こんばんは、人都です。
今日は「グノーシア」というゲームを購入しました。
久々に時間を忘れて謎解きなんてしましたね。
謎解きだったり、パズルだったり、私はそういった矛盾や違和感を突いて真実を解き明かすようなものがとても好きです。
こういった趣向の基礎には恐らく「リアル脱出ゲームTV」であったり「天才テレビくん」あとはゲームブックなんかの存在も大きかったような気がします。
今でこそ「謎解き」みたいなものは小学生は元よりパンピにも熱いコンテンツですし、きっとそのあたりで一番力を持っているのが「quizknock」とかの集団だったりするんじゃないでしょうか。
というか私は既に東大生であったり京大生に関しての感情は早乙女学園あたりに向けるものと大して変わりない。
テレビやyoutube、ネットでバズる人のことはほとんど同じ次元の生物だとみなしていません、というかみなしたくない。
それもこれも思想の理由は大抵が「同級生」という呪いに由来します。
こんなことを言いたくもないが、私の身内及び周囲の人間は何かと出来すぎた方たちばかり。
人の良い部分ばかりが目に付く事を美点だという事もできますが、その反動は倍以上の劣等感です。
そしてそれを助長するのは人生の経過ターンが等しいことを知らせる年齢という国際尺度。
多分どれだけ未熟で青く、不健全で醜く愚かであっても、若さには倫理さえ破壊しなければそれらすべてを「これからは気を付けてね」と許してくれるという優しさがある事でしょう。
それは裏返してしまえばだんだんそれらが溜まる中「この歳で、今まで何をしてきたんですか?」と問われる恐ろしさも内包している。
家族が言う「へー、この子トトと同い年なんだ」みたいな言葉に怯えている。
自分が誰よりも努力してないのにのうのうと生きてきたことが分かっている。
テレビや雑誌に光るそれらの中の「( )」の数字が21であれば、その輝きと理知の塊はだいたい私と同じぐらいの頃合いに産まれて、育って、色々な経験をした上でその場に立つことにふさわしい力量と魅力をその身に湛えたのだという事になる。
私は今まで何をしてきたかといえば、なんというかぱっとせず実に平凡で、他人に示すような強い切り札も人脈も得られずに最低限の恥ずかしくない品性だけをぎりりと伴って社会人になりかけています。
じゃあ努力をしなさいよ、してはいます、ただ同じ資格試験に2回落ちて受験料を払う気をいよいよ無くしている、クズ。
別にカルチャーに目をやらずとも、そして卑屈でなくとも周りは確かに輝いています、MARCHの友達、空手の黒帯、バズった壁サー、スーパード早い内々定。
こんな嫌な視野だから私は年齢の分からないインターネット系の技術点の高い人と会うたびに願ってしまいますね、どうか同級生ではありませんように、と。
不遇であるときにアフリカの子供と比べられ、逃げをしようとしたときに24時間テレビを見せられるそういう、そういう育ち方をしました。
私は21年生きてきた割に、とってもつまらない考えを持っているせいで同級生から距離をおく、そして別のオモシロでその無味に香料をばら撒いてどうにか味があるというふりをしておきます。
今日は予想していた通りに起きた時刻が遅く、夕方に説明会や書類を片付けたり、筆記試験の対策とか以外はフリーだったので先述のゲームのチュートリアルを終わらせたり先週買い込んでいた本を漁って置き場に悩んだり、昼寝を決め込んだりしていました。
寝ている間に見た夢はここ最近で一番鮮明で、そしてあまりに衝撃的で数日忘れられそうにありません、すっごく恥ずかしいから。
朝ごはんは卵かけ、昼は白飯、夜は焼き鳥を食べて、おやつには粗塩のグミなんて妙な新商品を食べました。
映画は見ませんでしたが、「しゅごキャラ!」の三話を見ていました。
そういえば今日はエヴァンゲリオンの最新映画の公開日でしたけれど、私はその履修を取っていないのでアマプラの一部公開も見る予定はありません。
でも世間のワーキャーに乗れないというのはとても寂しいことですね。
明日は絶対に映画を見ましょう。
今日の文章は荒いなあ。
おやすみなさい。
0 件のコメント:
コメントを投稿