2021年3月10日水曜日

2021/3/10

 

こんばんは、人都です。
今日は10時ごろに起きて寝すぎた、と思いながら遅めの朝食を摂り、情報整理をしつつ次のマギアレコードのダメージ量依存戦に向けて育成周回をしたりしていました。
私は朝を苦い薬でようやく目を覚ますぐらい寝起きが悪いです、校外学習の時に寝ぼけて最悪の対応をして友人と険悪になるぐらいには。
別日の説明会の用事を今日だとギリギリまで勘違いし、仕方なくコンタクトレンズのサブスクの新しいものを取りに行き、そのついでにpopteenの最新号を買いました。

昨日見た映画ですが「ハッピー・デス・デイ」の主人公は繰り返す一日を必ずその段階ではほとんど初対面の青年のベッドから始めることとなるのですが、そんな一日のあるシーンにその彼の部屋のドアに貼られた標語に対して悪態を突くシーンがあります。
「今日は残りの人生の最初の日」という言葉に対して、ですね。

人なんて、別に健常でも病んでいても平等にいつ死ぬか分かったものではないことは確かです。
斜に構えたインターネットの人は「死は平等」なんて言って草を生やすんでしょうけど。
創作の世界や娯楽オカルトなら死の先にはボーナスステージのように何かがあると信じますが、実際の私の死生観的には死んじゃったらもう何もかもがそこで終わりだと思っています。
元々の素養ではある仏教的には「輪廻転生」なんて概念もありますけど、あれは生まれ変われてハッピー、というよりうちらは生きるっていうクソデカつらみから逃げられないっていう本来遠ざけるべきでも逃げられないものって扱いで、もし私が次に行くとすれば餓鬼道な気がするので考えません。
私は死は嫌です、まだまだいろんな物をやり残しています。
あとこれは二次災害的ですが、私がアホのように作り遺した絵や文を身内に変に解釈されることは一番嫌です、私の人生で美少女を汚すのはなによりも嫌すぎる。

「死」という衝撃的な喪失に対して、たぶん人は誰しもなにかしらの考え方を持っていると思います。
あんまりこんな話はしたくないですが…この一週間は何かと目を逸らしにくい残酷なドキュメンタリーとその事実が流れる季節であることは確かです。
そういった物を見るたびに私は「未来を見ていた」文脈を持つものの死が自身との距離感に関わらず最も苦しく感じます。

鮮明な未来は、苦笑するぐらい自虐まみれですし、就職活動中にも関わらず五年後の私がどうしているのかなんてことは頭痛がするので考えられません。
でもとりあえず、基本的に私は欲深くて執心深いので気になるコンテンツはもちろん食べたいグルメ、そもそもコビット禍のせいで出来ない物事を完遂するまでは意地でも生きていきたいと思っています、マジで。
生きていたってあれが出来ない、これがしたいなんて考えで埋もれている毎日なんですから、今ぷつと意識が途切れたらそれこそ未練で化けて出られそうです。
いやいや死んだら真っ暗なんだから、そんなことすらたぶんありませんよ。
死ってつまんないです、少なくとも私にとって。

今日は映画は「モンブラン殺人事件」を見たのですがあんまり刺さりませんでした。
あんまり時間が無いので今日も短めです。
おやすみなさい。

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