って多いんじゃないですかね。
これと相反するのは完全なコンプリートや統一された美しさ、最適化された機能性、そして完全なるオリジナルなどになるでしょうか。
オリジナル、そしてつぎはぎのありあわせ。
私が意図的にちょっと変なものを組み合わせてそれを好むのは、少しだけ完全なる独創性の欠如による劣等感もあります。
出来る限り面白く、他人のした事のないような楽しさを得たいとは思うものの残念ながら私には自分がユニークであると言う自信はなく、知性に溢れた含蓄やうんちくも一般人のそれよりは劣っていると言う自覚があるのですね。
私がインプットを本なり映画なり外出なりで常時求めて止まないのは、そんな自覚があるからこそ少しでも既存の素晴らしさからフックを見つけて、何かと何かを掛け合わせて発想にするための材料集めだったりします。
おかげさまで基本私は作りたいものも描きたいものも語りたい物も絶えず、自制材料であるタスクがなくなるとほぼ創作欲出力バカになるのですが、それらのクオリティや作品としての完成度について聞かれると適当に誤魔化す他にありません。
しかし、ただのオタクが単なる趣味で作り上げる物語においてはそこに最強レベルの利点があります。
なんと、誰にも怒られないんですよ。
それだけでクリエイターとかいう立場をぶん投げる価値がある。
そこでキャラ崩壊だとか整合性だとか、なんならそんなキャラをどこかで見たとか倫理的にやめろだとか最悪なんかの見覚えのあるジェネリック医薬品を出しても誰にも怒られない。
どうしようもないゴアセックスやおいを書いても絶対に見せないので誰にも怒られない。
誰にも見せなければ肯定されることはありませんが、同時に否定されることもない。
それはハレルヤです。
そもそもな話、私はキャラクターデザインが本当に好きですがその由来も過去によくやっていた「きゃらびいとクチコミ適当に開いて指の当たったところの性質を三つ選んでキャラを作る」だとか、「国語便覧や電子辞書に載っている作品のあらすじをキメラして今日の授業中の妄想ストーリーを作り出す」とかが由来になっています。
つまり全員要素キメラです。
無からひょっこりとキャラクターがやってくるなんていうことはまず存在せず、天啓も全くなく、いつだって自分でアナログな診断メーカーになりながら要素をキメラしています。
他にも北欧神話に出てくる若さを司るイズンという女神とシヤジという巨人の話に興味を持ったのに、彼についてのネット文献が全くなかったから、超体格差の現代おねショタにして妄想の足しするみたいな、検索の限界なところで無理矢理創作の桶にぶち込んで創作ヅラをする事があります。
なんなら逃走中におけるハンター一号機とゲームマスター・月村サトシの関係性に爆萌えていたのに関係役者が薬物で捕まってほぼ無かったことにされたのにバチボコにキレた時、こうあって欲しかったわ!!!という感情で薬物へのヘイトを混えつつ、アンドロイドと人間のの主従一次創作を描きました。
最近はバラメッツという羊の形をした植物の怪物に興味があって、ゾンビや供物に無生命の反逆といった内容を絡めてテーマパークで幼女以外が全員迷惑被るパニックものを描けたら面白いなと思っています。
だけど結局こういう創作って割とありふれてるし、「オリジナルです!!!」という顔をするには弱いんですよね。
というかギリギリである。
それに一応表では得意分野が可愛い女の子と服関係である私なので、あんまり性癖というか自分が欲しいだけのニッチ人外ものに合わせる事が本意の創作はまともにストーリーと一緒に絶対出せない。
オリジナル、オリジナルってカッコいいです。
この世に無いものを作り出せるって、そんなの生きていることに意味がある証明みたいじゃあないですか。
クリエイターの名に恥じない、あなたがいなければこの世にはなかったものがあるということ。
ヒラ人間のリスペクトは所詮は後追いか、ねじれた二次創作にしかなれないので、誰かにとっては冒涜であるし、まず自分しか救えないんです。
何にも新しくはないものを、オリジナルと同じ香りを求めてキメラをして作るのは焼肉のタレをありとあらゆるものにかけて焼肉を食べた気になろうとしている事なんですよ。
もしくは他者にキレてアタシのシマではこうなので口出さないでくださる!?!?という気持ちになった時に一番衆人危険領域な創作をしたりします。
クリエイティブってもっと何か崇高で尊くないといけないような…。
まぁそんな調子なのですから、基本的には私は色んなコンテンツを食べまくってはその栄養価の混ざり合ったツギハギの排泄物の創作をしています。
ある意味で思考の新陳代謝、とでも言いましょうか。
何かを食べて、臓器を尊さが巡ったり比喩的に反芻をしたりして、便器雑記帳に漫画を書いて満足してすぐに捨てる。
実際捨てた後は達成感でスッキリするので、やはり排泄なのかもしれません。
しないと体調が悪くなるという意味でも排泄なのかもしれない。
無から何かを作る調理人のようなクリエイターでは全くありませんが、消費者という立場にあってもそんな思想の新陳代謝すらしっかりしていれば怒られそうな私の創作は私の心を助けてくれます。
ただまぁ、こんなことをしていて「コンテンツの食いつぶしだ!」なんて言われたら、それはもうごもっともなわけです。
お前が気持ち良くなるために作った作品ではないと怒られてしまいそうですから、その謝りの気持ちとして私はお金を払います。
金銭は信用の象徴であって税の書類で困っても腐るようなものではなく、人を支えるのには一番手っ取り早いし金が嫌いな人は観測史上いません。
正直なところ私が単に応援や感想の気持ちである独自性のないファンアートは描けるのに自分の創作要素を足し合わせるような二次創作になると途端に恐ろしくなるのは、誰かの崇高な無垢を私のどうしようもない発想で汚したくないからです。
少し前に二次創作でギャグ漫画を描いて、私の旦那はそんな事をしないと夢女子に怒られてからというもの、そういった二次創作がどうも怖くなってしまいました。
オリジナル、人生で一度はオリジナルの何かを作ってみたいです。
名だたるアニメやマンガに小説、映画や音楽たちのような輝いた創作物の美しい存在自体に憧れています。
そしてそんなものを作れる人たちに対しても尊敬をしています。
人生は早死にしなけりゃ長いのですし、考える時間はいくらでもあるのですから気長に天啓でも待ちましょう。
そしてそんなコウノトリ兼天啓を待ち望むために、要素キメラと感情反逆な創作を繰り返してそれなりに絵を描けるようになっておくつもりです。
この極論が本当は誰にも文句の言われないものを作りたい、とかだったら情けなくって手の施しようもないのですが一応はまだオリジナルへの憧れはあるのです。
そういうのは天才児の美大生たちのお仕事?まぁ…そうかもしれませんね……。
美大生への劣等感、どこかでちゃんと絵を習おうとするか死ぬまでなくならないかもしれません。
でも私にもオリジナリティは欲しいです、私のオリジナリティってなんなんでしょう、よくわかりませんね。
ミソッカスというバンドの「マッドシュリンプス」という曲を聴いてみてください。
youtubeに公式で音源があります。
去年解散したバンドです、私の好きなバンドは大体すぐ解散します。
とあるサイトのインタビューでこの曲はうっかりとRADWIMPSに似た曲調で作成した事を逆手に取りかなりメタな気持ちをぶっちゃけて作詞されたという事が語られています。
英語でシュリンプとは当然エビのことですが、そこには取るに足らないちっぽけなものという意味もあって。
「あぁそれでも 追い求める そうまだ見ぬ 僕らの音」
完全無欠のオリジナルなんて多分もうどこにも無いのかもしれませんが、それでもオリジナルやオリジナリティへの信仰を止める事ができずにどうせ死ぬまで物を作りますよね。
もし本物に私にオリジナルを作れたのなら…その時は1人で食い潰してしまうつもりです。
あぁ、でも何か形にして発信しないと2番目の人に思いつかれてめんどくさい気持ちになっちゃうかもな、やっぱり私にはオリジナルは難しいかもしれません。
こんなどうしようもない文章もある意味では情報の新陳代謝ですよね。
絶対にオリジナルという概念が存在しない、私から出た鯖!
それではおやすみなさい。
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