こんばんは、人都です。
最近雑念が多い時を見つけて部屋の整理をしているのですが、なぜか大量の本に紛れて大昔の観光地のパンフレットやアニメイトのフリーペーパーが部屋の様々な隙間から現れます。
今はそういった物を本当ならばとっておければよいとは思いながらも、あまりの貯蓄量や見返す頻度の低さといった点から仕方なく廃棄に回しています。
ただ思うのは、こういったある意味誰もが捨ててしまいそうな多く刷られた印刷物にも、掲載されたコンテンツによっては多分喉から手が出るほど欲しいと感じる人もいるのだろうなという事です。
実際、ディズニーランドとかああいったところのパンフレットは割と蒐集家が多いような気がしますし。
またああいう捨てられることが前提の紙面で行われていたような著名人のインタビューって、なんかSNSのつぶやき以上に儚い気がして特に興味のない人でも割と目を通してしまいます。
紙好きの懐古気味なオタクの困っていることは、それらの紙束がとにかく「かさ」というか、部屋を的確な重みをもつ容積で圧迫していってしまうことですね。
積み重なったフリーペーパーを見返す事なんてどうせ一年に一回もないのですが、中途半端なもったいない精神がそれらの邪魔をするんです。
中途半端なコレクターはいろいろな物をため込む割に、そのいずれもの保存状態が雑であるためにメルカることは難しいんですよね。
それにそんなペラペラした物に対して手間暇や手数料、対応のそれなりの丁寧さの必要も考えると普通に金得る以上にめんどくさい。
いうてインターネット中毒で、活字を人より読むとは感じていても液晶を見ている方がずっと多い依存症ですから断捨離を考えると部屋の中の物はほとんど捨てられる。
色々なオタクをしていながらも、割と大切な物は少ないんですよね。
消えてほしくない物はもう会えない人との思い出が絡むものか、閉店したショップで買ったものとか、誰かにもらったそれでないといけない物ぐらいです。
例えば中原淳一のエッセイ集とか。
SFではやけに生命がデータになりたがるというぼんやりとした偏見を持っていますが、こういった整理をしていると生命体はデジタルよりアナログの方が都合がいいと感じますね。
アナログは選んで失おうと思わなければ劣化しながらもそこに居座るのに、デジタルはふとした誤操作で行方不明になったりしてしまう気がします、まるでモニカを消すみたいに。
中がぐちゃぐちゃだからちゃんとすればそんなことは起こらないって、それはそうなのですがね。
そうやって大して参考にも出来ず一年の経った公募ガイドやアニメージュ、BayFMの番組表を捨てながら、必要なものを少しずつより分けています。
重病患者としては何も必要が無いのに散財をすることで心を落ち着かせる節があり、そういったロスもまあまあ本棚には存在します。
買うことで満足して積読すらも見下したような文の山があります。
基本的に私は行う事のほとんどが雑で、学生時代の友人にすら絵の教えを乞うたらもっと丁寧に描けと言われたぐらいにすべてが感情に任せた衝動です。
服を脱ぎ捨てて、文を書き捨てて、数時間描いた絵も割と簡単に捨てます。
なんならベットの上にあるぬいぐるみにも計画性は無く、その瞬間は絶対に大切にしようと思うのにそのうち布団に巻き込んで寝るぐらい雑に扱う。
その瞬間を過ぎてしまうと、なんにも興味がわかないんですよね、とても良くないです。
多趣味かつ広く浅くたまに極端に深いどうしようもないオタクは、こういった雑念ごちゃごちゃの自室で生活をしています。
ですが、まぁ好きな物が何にも物質に無いよりかは幸せなのかなとは思いますけども。
意思のない物質には好きも嫌いも感情も存在しないなで私が選びさえしなければ、そこにずっと存在するということが大好きです。
マギアレコードで今一番好きな集団である「ネオマギウス」のイベントをしているのですが、主人公にはなりえない少女たちの劣等感と幻肢の薄暗い百合になれない重たさのオンパレードで陰鬱すぎて嬉しいです。
今日は朝から起き、web面接を受けて自分嫌悪botをしていました。
アニメはしゅごキャラの続きを見て、映画は「キックス」という最悪治安の街の中で一つのかっこいいスニーカーに運命を揺るがされる少年の物語を見ていました。
闇のファッションコマーシャルって感じで、尺も短くてサクッと見られたのでかなりおすすめです。
あとは本を立たせる為の小道具を買いにショッピングモールに行って、通信制限にかかってヒップホップを歩きながらぶつぶつのまま歯切れ悪く聴いていました。
朝はパンで昼はラーメン、夜はとり天を食べました。
とり天は大分のソウルフードです。
大分は本当に最高の街です。
それじゃあおやすみなさい。
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