2022年2月6日日曜日

2022/2/6

 






こんばんは、人都です。

お久しぶりの更新ですが、またあまり快いことを書かないことを許してください。

本当にこの場所が肥溜めのようになっていることを案じてこそいますけれど、本来は絵よりも文のほうが気楽な私には重い悩みは絵にぶつけるよりも書き出す方が安眠剤になるのです。


私の親が昨年から今まで見たこともないぐらいにメンズアイドルにハマっています。

アイドル…というと漠然としていますが漠然と刺せる他にありません、強いて言うなら私がアーティストとアイドルを分けるポイントはその歌唱担当が作詞作曲を兼ねているかどうかです。


そしてなぜ私の精神がぐらつくほどに気が滅入ることがそれに起因するのかといえば、母親がそのグループの「統計班」に属していることにある。

ガチ恋ではなく特定の推しを作らず箱全体を母親らしさをスライドさせたように愛するというのは、私の考える推し活とは少し不気味で異なるけれどもそれを闇雲に否定をしたいわけではなく。

聞く音楽がいちいち大音量であるとか生活空間に同じ曲が流れ続けていて室内でもヘッドホンが欠かせなくなっているというのは些細なもので。

私はパソコン関係に少し造詣があるというだけで、その母親の統計の片棒をゴーストライターの様に担がされている事が苦しい。


そもそも悲しいかな嬉しいかな私は地上波のテレビに映るようなアーティストの推しは持ったことがありません。

それらはいわゆる同級生との話合わせの「履修」であって本当に好きな音楽は大抵がインターネット、たまにTSUTAYAでジャケットに惚れてレンタルしたバンド。

その多くは解散か不祥事をしましたが。

しかし女子校の中で確かに高ヒエラルキーの集まりは同時にジャニーズやEXILEに対する同好の系列を汲んでいることも多く、ぼんやりと陽のドルオタは毎日のテレビ番組がある限り生きている事が幸せでいいなと達観拗らせの腐ったいち高校生は見つめていました。

これは個人的な推測に過ぎませんが…インターネットに自撮りを載せることに抵抗があり影のアーティストはネットで光のアイドルは現実で会いに行けるという違いから、容姿を整える気合が変わってきて、同時に自尊心も磨かれていて彼女たちが錬成されたのかもしれませんね。


話が逸れてしまいましたが、一般的なコンテンツの推し方というのは一番に好きをエネルギーとした消費活動であると思うのです。

その次に共感や恋慕や目標や支援などがその消費の後ろにマーチのようについていくような、少なくとも私はコンテンツを節度を保ちつつ美味しく頂きごちそうさまを言うことが推しを推すことであると思っている。


だけれど育児を終えた世代で初めてオタクになった母親は少し違う、恐らくそこに一番に来るのが支援で。

それはいい大人としての第2第3の息子か孫を見つめる眼差しと、余裕のあるファンにしかできない行為というものがあるのでしょうが、全ての推し活の1番の目的が支援に繋がっているというのが私には理解が難しいのです。

AKBがかつて議論を引き起こした、CDに伴う人気投票券や握手会券とオリコンバグと権利目的の多売は既に尽くされた話でありましょうが…一周回ってCDを大量に購入しているだけでトホホな話ならわざわざブログになんてする必要はない。

むしろ私の親は推しにほとんど金銭を費やさず、イベントに行っても物販で一品、リリースシングルは飾るために一枚という静謐ぶり。

じゃあ何をしているか?youtube及びサブスクリプション各種の回転をなによりも重視し、Twitterで特定のワードを特定の時間に連投することでトレンドに入れるため下書きにひたすら言葉を連ねている。

そして同好の志持つものとグループDMで集い、リンクからしか飛べないクローズドなリストや多種アプリを組み合わせて1番再生数を増やしyoutubeの定期的な再生数修正力に抗うための「統計」を日々行なっている。

ついにはそれの結果を公式にメッセージとして完全な好意で送ろうとしているらしい。


テレビに出るようなアイドル公式にネッ凸するだなんてvtuberに自発挨拶リプライだけで動悸と眩暈がする私には例え好意でもよくわからないけれど、母は確かにそれが1番推しのためになるのだと考えている。

しかしその統計をするのは、多く私の役目であり活用しているExcelも私が裏でうだうだ言われながら計算式を打ち込んだものであって、いくらありがとうと言われたりお礼にと食べ物をもらったところで、精神的なわだかまりは残っています。

私がなぜこんなに複雑な気分で文章を打っているかって、今日そのyoutubeの同時再生を統計で私がヘマをして、ひどく説教を食らったせいで。

プログラマーが上から言われなかった要件定義を言ったはずだと後から怒られるようなミスをしたのだと思って下さい、私には伝えられていないことで今回の母親の統計はポシャってしまいそれで深夜0時に母さんカンカン、言い返したい全てを押し留めてひたすらにいつも通りに謝って、深夜。

母親がこれでみんなに迷惑をかけるでしょうと怒っている、なら自分でやればよかったでしょうにどうしてとも言いたいけれど母からすれば私の手柄は母親のもので私のミスは母親のミスになるのでしょう、インターネットなんかやめて地元のボランティアに戻ってくれ私に他のコミュニティの責任まで負わせないでくれと心の底から祈っている。

そもそも好きな曲を無音で大量に流すことがどうして愛であるといえるんだよ?

生活を捧げてまで再生数を稼がないと支えられないグループを本気でこれから何年も推していけると思っている?

ニコニコ動画なら工作のタグをつけてしまいたくなるようなそれを…。

いえ、人の信じる道を娘がどうこう言ったって無駄です、経験があります。


私の親には私を適切な年齢まで育てた恩があり、不安にはなってもタコピーほどではない今までとこれから終の戸建てを買うつもりだけどまさか出て行かないよね?のプレッシャーがある、ただオタクは現状部屋の殆どが本棚であり冗談抜きでもうどこにもいけないのも真実。

毒親の家を脱出したことを意気揚々と語る可愛い服の絵描きの年上オタクをボーッと眺めるだけの社会人内定身分。

感情の豊かさを多くデメリットとして悩む私を作った母親は更に感情の起伏と声と誇張が大きく、近年は父を小馬鹿にしてはよくわからないことで私たちを叱りそしてはじめてインターネットとオタクを始めて。


最近になって人の幸福を祈ることもエゴだと思い始め全てはただ存在する事を吸うことしか無いと考え始めた私からすれば、母親の推し活は逆にTwitterをはじめたばかりの中学生のように若々しくてまだ自分がインターネットで何か物事を革命できると信じているのかもしれない、私もうごメモからこちらは少し自分の可能性とか何かを信じていたけれど、今は推しへも世界へも自分では好影響も悪影響も与えないであろうというぐらい全てを明るくそんなものだよと軽く消費するライトなオタクをしている。

母親はいつか自分がインターネットで割と何者にもなれないことに気づいてくれるだろうか、あまり考えたくないけれど誰かのためにと行なったことが全て不祥事などで裏目に出たり裏切られたりした時に、推しを失ったり肯定できない物事が起きた時、一体その成熟した人生経験で何を考えるだろうか。


ああ、でも人は笑顔でいると寿命が伸びると聞いたな、なら母親の人生は長くなってその分のマイナスを私に貰えているのかもしれない。

純粋に一番最初に誰かをマイナス感情全くなしに好いている時しか出ないインターネットハイみたいなものをしているのかも。

これって私がカゲロウプロジェクト中毒だった頃の客観視なんじゃ…?


オタクは生き方でインターネットは住処。

私は歪んだ骨盤とオタクの諦念を抱えてどうせ社会人になってTwitter辞めようとしても、新しく裏アカでも作るに決まっているというぐらいにはこのネプリーグのラストステージくらい極端なトロッコレールを修理することは諦めています。

自分は社会と現実のジョブ的役職以外は何者にもなれず、ただ毎日のように生産される美少女コンテンツを啜って人生をやっていくんだろうな、現実の辛さを全部誰かの創作で誤魔化す優しさはこれからどれだけに気が狂って理解のある彼くんがスポーンしたところで代替は必ず効かないでしょう。


私は母がアイドルを推してTwitterの個人アカウントを持ち始めた頃は、政治や陰謀論や宗教でインターネット徒党を組まれるよりかはいくらかマシかと思っていましたが、まさかここまで思想化して割を食うことになるとは。

本当はもっと言及したい詳細な勘弁してくれポイントは数多くあるものの、それをいうと私が母親の推しのアンチみたいになりますからどうか詮索は控えてください。

別にそのアイドル自体は普通にすごいパフォーマンスグループだとは思うけれども、毎日毎日聴き過ぎて飽きとうんざりとノイジーさが上に来て、それでも頑張っているこの人達自体はは何も罪はないから耐えるんだという気持ちで大人の平らな対応をしています。

同じ曲を何度も聴き続けている(youtubeはブラウザ内リピートが再生回数に含まれないのでリスト化する)はずなのに、なぜ親は一切飽きるそぶりもなく好きを繋いでいるのか、それが愛なのでしょうか、きっと私には無いものですね。


形はそれぞれでしょうがせめてみなさんの愛は出来る限りご自身の手で、そして関係のない人を巻き込んで過剰に害さないでくださいね、人都トトというよりもオタクとインターネット駆け出しの親をの持ってしまった娘からのお願いです。

でも最近流行りの黒人民族にお祝いを代行してもらうやつは結構おもしろいですよね、やっぱり私にはまだお気持ちは早過ぎたみたいです、たはは!


おやすみなさい。

2021年12月22日水曜日

2021/12/22

 

こんばんは、人都です。

しばらく更新日数は開き、また私のリアルにもそれはそれは色々な山場がありました。

そんなクソ忙しい中でも都内を所用で飛び回り、あと大分にも4日間帰郷していました。

あとフェアリースフィアというゲームにハマったのに突然動作がされなくなり泣く泣くアンインストールしたりということもありました。

それとカフェインを体に入れ過ぎて明らかに体調とメンタルをぶち壊しTwitterアカウントごと破壊したりもしていました。

まあ今は全ての山場が落ち着いて比較的心穏やかに製作を行なっているところです。

あと推しのVの集団企画の続報が出たのでエタの不安を一個消すことが出来ました、純粋に楽しみですね。

あとクリスタの新規払い込みを忘れないように!これは私に向けてのメモです。


Twitterには「トレンド」というページ項目があります。

こんな前置きを書かなくても基本的にこのブログの入り口はTwitterにしかないのですけれど、まあ家と鈴のマークの合間に挟まった虫眼鏡のタブが検索機能をつかさどり、そしてトレンドやトピックスなどもそこに提供をされるわけです。

しかし恐らくTwitter運営には情報を選ぶセンスはないと私は訝しんでいます。


私からしてみれば、そこに提供される記事などは何というか簡単なライフハックならまだしもあまりに中立性に欠けていたり、見出しで閲覧を一本釣りして中身が薄いまとめブログのようなものまで望まなくても混入してくることが多いように感じて、稀にこちらの地雷すら踏み倒してくる。

ただし、今は問題はありません、持ちうるアカウントの全てのトレンド表示をアイスランドに変更し割合緩和されていて、日本の最新トレンドを目に入れずに済んでいます。

要するに一応自衛の手段だけは用意されているので、恐らくこのスタンスをTwitterは取り止めないよという無言の思想があるのでしょうが。

Twitterやインターネットは、小学生から触れ始めたような若輩者の私でも近年にかけてやはり利用者が増えてどんどん公的な事がオンラインで出来ているようになってそれはもう一つの情報社会として生活と密接な距離を持っています。

ええ、逆に言えばインターネットは逃げ場としての役目をどんどん果たせなくなっているとも言えますね。

倫理に著作権に性的欲求に嘘、暴力、密告…いくつかはネットの人口が増え燃え上ってこそいますが、これらはデータの世界が明るみになればなるほど「常識的に考えておかしい」の世界の中に取り込まれ、正しく淘汰をされたはずです。

むしろビックデータの中を回遊魚のように泳ぎながらも漁りつくす「警察」だっているのだから鍵でもつけない限りは承認欲求に折り合いを付けつつ上手に逃げることは難しい。


そしてTwitterにおいてその「常識的」が最も可視化される項目がそのトレンド欄であるわけですね。

みんなが呟けば呟くほどにその単語が無感情に集計され、ランキングのようにして誰もが確認可能な形で積み上げられていく。

それはあくまで統計です、ある程度の企業の手回しやインフルエンサーの波及はあったとしても基本的には純粋に何が多く発言されたかという一点のみで構成されている。

だからこそ、その時一番民衆に衝撃を与えた報道やうわさが何の補足もなく、一番端的かつ剥き出しの形をして私たちの前に提供がされている、目に入れたくない言葉でも一目で分かる衝撃をご丁寧に、文字だけのブラクラのように。

確か腐りきったと言われるマスコミの中でもある程度検閲に関わらない程度に言葉選びのフォーマットや様式というものがあるものなのですが、恐らくなにか大きいもので規制できるほどそれに該当する柔らかな配慮及び規制というものは完全民意のメディアであるSNSにはほとんど存在をしていません。

肌色率の多い絵を規制したり、生死にかかわる言葉に相談窓口の電話番号を置くぐらいのことはできるようですが、私はトレンド欄に関しては本当にTwitter公式に選びのセンスがないと思っています。

Twitterは恐らく自分のことを広告代理店かなにかだと思っているのでしょうが、私からすれば流行りのメタバースはそもそもほとんどTwitterなのではないかとも思うぐらいここは世界なんですよ。

アバターがなくてもアイコンの絵柄でその人の人となりを把握するし、リアルタイム性で言えば他のアプリに追随は許さず、最近はそこだけで簡易的な音声放送や収益化すらも行える経済性も取り入れて、それがもう一つの世界でなければ何なのか。

一切の言論規制はない癖に市民の私刑と注意喚起がぐるぐると回る究極的民主主義世界と政治が下手な青い鳥の王様であるところのTwitterくん。


そもそも、一応ショップを開いたり依頼を受けている口で言うのも図々しいですが、私はインターネットにいるときはリアルのことを受動的に知りたいとまでは思わないし、必要になったら自分で調べることぐらいはできます。

でもこんな風にトレンド欄を毛嫌いする人間がいるのとは打って変わって、アイドルやアーティスト(特に女性向け)はむしろ様々な手段で特定の単語を特定の時間に連投することでトレンドに自分たちの推しを入れ込んで他者への認知を図り、それ自体を何らかのお祝いにしようとする文化が流行していますよね。

そんなことをしてどうするんだと言いかけそうになりますが、実際billboardのようなSNSや再生数を入れ込んだオリコンとは全く違う方向性のランキングが存在するからには強い力があるのでしょう。

しかしそんな形で実際に民意は作られてしまう事実はあって、インターネットの時代の流行あるいはトレンドってちょっと今までとは言葉の意味が変わってくるのかもしれませんね。

表示される国の選択やミュートワードを上手に使いながら、これからもインターネットで生きていきましょうね。


おやすみなさい。

2021年11月27日土曜日

2021/11/27

 

こんばんは、人都です。
とはいってもその名前の付いたアカウントを今日爆破しました。
人都もひとどめもです。
理由は何か悪いことをされたわけでもなく、突然に精神の中でここ最近で最悪レベルの対処できない不安がすべてを占めてしまったことによる余計な弱音を吐かせないための対処です。
確かに労働はつらいけれど、それは大した理由ではありません。
ぶどう糖もクエン酸も肉も何もかもが無力な、世界のすべてが自分のせいで迷惑していると感じる瞬間の絶望で全てをメチャクチャにしそうになったのですね。
大切な物を壊した後にはっと正気になって、頭を抱えるのは部屋の中の物理的な破壊行為でも人間関係でも耐えられない、なら可能性を全て安全装置のように切り落として私が正気になるまで待つべきだと私は思った。

私は青春の多くの時間をネットの中で過ごして、それと同時に私の本性が擁護できないほどに弱弱しいことにも年を経れば経るほどに成長せず、その足りなさをただ増していきました。
実は原因もなく、それでいて恐らくに共感性が他人より高いせいで簡単に誘爆してしまう困った気性は本当はいつもなら正しく処方された錠剤で何とかしていたのですが、ここのところそれらを切らしたことが恐らく今の精神状態の要因です。
しかしながらネット生活が長くまた他人に影響されやすいと「病み」それ自体が全体範囲を射程とする毒となることも自覚が出来ている。
だからそういう時、誰も攻撃をせずにこの不安と絶望と不信と加害感が早く去ってくれと願うとき私は神様の存在を信じて祈るほかに無くなります。

スピリチュアル、陰謀、オカルト、エーテル。
存在それ自体がぼやけていて、感化されたあれそれは存在しても質量のない笑い飛ばせそうなそれにすがるのは、それがくだらないエンタメと知っていて…本当に誰も傷付けないためには脳内の中の光みたいなものを信じるしかない、手段を全て無くして万策が尽きて、それでも何か手を尽くさないと無努力で吐きそうになるそんな時に神様という定型文は便利なものです。
何もできない無力感、それの多くは共感によって第三者的に感知してしまった侵害や破壊の気配に強く存在しているからこそ、宗教という奴は西暦前からデジタルな今までに一度も絶えずに存在してしまうのでしょう、人が思考してしまう限り。
人は自分の責任だとか過去だとかを全て投げ出して、春風の布団ぐらい大きくて暖かく輝いたままに包み込んで枕を濡らすものを拭ってくれる無責任な人権のない存在を求める。
しかしこれが脳内の光と私だけの孤独な空間ではなくて、形のないものへの経済性を間に置いた搾取がちらついてしまうから宗教だとか祈りは胡散臭いと呼ばれるのだと思います。

この世はどれだけの努力と環境の整備を以てしても、必ず乱数的というか究極のアナログの揺らぎからなる運や今まで人生の舞台に一度も現れてきていない今更の新キャラといったどうしようもない要素であっけなくデコピンぐらい簡単にはじけ飛んで、台無しという結果を引き起こします。
この世に過程から結果が収められたデジタルの結果以外でまず100%は存在はしなくて、努力やちまちまとした交渉でそれらをどうにかやっとの思いで80%に寄せていくのが失敗せずに生きていくモデルケースであるのではと考えてもいるぐらい。
だから常に基本的には人間は誰しもが不安です、杞憂ほどの派手な発狂を伴わなくても手持ち道具の忘れやUSBメモリの破損、祖父の残された寿命のように一瞬の不可逆的な損失で全ての計画が壊れることに誰もが怯える、その震えを少しでも止めるために色々な技術と発明がある。

そういった不安が全ての対策と予防線を追い越して心と認識を乗っ取って体を痙攣させたり、赤子のはじめてから犯罪予備軍のような粗暴な言葉までを嘔吐のように声帯を乗っ取って発語させようとする、そういう症状がある。
自傷的な衝動が少ない代わりに、その怒りやままならなさを他者に向けてしまう可能性が少なからずあるからとにかく自分を狂的に見せながらもきちんと首輪をつけて時折絞めてやらないといけない。
寂しい時に寂しいと言い、苦しい時に苦しいと言って人を対応に困らせた経験は私にもあるけれど、正直回答が帰ってきて即効薬のように気性が収まるわけでもなければ、私の変な面を見た人はリプライの対応を明らかに困らせてしまう、めんどくさいやつとも思われて有効度も下がっているかも。
それならいなくなってしまいたい。
今にじさんじがVtuberのオーディションでもしていたら一般社会人の内定持ちなのに申し込んでやろうかと思う程に、私を投げ出してしまうことに抵抗がないぐらいどうしようもない。
私がいることで誰かの感情を過度に動かすこと自体に嫌悪感があって、そんな狸の皮算用から逃げている。
存在しない神様にこの不安を誰も傷付けないままに取り去って、そして推しに全て幸せをと思う気持ちだけでようやく吸って吐くことを取り戻すみたいに。

人の幸せを望み、いいねも押しづらい悲惨さに対して祈る何の質量も証明の効かないことばかりを繰り返して思いつめた先で得た助言は「お前は暇だから他人を心配することで満足を得ようとする」というどうしようもない真実でした。
やらなければならないことはたくさんあって、毎日いくつもそれらを片付けつつ追われて無様に走っている中で誰かの不幸に心を痛めて助かってほしいと思うのも恐らくは私の深層心理では足りない自信を埋めるための一部のパーツなのかと、最悪の気分ですね。
誰かを大好きという感情すら自分の為に使うなら、本当に嫌になる。
ちゃんと生活をしていて、働いていて、みんなを尊重して言われた通りにやって、誰も傷付けないように、誰にも迷惑させないようにやっているはずなのに、私がいることで結局誰かを消費して頑張らせるなら私はいらない、そんなことさせたいわけじゃない、幸せを祈ることだけがもう私にしかできないと思ってもみんなは不幸になるだけ、なにも。
どうして誰も幸せにできないんでしょう、才能も努力も無く暴力をにらみつけるだけの本当に無害だけど無益なまま、せめて幸せは無理でも少しでも不幸を減らしたい。
ごめんなさい、無理なんです、何もできない。
私なんてどうでもいいから、承認欲求でもなんとかアピールって呼んでもいいから幸せを祈っています。

おやすみなさい。

2021年11月24日水曜日

2021/11/24

 

こんばんは、人都です。
最近マギアレコード関係で色々な人に絵を見て頂けるようになりましたね、まどかは人生なので嬉しいです。
期間限定イベントが足フェチの女で同好の士としてガチャを回しましたが全く出てきません。
リンゴのぷよぷよは難しすぎます。
あとははじめて令和3年の100円玉を手に入れて喜んだりしました。

証明書を発行されていないだけの「それ」なのではと常に自分を疑いながら、社会で頑張ったり課題をしたり趣味の製作をだらっとしていると気づけば一年も終わってしまいそうになっている。
最盛期よりも無駄でバカで冒険に満ち溢れたことをしない、当たり前のマイルドヤンキーに回帰していると一週間はすぐに終わって気が付けば給料日になって、そして来月の話題を脳に受けるように時は流れていく。
今日だって働いては来ましたが…良くも悪くも大きく個性を出す必要がなくまた裏方仕事も増えつつある今には数時間なんて気が付いたら終わってしまうのですね、早く帰りたいとも思いますが常に魔法少女収集用に金を求めていますから資材補充とかで数分でも粘って分給を得ようとする真面目に不真面目な始末です。
コロナ禍は嘘のように消えていき、ワクチンを受けられなかったり遠方の教授以外にはキャンパスライフも戻ってきて朝もそれほどのんびりというわけにもいかなくなりました。

世界は常にオモシロいことで溢れているのは検索癖からも分かってはいますが、それを私が行動に移すやる気が元の三割程度に減衰しています。
ここでいう世界というのは私の観測の中にある環境と人の全てを指します、私以外の全てが美しいなんて言ったら一昔前のボーカロイド曲のようですが薄々として私にはそういう思想もある。
なら、自分が醜かったり汚かったりあれらと同じ光に向かいたいならば尚更それらと交わってインプットを行なうべきではないかと思うのですが、残念ながらそんな気力も正直なところ失われています。

所詮は自分に失望をしているけれど腹が空くのはやめられなくて、ずっとマクドナルドとコンビニの沢庵とチキンを同じものだけ食べている。
マクドナルドは金が無ければスパチキを買い、余裕があれば季節の辛い物を食べて、全ての気力が失われている時には炙りダブルを食べることをプログラムにしているので冒険も何もあったものではないのですね。
この現状を変えようとマイルドらしい行動の圏内でウィンドーショッピングやらコンビニの吟味をするものの、結局はびっくりするぐらい同じメニューしか選べなくなっている。
今はヴィレッジヴァンガードに行っても何もワクワクしないので、自分の感性の脳細胞が死滅しているのではと慌ててもいます。
世間では創意工夫の凝らされた様々な新商品や新連載が満ちているのに、知っている味以外を拒絶でも許容でもない脳死で選ぶという雰囲気もなしに手に取る度に何となく負けている気持ちになる。

そこで今年の1月4日に書いていた今年の目標を見てみよう、全くもって達成できていない、これ破滅か?
暗い話をしてもあまりつまらないからして、これらを照らし合わせていきましょうか。

・ひとりぼっちでクライナー飲む

クライナーといえば私にとってはyosumiとワニのヤカの「groomy」の歌詞に登場したりVRCで訪れたバーチャルクラブの床に散乱していた記憶が強いアリスの童話ぐらい小さな瓶のお酒です。
それらはカラフルな液体かつ確かドイツの出自で、キャラクター調の目があしらわれたパッケージが特徴的なクラブ通いのVの陽キャなオタクがこぞって飲んでテンションを揚げるものという定義になっています。
残念なことに私は体質としてクラブに行くと耳が大変になることを経験しているので、もう二度と行けないのですが経験としてそれほど楽しくなれる飲みがあるなら普通に日本酒やらワインやらビールやらを飲み漁る人間として感情だけでもハイになりたいと考えて目標設定をしたはずです。
しかし行く先々どこにも売っていないのですよね、あれはクラブ以外だとどこに住むんでしょうかあまり行かないけどドンキにいると聞いたことがありますね、遠い。
私は食品とロボットは極力リアル以外で買いたくありません。
とりあえず年末までには何とか探して購入して飲みましょう、卒論明けとかに。

・ドラクエと桃鉄

今年やりこんだ据え置きのストーリーの強いゲームがグノーシアぐらいしかありません。
なぜ人は絶対にやらなくなることを知りながらこういうパーティーゲームを購入してしまうのでしょう、バーチャルじゃないのでゲームするコラボ相手もいない。
そもそものグノーシアは「一人人狼」とも呼ばれることのあるAI系のCPUとやり合うゲームシステムなので優しいですが本当に極めてぼっちです、ストーリーは本当に素晴らしいのですが。
こんな調子なのでまだダイパリメイクは買えそうにはなく、この目標を年内に攻略する望みは極めて薄そうです。

・背景用サーバー運営

これは唯一どうにかなっているかもしれません。
「資料共有部門」というサーバーを立ち上げて個人的にコンスタントに背景の練習をしながらそれなりに多くの参加者と共に無言の情報交換をしています。
ついでにこれをきっかけとしてTwitterでの検索機能の使い方がまったく無駄なリテラシーと共に向上しました。
それと同時に政治やら思想やら宗教やら教本ビジネスやらの検索汚染とも往々に戦っているのですが。
あれらはブラクラよりもずっと怖い!青鬼がかわいいぐらいです。
戦うと言ってもリプライ欄で論破をするわけではなく、時にブロックを使いつつ見なかったふりで避けることが一番の正しい手段だという事も強く感じています。
正しさバトルはどの分野においても地獄なので能力値と肉体が関わらない争いごとに蓋をするというのは決して無為ではありません、感情は有限なのでどうでもいいとこで疲れると好きすら見失います。
あとなんでみんなプロフィールに誘導をしたがるのか。
ただ今年に入ってトレンド欄や通知欄で勝手にTwitter運営がまとめブログのようなことをするのには若干うんざりしていますけどね、眼中に社会問題をいれさすな!
私はネットに遊びに来ていますから。


・資格

これも若干はやれました。
ITパスポートを突破して、今は基本情報の自動採点機能のメールを見ないふりをしたところです。
基本情報は午後が難しい、本当に訳が分からないのできっとあと二回ぐらいは受験するような気がします。

・映画漁り

近所のTSUTAYAは貸し漫画屋と化し、本当にサブスクに淘汰されてしまって中高生ぐらいのワクワクは見る影もありません。
その代わりにアマプラとhuluでアニメや映画をいくつか漁りました。
私よりも天才肌で音楽家のたまごな妹も非常に海外の映画を好いているので、共有しているサブスクの視聴履歴はグロゴアSFとおしゃれな洋画と韓国ドラマが混在しています。

・アニメ

今季ポプテピピックしか見てません、マギアレコードとオッドタクシーは追いましたよ。
いよいよ闇芝居は見なくなってきています、あれの予算はどこから出ているのですか。
リアタイではありませんがようやくサブスクでlainをしっかりと反芻して周回遅れに感動をしていました。

・企画展特攻

まどか展と大好きな現代美術家である宮島達男さんの企画展には行きました、あとは忘れた…。

・ヘッドホン

買う前に身内にもらってしまいました。
誕生日にそこそこいい質の物を頂いたので、買う必要もなくなってしまった。

・サウナ

よく考えたら生まれつき皮膚に問題がある人間が公衆浴場に行くのは難しいのでした。
プライベートな温泉旅館併設ならまだしも、近所であればあるほどその難易度は上がりますからね。
普通に医師からNG出ましたしね。
でも一度でいいからととのってみたい、ジェネリックととのうでもいい。

・VRoidの髪

あれと私はゼミのクラスメイトぐらいの関係です。
正式版が出てだいぶ軟化こそしましたが、服に比べると圧倒的に和解が進んでおらずにヤクザみたいにぐちゃぐちゃのガイド線と撃ち合いを続けています。

・一次創作

無茶をいえ。

・Vtuber新人探し

一週間に数回は続けています。

・趣味探し

むしろいくつか趣味をやめました…。

・アニメイテッド欲しい

最近プライムの司令官を買ってしまいました。



ふくよかなハト。
終盤にかけて雑過ぎて100質の回答のようですがもう2時になってしまうので寝なくてはいけない。
ああああ久しぶりのブログなのに雑過ぎます、とりあえず残りの一年を悔いを残さず首も絞めずに生き抜きましょう。

おやすみなさい。

2021年11月10日水曜日

2021/11/10

 

こんばんは、人都です。
今更マギレコのハロウィンイベントを追いかけていますが、終わる気がしません。
ひたすらにアルバイトをしてばかりで創作活動以外に面白いことはほとんどありません。
基本的に体力の問題で朝からおやつまで飲食店で働いてはいますが、遅すぎた昼食を食べてとぼとぼ家に帰るとほぼ夕方になります。
昼ごはんはいつものバーガーです。
よふかしのうたがアニメ化するそうですね、とても嬉しいです。
あとはVRoidでキャラクターを作る練習もしています、髪テクスチャの実験を繰り返しながら。
ただ何かを作っている事だけがメチャクチャ楽しい。
今は酒でべろべろしています。
ポッキーの日に合わせたアイテムは結局リリースできそうにありません。

TwitterのTLには常に欲しいものと咀嚼をしたい最新の作品で溢れているのに、なぜかそれらの欲は意外と30分も経つと冷めるインスタントな安い欲です。
あの新商品がほしい、この改変はちょっと面白くない、誰もが待望したゲームにこんなオモシロが…。
その新しい情報を視認してからRTして、その直後は割と物申してみたり応援をしてみたりしますけれどそこに強い好意がなければ私は記憶にこそ残しても欲に跨る感情は全て勝手に消してしまいます。
まあ食べたら出す生物の摂理の情報版のようなものです。
むしろその全てを完全に咀嚼していたら、次々と降りてくる新たなコンテンツに埋もれてしまって身動きすら取れる気もしない。

だから、多ジャンルに渡って自分の激情を保ち続けるというのは、その見た目の滑稽さに比べると割合に難易度が高く選ばれた者にしか行うことが出来ないわけなのですね。
当然ながら、これはうぬぼれでも何でもありませんしどちらかといえば熱しやすく冷めやすいのが私の基本の特徴です。
たまに不本意に哀れみを向けられますが、好きなジャンルのどれもこれもの展開に待ちの時間が長いのはそんな飽きを引き延ばしているという意味でも身の丈に合っているというわけです。
むしろメジャーなジャンルにハマると自分がオタクをしていることに不要感や最適化されていない印象がして勝手にドロップアウトしていくのが常です。
他のオタクに美人の夢女子が多いからジャンルを離れようとか何度もしてくるぐらい本当に意志が弱い。

しかしそんな風に私がコンテンツを消費するなら、当然として私たちもインスタントとコンスタントが手を取り合ったまま作ったものを消費されていきます。
いや、仰々しく物質を費やすような言葉よりもそれはもっと刹那的で、ライブ感が強いあまりに見返されることなどほとんどないそれら。
きっとそれらを覆してスマートではないことをエモーションで補完できるのが俺の嫁とか推しの概念であって、そういうことをするときには基本的にクリエーター自身が消費者から愛着という奴をもらわなければなりませんよね。
アイドルが疑似恋愛を売るならクリエイターは疑似何になればいいのでしょう、憧れ?それとも先生か宗教やあなたと性癖の一致するクラスメイトの親友さん?
無茶を言わないで下さいね、今私には友達が本当にリアルにだれもいないのですから。
そんな人物が人から向けられた温かい感情をサービスにしたって上手にサーブなんてできやしないのです。
FANBOXを支援してくださってる人にはできるだけ報いを返したいのですが、全員がシャイで記事を見ているのかもよくわからずに感謝の仕方をずっと間違えているような気さえします。
そして少なくとも私はインターネットでは孤独ではありません、信頼を寄せてくれる方は確かにいて…その方々に恩を報いたいのだけれども現実で応用問題も解けないのだから顔も声もない人たちにどうすれば感情を返せるのかを極端に知らないのですね。

博愛や聖女、マジ天使の名の下に置かれる人々は極めてナチュラルで無害に思えるのかもしれませんが、普通のところ人に感情を向けるというのは非常に体力を使います。
その感情のカテゴリが憎悪ならその難易度はいくらかに下がるでしょう、人を褒めるよりも貶す方が簡単なのは各々の性別や性格に関わらず無意識の間違い探しだと考えれば簡単な話です。
フラットに人を愛して、時に感情に応えることが想像の何倍も難しいことか。
極端な贔屓にも無言に全員を払いのけるのもどちらもひどく覚悟のいることですが、そんな一般人が特殊な人を馬鹿にするときの「媚び」のその先にゆくありがとうの言い方がどんなに難しいのかを、私はまだこの歳になっても咀嚼しきれていない。
しかしながら作ったものが長く愛されるために必要なのは、埋もれないために取得すべきスキルは絶対に創作者自身への好意の有無になってしまう、リアルでも人の特別になれたためしがないコミュ障陰キャにアイドルになれというレベルの無茶!

私が何度も他者の過去のツイートを掘り起こして反応をするのは消費者として、コンテンツと共に個々の創作者に多大なリスペクトと応援と憧れの塊と好きという邪念があるからですが今後自分の作ったものが深く長く咀嚼されたいと願うなら、本気で私も他者の「推し」にならなければいけないし、その為に感情を還元するトレーニングも必要な気がします。
感情を寄せられるからには、誰一人として失望をさせたくないと考えるのは当たり前でしょう、単純に好きが裏返った時の嫌いの怖さも知っているというのもありますけれど。
ああいや、さすがに意識的に感情の掃き溜め炉になっているここで推してくれなんて言いませんよ、わたしはDV彼女ではないのですよ、無茶をいえ馬鹿か、好きになる相手はちゃんと選べ。
ここはひそひそとした読者と私だけの作戦会議なのですから、そこで何かを求めるのはずるっこさが強すぎるでしょう。
まあでも取らぬ狸の皮算用でもよいのですからして、誰かの「推し」にさせていただいた時今度は逃げずにちゃんと感情を還元できるか、好意のコストを倍にして返せるかというのは常々考えておくべきでしょう、自惚れではなく予防線とインターネット交通事故の保険として。
うーんでも私を推すよりは、私の好きな物を好きになってて欲しいような…卑屈かつ下手くそな形而上乙女心は平均の何倍も結論と着地点が作り出せません。
でも自分の作ったものにはプライドを持ちたいのは、私だってそうですからね!
とりあえず嫌われないように体操マットを一面に敷き詰めることから始めようかと思います。

おやすみなさい。


2021年11月7日日曜日

2021/11/7

 

こんばんは、人都です。
最近はピグワールドの色々な世界を巡っては恐らくは年下の、仲のいい知らない誰かたちを傍聴することを趣味としています。
それ以外はただただ働いているのですが、今はVRoidの服のメインプラットフォームであるboothでいつものクレカが使えないので購買欲求が満たせないままに何となく貯金の額は増えています。
秋から冬にかけては本当に起きることが辛いですね、部屋が北向きでもうそろそろベッドに湧くダニ虫を恐れなくてはなりません。
昼ご飯を食べるのは面倒でただコンビニの辛いチキンを何度も食べています。
そしてぼーっと鬼滅のアニメを見ながら強いレモンサワーを飲んでいました。
私の見たい映画というのは優柔不断なままに結局上映が終わるので、サブスクとかこういう手段以外で見ることはほとんどありません。
最近母親がボーイズグループにハマってイキイキとしたはじめてのオタク活動をしていますが、私は何度も同じ音楽がリビングルームで流されることもあって若干うんざりとしてきています。

「無力感」というものは私が生きてきた中で何度も向き合ってきた、透明でありながらも最悪の問題です。
それはとてもきっちりというのなら学習性無力感として言い換えられ、何をやっても現状も減少も好影響どころかその波長に触れることすらままならぬ、やるせなさとどうしようもなさへの漠然とした首を絞めるには足りない絶望として幼いころから隣人として着席をしていました。

今放映されているお受験物のドラマ「二月の勝者」では大量の宿題に飽き飽きとした子どもがカンニングを行なって、実力面での成績を落としていたことに対してあえて正解を取りやすくすることで成功体験を植えさせて不正のないやる気をよみがえらせるという展開がありました。
無限に増えていく代り映えのしない、どうせ解けないことを自覚する為だけの苦行よりも目の前の娯楽でインスタントな達成感を味わいたいという欲求を、基礎問題の反復で代替させることで無駄なく自己肯定感と無力感の解消を行なった、という考察を私はしています。
なるほど、確かにやったところで誰にも褒めてもらえない内職のような努力よりは誰かに対してボタンを押しただけで美少女に褒められて報酬をもらえるソーシャルゲームは無力感の解消には向いていますね。

何度も何度も困難に晒されてなにくそ負けないぞと思えるのは、基本的に運動部でメンタルを鍛えた人財か少年漫画の登場人物で、普通なら完全に諦めなどしなくともだんだんと妥協と折衷の方法を覚えてしなやかに背骨を曲げていくのが普通の挙動ではないかと思います。
世界はスカッとジャパンでもなければ突破ファイルでもないのだから、特に秀でていなければ搾取というものは続きその繰り返しの挙動は時間の経過以外の要因で解決などされることがない。

基本的に社会問題や環境問題のような壮大なリアルの物語をなぞる時、その結びの展開に決まって使われるのは僕ら一人一人の努力が大きな一歩になる!というような夢と希望にあふれた希望的観測です。
そもそもの政治的な選挙や音楽の重要な指標となったbillboard、ジェンダーや価値観のアップデートの中で年々強い意味を持つ署名サイトやクラウドファンディングサイト。
意外にも調べると「君の何かで世界は変えられる!」という呼びかけは審議を別にして溢れているからして、たとえ自分に価値が無いのだと悲嘆に暮れてもそれらのコミュニティを覗けばむしろ新参として拍手で迎えられるまでもの可能性がある。
それでも私は回される職務が全て汚れた部類ならただただ無力さに暮れてしまうし、助けようと声をかけるか迷った物が静かにうつ病の色のままネットの海へと溶けて動かなくなっていくときには感情の行く先を自責に向ける以外に無くなってしまう。
私は決して無能でも無個性ではないと叫び、私はあなたの気持ちを少しでも楽にしたかったと後悔する、無力感。

そもそも地球上にブルゾンちえみの調べ方でも男だけでも35億もいるような吐き気の催すオープンワールド、それぞれに個人情報ならまだしもキャラクター設定や存在理由にギフテッドを作り上げるなんてどんな一次創作狂いでもネタ切れは起こすに違いがない。
何か個性あるキャラクターを作り上げるときに使いやすいテクニックとしてあるのはキャラクターのイメージカラーの組み合わせの定義と彼ら/彼女らの欲望及び最も大切にしている物の定義になってくるものの、あれだけ感情が過剰なふりをしておいて私が本当に大事なものは自分の命と身内の安寧ぐらいしかない。
多分世界で自分が主人公であると自覚する人々はこの地点がもう少し崇高であったり、決してくすんだりしない自分だけの色を精神に携えたりするのでしょう。
私には少し余裕がある時も地球を守ったり世界を平和になんてできる気はせず、強いていうならTwitterのフォロワーさんと推しが心穏やかに笑顔で生活できることを祈る程度のもの。
有形でない祈りには当然質量もなければ、祈ったという事を証明できる事実も一つだってなく日々が過ぎれば忘れてしまう、そんな枯れ葉のような色だけが目に映えるだけの生きていない責任から逃れたカラカラの欲。
それでも無力感を多量に自覚しながらも自分から求めたり、報われたいと思うのは誰かの幸せと努力の結晶への正当な評価ぐらいな物で、主人公ではない透明でコモンで無力な自分を有能で優秀できれいな誰かの支えになれていると無責任に思い込むぐらいでしか無力感を誤魔化すことなどできそうもないのです。
生きている価値なんて壮大なものが道端の命にあるわけはないでしょう、それでも誰かのエンドロールに紛れ込める小さな文字の思い出されない記憶になりたいと思うことは何も為せない私のくだらない夢なんですね。
誰かの都合に合わせて生きていく、多分人って基本的にそういうのが大多数で私もその中で満員電車のエキストラをする、それだけの透明です。
許してください。

2021年11月2日火曜日

2021/11/2

 

こんばんは、人都です。
最近は正式版のリリースされたVRoidのことばかりを考えています。
火曜日は社会性の日なので一番私が取り繕いをする曜日です。
朝は早く、乗る電車はコロナ禍以前の寿司詰めを取り戻して当然のように遅延する。
昼ご飯はいつも同じ味のマクドナルド。

コミュニケーションが下手な人間というのは、どうしようもないものでそして妙に気難しく「そんなことないよ」の一言が欲しいわけでもなくただ脳からそのまま回線に繋いだかのように10秒で消すようなツイートを繰り返してしまいます。
私のことです、あとから見れば自分でもめんどくさいと強く感じて嫌になります。

最近気づいたことはその傾向が特に飲酒を行なった後に頻出しやすいという事で。
自慢にもなりえませんが、私は比較的酒に強い自覚があり度の強い日本酒をストレートで飲むぐらいのことを自粛中は連日行っていましたから、ある程度のアルコールは摂取しても正気を保ち続けることが可能です。
まあそのせいであまり胡乱な発言を強いお酒を飲んだことのせいにすることが出来ないという、一つの損はそこにあるのですが。
恐らく家系の遺伝であると感じますけど。

お酒を飲むと勝手に自主規制がほろ溶けて、結果として本性を現すことになるからこそ酔いの回った時の言動に注意しろというのははじめて飲み会に参加した時に説かれたアドバイスの一つですが、そのブーメランはようやく私の下に自覚して危害を及ぼすようになりました。
自主規制、社会性フィルター、そして誰かを不必要に傷つけないようにと選んだ単語の組み合わせの全てを自衛隊の防衛虚しく踏み荒らしていく怪獣のようにすべてを破壊して封印を解かれた汚いものが誰かを不安にさせていく。

私は美しくきらめく世界を好みながら、同じぐらいの質量で汚くどろでらな自分が苦手でだからこそこの全てを人に見せることはキッチンの三角コーナーをさかさまにするのと同じような物事で、そんなことに利益性は一つも存在しません。
嫉妬に劣等感に絶望に裏切りの恐怖に裏垢の悪口に目覚めたら大好きな誰かがいなくなることへの恐怖、そんなことをお前らが知る必要はどこにも存在しない。

可能ならできる限り美しく、何も汚さないようにして誰にも弔われずに溶けていきたいというのが理想論者の破滅思想がすべてを占めたときで、それらを続きの来ないコンテンツと汚いからこそ長々と生きるべきであるという諦念と時折わざわざ検索を掻き分けて見る落下死体の画像で醜く生き永らえているだけの木偶の坊というのが、ブリキにもなれない希望のパッチワークで傷口を結ぶ普通の人で。
本当に汚いことはこのブログにしか書きません、これを読んでいるやつの不快感まで今の私には思いやることは出来そうもない。
明るくてお馬鹿でちょっとスケベな偶然見ていた映画の話ぐらいの話題しか共通項のないどうしようもないクラスメイトのぬいぐるみを被ったままそれを棺に終わりが欲しい。

でも自分の絶望を時限爆弾と人質のようにして、他人からの愛という名前の付いた無限に見えるだけの資源を食い荒らすことはしたくない、ケニアでバラを栽培するために無為に組み上げるナイバシャ湖のように見えない有限の物を誰にも消費させたくはない、感情を濁らせたくもない、それは有限だ、私に使うな。
今日ストロングゼロを一気に飲み込んでいて、このメッキのはがれた錆び腐った言葉をTwitterに流す事が嫌でたまらないからブログに書き込んでいる、あの女と同類になる前にぶっ飛ばしてくれ私は君を傷つけたくなどない、何も忘れたこともない、彼女にされたこと一日たりとも忘れていない絶対吐いてはいけない言葉をたくさん持っていてすべてを泣きながらばらまきそうになるのを自己嫌悪で何とか頭痛に留めるだけ、私は誰も不幸になどしない大人の自覚のある当たり前の人。
いっそお酒を飲んで狂えたのなら、こんな壊れた気持ちになることなどないのにそれでも社会が嫌でそれを購入して飲んで、過剰に正気を取り戻す。
ぬいぐるみからペニスがなんていう残酷さを笑えても、ドレスの裏地が吐瀉物の編み物では誰だって眉を顰める。
ただ美しく生きていたいものです、誰にも迷惑をかけずに誰かを助けていたい。
寂しさも恐怖も、助けてほしいと主張する癖に形のない何かをアルコールよりも多い水で喉へと流しましょう。
水に流す、とてもいい言葉ですよね、こんな強がれている時の私が見たら適切な栄養価で殴りに来そうな文章も水に流してください。
私はすべてを愛せています。

おやすみなさい。

2021年10月27日水曜日

2021/10/27

 


こんばんは、人都です。
毎日のノルマを設定してからというもののせっかく付けたアウトプットの癖の比率をほとんどイラストかテクスチャかゼミの内容に委ねてしまって、ほぼ日と言いながらほとんど更新のできない状態になっていました。
まあ確かにあのようなことをしてからアカウントには少なくともフォロワーは100人以上増えたのですが、絵の更新をしていなければほとんどやる事なんて相互の支援かVtuberの拡散ぐらいです。
それぐらいでいい、私のパーソナルを深く知られることは失望への第一歩でしかないので。
そんな汚い只人よりも輝くバーチャルを見たほうがよっぽど美しい。
そもそもなぜか作業と生活のアカウントがVRoid用みたいになって妙に好かれていることにすらひやひやとしています、元々のコンセプト自体が鍵を付けない吐き出しの掃き溜めだったのですからあまり人に見せていい私ではないはずなのです。

私は自分でいうのもおかしな話ですが、美しいものや輝かしい何かに人よりも強く執着する自覚があります。
そしてその対象は割となんでもありで、私がときめきを感じることがただ唯一の判断基準であって、それはセンスオブワンダーと呼ぶには曖昧な目の眩みにも似た何かです。

私はほとんどの時間を誰かの人生の観客席にいるような気分に陥っています。
それはインターネットでもリアルでも、都内の360°のシアターよりもさらに鮮明な観劇を見ているようなものです。
私はその時々でペンライトを降ったり、名前を叫んで跳ねてみたり、その様子を書き留めたりしているかもしれませんがそこには大きな壇上への隔絶というものが存在します。

アニメーションは2次元でバーチャルは2.5次元で、私のいるここは3次元ですけれど決して、例えば生きている世界が永遠に歩けば太平洋に出られたとしても…そこにはいくつものラインというものが引かれている。
ここから先は踏み込んではいけない、勇気を出して飛び入り参加をして、また苦笑いで苗字で呼ばれ大人の対応をされるぐらいなら透明な観客になった方がまだいい。

美しさに執着するからこそ、自分でそれらを作れているときにのみ私は自分を肯定することができます。
その時だけは私も舞台で、いや額縁に足を取られながらも誰かの美しさを二次創作でもなんでも一応は認めていただくことができる。
それは対外的な承認欲求というよりかは自己肯定感の依存症のようなもので例えば大して反応がなかったり、そもそも投稿していない絵でもとりあえず満足が出来たならそこでドラッグのように数時間の安堵を得ることができるのです。
美しさや眩さ、ときめきと煌めきと全力の一瞬を燃料にして時代遅れのディーゼルのように、創作意欲の奴隷として人生を上位存在の操演に例える陰謀論の様に、生かされている気もします。

平凡なキャラクターの枕詞のように使われる「いつも元気で優しい」は結局色々な特殊な素性の者たちを慰める一つの技術で、とても一般の技能ではないことに年齢を重ねれば重ねるほどに気付きます。
私がいつもそれになろうとしても結局重ねるのは嘘と虚勢とおどけた仕草ばかりで、だけれど本当の素を出すよりはずっとマシだからとこれがやめられない。
ミソシタのように闇を受け入れて闇と共に生きる程に肝は座らず、にゃるらのように苦しみインターネットに生きながらも今までの特異な感情を作品に転化して発表できるほどの技術は無い。
むしろ闇に生きていることをずっと否定したい、健康的で明るく誰かの為に何かを出来る当たり前であるはずの人格になりたいのに不意をついて心配と自分への嘘とお前じゃないが交錯して、あまり飲みたくないものを喉にざらざらとする他に自分で自分に耐えられない中途半端な爆弾のまま。
私は正常であることに縋って、だけれど実力が無ければギャグをすることでしか人の目が引けないことも知っていて、常識人にも狂人にも完全になりきれないまま口裏合わせのコウモリの童話の様に何かよくわからない取り繕った三文で大根の一人芝居を続けている。

本当は主役になりたい、みんなみたいに踊ったり輝いたり舞台の上の世界でキラキラと手を繋いでみたかった。
過ぎた、諦めた、自分から降りてしまった、本当に低俗でどうしようもなくて身の程知らずな夢だと知っていて終わる手段を試したり自分で自分の頭をクソ殴る程嫌いでもそれでも最後の手段を選べないぐらいの想像力はつきある程度身内を思いやる年頃になって、終わらないまま進めないままずっとフワフワとして誰の邪魔にもなりたくないだろと人と距離をとりながら無様にも生きようとしている。
あぁ、本当に世界は全部美しいですね、私は人生の許せない何人かを除いてその全てを愛しています、それは薄い感情でしょうが汚なさと穢らわしさに塗れた私の最後の防衛ラインの様な純粋さです。
これだけは虚勢でない様に何年もかけて私に擦り込んでいます、自己暗示と言ってしまえばそれまでです。
自分を騙さなければ私はただの社会不適合者ですから、出来るだけ綺麗なふりをしていたいのです、嫌われない様に社会の濁流を清流であると思い込むための振り付けを覚えたいんです。


おやすみなさい。

2021年10月11日月曜日

2021/10/11

 

こんばんは、人都です。
またブログの更新が滞ってしまいましたね。
しかし本領は元は文字書きであったはずなので、それだけ他の活動や現実が充実しているという事はもしかしたら健全な社会的治療の傾向なのかもしれません。

最近はTwitterのトレンド欄を漁ることはほとんど新たな怒りの話題を見出すことに近いような感覚を覚えています。
女性関係に政治に創作者の冒涜に…様々な私刑と議題で溢れかえるあのコーナーにはもはや中立という言葉はありません。

それは確実に、例えば未成年者がTwitterを始めたいと私に言ったなら様々な要因から確実に止めに入るでしょう。
Twitterは恐ろしく危なく、3歩歩けば毒沼のダンジョンです。
しかしそんなことは私が小学生時代にアメブロがしたいと大人にごねたのと同じで、年頃の青少年からすれば口うるさくてめんどくさい存在でしかないでしょう。
端的に言えば、Twitterに未練を作ってはいけないから始めてほしくないという一つに収束していくのですが。

しかしながらそれとはまあ関係なしに、現実で成功していくやつというのはいつの間にかインターネットから離れていきます。
それは現実の忙しさだったり、コンプライアンスの順守だったり…そうして広報という意味合い以外のインターネットを自分から手放していくのです。
インターネットでしか知り合いのいない私なんかよりずっと健全な離陸でしょう。
どうせ人間は現実でしか生きることはない、SNSは所詮ごっこ遊び。

私という人間は大学生活が再開してもまだリモートのままで、話す相手は職場以外には身内と液晶画面以外に無く。
4年間の大学生活の半分は電波を介したようなもので、都心のキャンパスに行く面倒さを誰かが歪んだ猿の手で吹き飛ばしたようにただ変わらない学費の金額をにらみつける他に鬱憤を晴らす当てもなく。
自宅で模範的に過ごしながら、一方的に仲がいいと思っていた人たちの輝かしい告知の数々に絵文字で拍手を送るほかに生きている気持ちなど無く、それはもはやインターネットへの依存でした。
私だけは網状の文字の中で環境由来の言い訳を添付しながら、数多とあなたと同じ光へは届かない。

インスタ映えというのは揶揄されがちだけれど結局は究極的に健全で、要は自分をキラキラに見せるための努力と探求をたゆまないという話になるのだけれど、Twitterはその特徴として実力のないものは狂った底辺ムーブしか認知を集めることはない。
怒りと哀れみと指示厨を集めることは無からのエネルギーの収集には効率的な話で、もし承認欲求に墜ちるならいずれかの欲求を満たすにはインスタントな手掛かりになり得るのでしょう。
ああ、そういうわざと弱みをさらけ出す共感の形こそが崩れた自分の最後の救いになるのか、なってしまうのか。
これも出来ない、あれも出来ない、できれば君に助けてほしい、ちょっとのことで話をきいてほしい、私ってすごく寂しくて失望されがちな一人ぼっちのどうしようもないやつだから。
そんな…本当に私にはそんな人と同類にならなければ、誰からも見向きもされなくなってしまうのか。

世間はその怪物の正体をメンヘラと呼称しますが、私は自分がそんな今までさんざんばら私を食い物にしてきたものとは分類を同じにしたくはないのです。
例えば年老いたうるさい老人が最終的な説得の手段に自分の寿命を持ち出して反論すらも許さなくなってしまうような、ノーガードのように見せかけた完全な否定の形をメインウェポンにしてしまえば本当に現実で生きていくことは不可能になってしまう気がするのです。
理論とリプライ欄で武装して、戦うわけでもなくその言葉で行えることはただ殻に籠るための言い訳のミルフィーユになっていく。
私はただでさえ他人への依存を恐れているのですが、インターネットへの依存を問われたときにいやそんなことはないよと茶化せるようなフラットさはもはや持ち合わせていないような気がしています。
そしてこの歪んだ耳目に依存した猫背を直す特効薬は、結局自分の成功体験と実力の会得には変わりなく。

何か対外的なトレンドに物申すことでしか自分を表現できなくなった時、それはもう私が私である必要性を失っていると思います。
誰かと同じ気持ちになることで、仮設の脆い仲間を得てスイミーの中の一人になって、自分に大きな力があると思い込むようなインターネットでしか生きられないゾンビに私はなってしまって、こんな文章がいつか「かゆうま」と笑われるようなそんな生き恥しかパフォーマンスできなくなってしまうなら、ひどく無様であると私は感じます。
常に何かを作りつづけて私が私である意味を稼がなければ、いつかはみんなみたいに現実と共に踊らなければ、大きな鯨の民意になってしまわないように今溺れかけているところです。
美しい皆さんと同じ舞台に上がれるまで、私はあと何年ピエロをやり続けるんでしょうか。
いつか盛大な告知のツイートと共に現実で笑える、そんな日を見つけなければいけないって心の底から思って現実で誰にも打ち明けないまま資格の勉強を続けています。




それではおやすみなさい。

2021年9月17日金曜日

2021/9/17

 

こんばんは、人都です。
数日かけて製作していたnoteを投稿完了したので、またブログにペースを戻していきます。
マギアレコードはいわゆる虚無期間なので、基本的に周回と未読ストーリーの回収を行なっています。
最近は都内にも全く向かっていませんでしたが、もうそろそろ学校も夏休みが明けますし美術館巡りや都市徘徊の趣味を再開したいところです。
そこそこの日数アルバイトをしているのでそれなりに口座は温かくなり、変な時間の遅寝の習慣は定着せずに済んでいます。
朝は適当に白飯で昼はキャベツをのせた魚介ラーメン、夜は頭のない魚の焼き物とカキフライを食べました。
あとはリリカルなのはを見たり読んだり、画像ファイルを整理したりしていました。
気分転換に新しく出来た服屋にも向かってはみたものの、あまり興味を引くことはありませんでしたね。
もっと毎日を充実させたいです、卒論からも逃げたらいけません。


あらゆる曲のジャンルの中でも「アニソン」というものは扱いが難しいのではないかと誰も見ていないのに付いているMステをチラ見しながら再び思いました。
言ってしまえばアニソンとはその名の通りアニメ作品のオープニングやエンディング、時にキャラクターソングを指すものですが、これは少なくとも音楽の種類ではないことは確かで。

たまに何か曲のジャンルを指されるときにアニソン風というものがJAMprojectや水木一郎のような何世代も昔のロボットソング調にされることも多いのですが、むしろそんなものはアニメ枠の中ですらオマージュにされるぐらいに古めかしく、現在アニソンというものはあまりにも多ジャンルに広がりすぎているのが実際は当たり前な話です。
オタクは時に自嘲的に「この曲アニソンっぽくないでしょw」とパンピーに聴かせてしまった学生時代の過ちがありますが、そもそもの話今の世は有名バンドはどこかしらのアニメの主題歌をしていると言ってもいいほどアニソンという枠が透明になって大きな音楽の海に溶けていってしまっている。

そもそもオタクの好きなアニソンというものはその作品視聴当時の記憶や思い出と密接である事が前提になってくる。
もちろんこれは絶対ではありません、特にニコニコ動画に貼りついていたオタクは大して見ていなくてもカラオケで歌えるアニソンのレパートリーが勝手に増える生き物です。
それでも本当に一番好きな、聴くだけでもう感情が全開になったりリアルタイムの頃の感覚が手元に帰ってくるような曲はただでさえ思い入れというパラメータの割り振りがピーキーになるオタクたちはそれぞれが自分に対する最大回復薬かつ劇物になり得る心のアニソンを抱えてしまう。
だからこそ民営局がアニソン特集をするときにあれが無いこれが無いと呟くか、もしくはその放送が誰かの記憶にクリンヒットを入れた際には一周回って感謝を始めてしまう。
ただこれには不毛だなと思うこともあり、当然NHKのような収益を一応は考える必要のない局でもない限り基本的にアニソン特集というのはその放送局が権利を持っていてアニメ映像を流せる作品に依存をしてしまうというどうしようもない事情もあるからこそ、何となくトレンド入りを促進するないものねだりはディレクターの掌の上で踊っているような気持ちにもなってしまうのですね。

だからこそ放送時間の規模が半端ではないNHKラジオの人気企画「今日は一日○○三昧」という番組は、そんな全てのオタクを救済する可能性を秘めた恐ろしい希望の催しであったと私は記憶しています。
平気で6時間とか9時間とかの尺をたった1つのテーマ…単独の楽器を主役に据えた放送やアーティストのみの特集、時に恐ろしい時間数で特定の作品の関連楽曲しか流さないという照準は定めさせつつも営利関係や尺の都合、見せ場も考えずに自分の心の一曲のリクエストを電波に乗せられる、それを不特定多数と共有できるという恐ろしいほどのワクワクがその放送枠には詰まっているのですね。
どうせこんな曲は流してくれないだろうという無言の諦めを貫通して、安元洋貴のゆりゆららららゆるゆり大事件の音源を平気で流すような放送をする国営局がここに存在して。
そこまで来ると発生するのはオタク達の最強バチボコ民主主義&熱意、ラジオには数を撃てない代わりにリクエスト曲に加えて投稿者のコメントが添えられますからそこで如何にキモくなく、しかしながら必死にこの曲のサジェストを受け取ってもらうかという事に放送を聴きながら脳の回転を増やしていた高校時代がありました。
精神的にも限界だった試験まみれの日々の中で「今日は一日アニソン三昧」や「今日は一日特撮ソング三昧」に思いを馳せ、渾身のメッセージを送り、放送時間いっぱいいっぱいまで全てを聴きながらYahoo!のリアルタイム検索で疑似TLを手元においてひたすらドキドキするも結局読まれることはなく。

でも実は、心から懇願しながらも本当は別に自分の思い出とアニソンが電波に乗らなくてもその時間は本当に楽しくて、長時間の祭りが終わった後にも読まれなかったメールの恨めしさよりもそれらの全く顔も形も知らない人と曲と熱意を共有した最高の気持ちの方が上回っていくのですね。
これは今はdiscordとかVRCとかで開催されるオンラインのクラブ企画でいうところの「選曲が最高過ぎて床になる」というような表現にも伝わるところがあるのかもしれません。
勿論DJサウンドは曲自体の盛り上がりの組み合わせやそれらの曲の文脈や聴衆の巻き込みを意識するのでしょうし、逆にこういう専門性の高いラジオだとfullで流さないと満足できないようなゲストのトークパートにイラつく治安の悪くTwitter歴の長いオタクは存在したので、細かい点では異なるとは思いますが。
手に汗を同時に握るツールは異なれど、無と無数に宇宙のように漂う楽曲群の中から突然自分の記憶と思い出とイントロとスタイリッシュなOPアニメーションと耐えがたい感情の高ぶりがずるりと音とリズムによって引き出されるとき、三大欲求を超えた快感の宇宙に飛び込むことが出来るのです。
本当にその曲だけを聴きたいのならたった一人でCDを回せばいいし、今ならyoutubeも各種サブスクリプションも存在してる、でもそれではあの瞬間の快感は得られない。
あの長時間のラジオから思い出に紐づいた曲が尺を獲得した時、そこには局側の選曲者やリクエストを強い気持ちで撃った投稿者、そしてその瞬間を共有する見えない誰かの時間を人生を耳元を漏れ達の青春が侵略する、独占する、歪んだ承認欲求もぐちゃり笑顔の昂ぶりもその瞬間全てが透明な電波に乗って伝播する。

閲覧しているあなたは何でも流せる電波に一つだけ願いを託せるなら何の曲を選びましたか。
私はその時、特撮回にはケータイ捜査官7の「ケータイ変だ」、アニソン回には影鰐の「egoist unfair」をリクエストに送信しました。
あえてまどかやきらら系を控えマイナーな熱を送ってしまうあたりどうしても妙な生々しさとワンチャン感を感じますが、こういう時メジャーだった覇権かニッチな作品曲を送るかでオタク系統はきっと二分できます、でも有名作品の円盤にしかないようなキャラソン送る中間派閥もいるにはいそう。
私は多分どこで何をやっても、自分の知っている大好きを他人に教えたり伝えたりする方が気性にあう人種として生きていくはずですね。
ちなみに9月20日の放送では「今日は一日“サッチモ”三昧」を放送するそうです、ジャズとか強そう。
ランキングとファン数以外で見栄えを気にせずにこの世に思い出に紐づいた曲をあらしめることの出来る番組は本当に尊い、どれだけオタクが世間に一般化されてもアニソンを大人気と金額以外の心で見てくれる番組をないものねだりで探す瞬間はとても普通ではないことが辛くてさみしい。

やはりアニソンは扱いが難しい、オタクは基本めんどくさい、アニメは版権が厄介。
こんな民放の世界が変わる日は果たして生きている内の常識改編でなんとかなる日がくるのでしょうか。
でも、来たとしても私はその頃めんどくさい腕組み老害をしていそうで嫌っぽい。
アニソンの多様性の尊重はまだまだ難しいのかもしれませんね。




それではおやすみなさい。

2021年9月9日木曜日

2021/9/9

 

こんばんは、人都です。

知識には解像度というものがあるのはずっと前から基礎として当たり前に言っているような話ですが、もしかしたら普通じゃない言葉遣いだったのではないかと思いそのことを書こうと思います。

私は良く知らないジャンルのことを解像度が低いと表現し、逆にある程度知識がありチョットワカルことはそれが高いと表現をします。
イメージとしては適当な保存形式でとっておいた風景写真はぱっと見なら誤魔化せても、寄れば寄るほど粗が見えてくるといった感覚に近いです。

基本的に解像度は高ければ高いほどミルクボーイなものだと思うのですが、ただしこれは当事者的な情報になると逆に他人からはどうでもいいような細部の修正に力を入れ過ぎてしまうといった欠点が知識の盤面でも言えるものなのですね。
情報の認識度が荒すぎるとリテラシーや冷静さを疑われかねず、そしてあまりにそれが細かすぎると力を入れていることは実際そんなに伝わらなくなってしまう。

例えば私は土偶に関しては国宝指定の五種の暗唱からある程度の著名な出土物の遺跡地や展示場を把握している程度に解像度が高いのですが、そのせいでクトゥルフ神話TRPGのサプリメントに載っていたように呪いの道具として利用される土偶を見ると少しなんでだろうと思ってしまうわけです。
呪いの道具だとか宇宙人だとかはコンテンツとしては良しとしても、基本的に土偶は身体の不都合を肩代わりするための形代として丹念に製作された後で部位を壊されているというのが有名な説で、他の説でも多くは鎮魂や豊穣などあまりマイナスなイメージは持たない物に思えているからです、縄文時代はそもそも大きな争いごともなかったという説もありますしね。
しかしながらそんな縄文特化オタクの考証を実際にシナリオライターが知っとけとは毛ほども思わず、それがアフリカ寄りの不気味なnkondiみたいな役割を果たすならそれは効果的なモチーフに十二分になり得るわけですよ。

この世に全知全能の神がいたとして、なら私の近所の寂れた町中華屋の当たりメニューも分かっちゃうの?なんて茶化すことがありますが、全知というものが本当にあるとすればそれは全ての世界のつぶさな砂粒に恐ろしく高い解像度を持っているのでしょうかと笑いごとにしているだけのジョークです。
東大王だろうと政治家だろうとコメンテーターだろうと中野を古典的な出で立ちで回る戦士であろうと、それぞれにはローカルかつ内輪であれどうであれ異様に解像度の高い分野があるのだろうし他人から見ればアホなの?というような部分のピクセルが足りなかったりするのでしょう、それは当然のことで生きている限り全ての者がそうであるはずです。
私は音楽のことや3Dの技術屋の話と一般男子のことは本当にちんぷんかんぷんですが、その分インターネットで知らないそれらの話を聞くのはとても楽しいです、話を振られてもあやふやの呼吸付け焼刃のごまかしが発動するので聞き役に徹するのが平和に楽しい。
ウマ娘をはじめとした擬人化系ゲームも無知から解像度を上げるきっかけになる教材みたいな強みはありますからついついやりたくなってしまう。
過去は艦船に一切興味が無かった私は、女学院なのに修学旅行で海軍基地博物館に行って一人だけロマンで最高になってしまうみたいな奇怪な解像度の上げ幅を楽しんでいましたよ。
当時の規約的に艦これが出来なかった分、怒られることもない艦船関連の書籍を買い漁ってついでに日本海軍知識がモリモリになっていたりしていました。

にわか根性と好奇心も当然あるのでしょうが、知らないこと・新しいことを知るというのはそれだけで本当に楽しい。
だから音楽番組にはヒットチャート以外を流してほしくなるし、お笑いの番組は毎週お笑い荘とかあらびき団でもいいぐらいで、Twitterでも急に突然の誰も聞いてないような高解像度のトークをしたりすごくマニアックな話でnoteを書いたりする人はとても好感を持てます。

自己啓発にも、明日の生活にも一切役に立たないような高解像度の話というのは極めたオタクではないとしてもちょっと記憶違いがあったとしても、意味がないからこそその垂れ流しには決してイキリには該当しないと思いますよ、強いていうならインターネットで突然失礼な素人質問を投げかけてくる懸念はどうしてもありますけれどね。
人生死んだら記憶はまず残らないんですから、なら生きてて意識がはっきりしてるうちに知らない荒い偏見を少しでも多く鮮明にしたいなというのが私のやわやわ生存の理念みたいな感じです。

おやすみなさい。

2021年9月8日水曜日

2021/9/8

 

こんばんは、人都です。
今は夏休みの延長線の九月を暮らしています。

ダウナーで陰のある女って、どうしてあんなに魅力的なんでしょうか。
私は青春のほとんどを女子のみの学園で過ごした、肯定せざるを得ない箱入りの娘であって一番感傷と感情が豊かな時に出会った人々もそんな情緒に揺れるクラスメイトばかりでした。
社長令嬢と明るいばかりが花園ではなくて、特に幼く拙く井の中の蛙がゲロと言うばかりの終わりの同人女の感情のような足らずの絶望と共依存で構成された沼もそのお嬢様の脇には存在していました。

私のいた学校はかなり部活動が乱立しては消えゆく、校則と規則こそ厳しいものの妙に創作物めいた生徒文化に肯定的な校風をしていました。
例えば軽音部とギター部が、吹奏楽部とオーケストラ部が、二次創作専門のイラスト部と一次創作専門のイラスト部と正統派の美術部が…といったように部員の確保と賛意さえあれば違いは判らずとも割と雑多に許される文化があったわけですね。

それで私は六年間そんな校風の中で文学部に魂をかけていたのですが、実はそれ以前の中学の三年間では一次創作専門のイラストクラブにも所属していたり、当時の友人の影響で音感が破滅的なのにギター部によく冷やかしに行っていました。
その頃から私は自分の実力があまりないことを理解した上で、オモシロとギャグキャラの不思議ちゃんに振ることでギリギリカーストの金魚の糞をしたり、気が付いたら干される枠を埋めていました。
実力と美貌が無ければ基本的に人は人に興味を持たないので、おかしなことをする不思議ちゃんを全盛期の中二病と最悪の状態の皮膚病と共にロールしては鬱憤をたくさん人が自殺するような小説作品に投げ込んでいました。
だから私に普通に話しかけるようなかわいい子はそれだけで珍しく今でも記憶から離れてくれないのでした。

オタクの界隈はダンス部やオケに比べれば平穏に思われますがそこにも格は存在していて、私が所属していた部の中で一番絵が上手くて権力を持っていたのは手塚作品とHTFを敬愛する声とメガネが大きいホモとよく叫ぶヴィレヴァンの少女で、次点にドラゴンクエストとコンパスを愛したスケベを描くのが上手いゲーマー、おそ松さんの二次創作で既に利益を生んでいた恐ろしいほどのフォロワーを抱えた滅茶苦茶歌の上手いバンドガールなどが存在していて私はこの子たち全員を友達だと思ったら、いつの間にか誰も声をかけようとしても話しかけてくれなくなっていました。
しかも全員あり得ない程に絵が上手い。
私は元々文章の方が気楽で、絵は後から始めたものなので仕方ないことは自覚しつつも本当に太刀打ちの不可能な相手がいることを中学生にして強烈な人間関係の苦みと共に味わっていました。
先輩ならいいのですが、同級生というものは本当に残酷でどうして同じだけの年数を生きているのにこんなにも力量が異なってしまうのかという事は今でも私の絶望を誘う一因です。

そんな中で私は一人だけ、私よりも不思議なギタリストの女の子と知り合っていました。
確か早々にイラスト部を幽霊にして、片目を常に髪で隠しては校則から逸脱した着崩しと日数ギリギリの門限も一切気にしない恐らくヴィジュアル系のアーティストの彩度をそのまま落としていったような、知らない洋楽アーティストの話ばかりをする確か自傷癖持ちの女の子でした。
授業に出ていても寝てばかりで、体育は全て見学をして、定期テストの日にすら現れず私をひやりとさせました。
記憶の中の幻覚かもしれませんが彼女は存在していました、しかしながらさよならも言えずにいつの間にか在籍の許される出席日数にたどり着かずに煙のように会えなくなりました。
彼女の連絡先なんてなんだか聞く気にもなれなくて、そもそも今までの霧散した友達のようにどこかに遊びに行ったことすらなく、たまにイラスト部とギター部の終わりが同じぐらいだったときに無言を多めに一緒に帰って話したぐらいで。
彼女の話す言葉の意味はまるで知らない言語みたいに記憶に残らなくて、私はいつもとは違って自分から面白いことを話すというよりもそんな知らない音楽の話を並行的に掘り下げもせずにキャッチボールしていただけで、なのにそんな記憶が脳裏から離れてはくれなくて。

彼女は他のクラスメイトが昼に兄と自転車でギャンブルに行っていただとか、アイドルを追いかけ過ぎたみたいな噂をされていたような気がします。
アウトローになろうとしながら誰かに迎合して、認めてもらえるまでリアクション芸をするだけの校則を破れない皆勤賞の凡人はそんな存在の解像度も低く友達とも明言できないような彼女を静かな青春の象徴にしてしまっているような気がしていて。
彼女は今どんな大人になっているのでしょうか、できるならあんな危うい子だから生きてさえいればそれでよいと思います。

その後、やけに距離感が近いのに私よりも明らかに絵も成績も上の女にちやほやされたことが辛すぎて歪んだ嫉妬のあまり絶交をしたり、タルパ症状のある女の子に交換小説の中で苦言を呈されたり、友人というには厳しいままにほっぺばかりを触ってくる小リスや徹底的にあっちから私に依存していると見せかけつつそこからクラスいじめに近い状態にぶち込んできたマイメロとメンヘラの恐怖症になる原因を作った人間不信を謳う女などと様々な交流を育みましたが、その話はまた今度します。
今では私は自分を傷物かつ病んでいることをアピールポイントにする女性が非常に苦手なのですが、それと同じぐらいそれらの壊れかけた水晶みたいな危うさが魅力的である事も理解しています。
そもそも恐らく今の世間的な流行がそんな弱みを見せつつ首輪をつけるような女なのでしょうね、あざとさを売りにするトークバラィティや人間として破綻してても無条件に愛してねみたいな歌、果てにはあいつらとお近づきになりたいととのたまう恋愛講座もあるし、女児服すら量産や地雷めいたデザインが人気を博して。
ああ、陰のある女が怖い、でも危うくて目を離すと落ちていきそうでかわいい、これは矛盾し続けます。

おやすみなさい。


2021年8月31日火曜日

2021/8/31

 

こんばんは、人都です。

怪談レストランのエンディングテーマには空耳で「神の味噌汁」と歌われていた一節があります。
まぁ、本来の意味は神のみぞ知るなのですが、幼い頃のアニメの曲を歌詞を見て確認しようとすると、とてもテーマ性が強かったりむしろ内容が子供向けではなかったりしてびっくりすることがありますよね。

夢の為に現実を捨てて 現実の為に夢を捨てて 手に入れたのは孤独か? それとも愛する人との別れか?
そういうところであのエンディングテーマはホラー性を別ベクトルに発揮していたことを知ったのは、大学受験をしていた時です。

私達は、と書くと主語が大きそうなので前提としてまず私は夢追い人を羨ましいと感じ眩しいと感じます、そしてささやかな妬ましさを振りかけていて。
インターネットでいくら暴れ狂おうとしても所詮は声の綱の中でピチピチする小魚でしかなく、リアルはただのプログラマー駆け出しになるはずで、そこに夢や希望といった要素は微塵もありません。
だからこそ、こんなにインターネットが溢れかえって5秒でノーダメージから発信者になれるような世界において現実へと夢のために繰り出せる力を持つ人は尊くて、あまりに眩しすぎてちょっと卑屈にもなってしまいます。
現実というものは恐ろしく、羞恥心からのタスクキルも出来なければ咄嗟の発言を削除も出来ず、何より出生ガチャと鍛錬による容姿やスキルや声がごまかしも効かずに白日に晒される訳で。
それでもただのモブならどうせ誰の記憶にも残らないという意味で悲しい安全が保障されるものの、あえて人の前に舞台をはじめとして自分を見せるように夢と現実へ踏み出して行くことは非常にハイリスクで相応の妥協も要るようなものでしょう。
面白い人生を演じたいと思いながらインターネットと自宅から出られないワナビーの私には不可能な行為。

曲がりなりにもコロナ禍を経てデジタルのつながりやバーチャルの評価、テレビ番組のリモート化や誰もが感じていた対面の面倒さが表出するようになったニューノーマルの世界で、それでも人の前に出ていこうとするのは当然なんらかの覚悟や信念が必要になってくるのでしょう。
一つだけ現実でバーチャルやデジタルに絶対に勝る要素があるとするなら、それは温かみとか質感のようなぼんやりとしたような感情とは別に、人の視線をその一瞬自分のみに集めることが出来るということでしょうか。
当然これは自論かつ暴論ですが、デジタルのデータや付き合いというものはユーザーの並列化や次に好まれそうな動画のサジェストなどでいつでも見ているものを取りやめて別の味のする面白さを探せる訳で、これはライブ配信であろうと変わらないしSNSのタイムラインなら何時間もかけたような絵が一瞬で流れて消費されてしまうような感覚です。
インターネットに居残る限り、常に私は無意識的に比較をされ続けて選ばれるまで光らないでしょうしどんな手の込んだ衣装を作ってもboothの商品新着欄に埋もれて行くだけでしょう。

ただ現実の舞台は違う、特別ルーズなものは別として箱という空間と時間の限られた中でその瞬間の聴衆にとってそれがどんな駄作で珍作で名作に限らずに、スポットライトを浴びる中で自分だけを世界の主人公のようにすら思わせることが出来る。
その分のプレッシャーで脚が震えて、台本の記憶領域が白くなったとしてもその瞬間だけは全ての時間を自分のものにできることは変わらず、どれだけ失敗したとしてもタスクキルもスキップもない現実は自分のものになる。
なんて崇高で純粋なんだ、こんな時代でどんなに波乱があったとしてもその世界にはネットより現実を取った主人公で満ちている空間がある、ああいうものを本当に光って言うんじゃないだろうか、英語でも言うでしょうスターって。

本当の光というものは夢も現実も矛盾させずに捨てないで、どちらも保ち輝かせるのでしょうね。
どちらかを捨てることでしか選べない、矛盾や違いを許せなくてどちらも選択出来ない私はそんな人がとても憧れで、ちょっとだけ僻んでて、そして心から大好きで、それはけして何があっても変わりなどしない事です。


おやすみなさい。

2021年8月30日月曜日

2021/8/30

 

こんばんは、人都です。

私はかなり具体的に好んでいるパーツやモチーフがある方で、現実に使うものや創作のモチーフまで多くの場に灯やカンテラのモチーフを持ち出します。
広く言えば照明器具や燃料、細かく言えば電灯よりもアルコールなどで燃焼しながらあたりを照らすランプが大好きなのですね。

この趣向がどこから来ているのだろうと考えると、それは親のアウトドア趣味及びキャンプの経験からではないかなと思っています。
スマホなんてないガラケーの世界で、予約した旨をプリントした紙束を持って川沿いや海沿いやハチャメチャの山中に生活用品ごちゃ混ぜの車で向かって二泊ぐらいしていくのが、私が大学に上がるまでに長期休暇におけるしょっちゅうのルーティンでした。

しかも親は本格派志向なので、本当に整備されたところには中々行かずにそれこそ崩落事故をおこしそうなギシギシする木組みのアスレチックや整備されているとは言いにくい谷底の遊び川などがある剥きだした場所を好んでいたように感じます。
さすがに今は身内も歳を経て、昔ほど弾丸で車の日本旅行とかをすることは無くなってしまいましたが。

ああ、それで私のカンテラへの好意はそんな野生的な宿泊の中で育まれていました。
本当に真っ暗な森のテントの中、エアーを入れ込むベットの不自然な柔らかさで上手に寝付けない中、大人たちが晩酌を楽しんでいて、まだ大きなバーベキューセットの炭火がぱちぱち音を立て焼いていて。
そして不自然な空気の静けさに矛盾する、都会住みにはよくわからない声のする虫の合唱とガスをごおと燃やしながら蛾を集めるキャンプ用の大きな金属製のカンテラ。

それが本当に明るくて暖かくて、だけれどこんな枯れ葉の山奥で支えの棒が転倒したらどうなるのかと杞憂なもしもを考えるとどこか怖くて。
キャンプ場に限らず家ではないどこかで一晩を超すことはこの歳になってもどこか不思議な気持ちがあって、目が覚めて見回してそこが本棚まみれの部屋でないことに気づくとここが家ではないことをふわふわと恐ろしく感じるのですね。
おかしな話に聞こえますが、私には外泊するともう生という意味で目を覚ますことが出来ない気がする極端な不安と違和感の壁というものがあって、それを程よく整えられた寝具により眠気でなし崩しにするように眠りへ陥いります。

だからこそなんでしょうか、無機的なのに有機的な矛盾したガス性のカンテラに夜を灯された思い出からか私はああいった燃焼を伴う照明がモチーフとしてとても好きなのです。
灯止とうとも忘却炉も誘蛾灯日記も、各種ソシャゲに使用しているユーザー名からリヴリーのネーミングに至るまで全てそれらに関連した興味と憧れから来ているものです。
SCPでも特に酩酊街ものは大好きですよ、ふわりとアルコールの香る忘れられたものの行きつく世界の話。
部屋の照明器具は大きなシーリング以外では傘の部分の大きいけれど照らせる範囲は限られた読書用のものを設置しています。
大好きな現代美術家は宮島達男さんです、有機的で無機的でアナログかつ一定に揺れ行くものを照らして表現する作品は個展を訪れるたびに私の時間を幸せに失わせます。

有名な怪談に死神の名付け親というものがあります。
私は童話として認識していましたが落語の方が著名なそうですね、あと米津玄師。
死神と組んで医者を始めた男が金に目をくらませて理を壊す延命を行なって、その後にある洞窟へと案内をされるとそこには無数の寿命を燃料に蝋を少しづつ蝕み灯すろうそくがいくつも存在していたと。
私の大好きなあの子の名前の由来になった、要は永遠のない物質化された命の灯を理通りに止める因果応報の話なのですが。
これはオカルトと現実とフィクションの混同で、バカげた話ですが私はこの話のように、人の命もこの寓話のようにどこかにあるろうそくを燃やして世界を少しだけ明るくしていつかは残りかすを垂らして消えるものなのだと思っている節があります。
それは古典的なろうそくに限らず、街灯や誘蛾灯や白熱灯、裸の電球にきらびやかに刹那なネオンや寿命の恐ろしく長いLEDなんかのいろいろな明かりの形があると思っていて、それならば私の命はガス灯の金属製のキャンプ向けカンテラであってほしい。
ガスは缶の後処理は面倒ですが、明かりという形のない結果を残して跡形もなく消えてしまうというロマンもある。
落語や舞台に再演はあれど同じ舞台は一つもないですが、似たように命は再点灯されず一度も戻れずにただ燃やしている。
だからこそ生きていく中で無為に何も残らないという事を恐れたりロマンを感じたりしながら、少しでも一瞬でも何かを明るく灯せるように生きていきたい。
煙と煤を吐きながら長々と縮じこますぐらいなら、一瞬でもごおっと夜を照らして一夜の不安を忘れられる熱を与える強い光になって、生き急いだ後には気づけない程のいない空気になってしまいたい。
だから、そんな理想と思想で私は灯火とカンテラのモチーフが好きです。

おやすみなさい。

2021年8月29日日曜日

2021/8/29

 

こんばんは、人都です。
はじめてピュアニスタというゲームに課金をしました。
今日は朝からバイトをちょっと頑張ったからとレモンサワーを飲んだら、急にまともな線画が描けなくなって結局ベットに入ってマインクラフトの壮大な動画ばかりを見ていました。

急に思い出の話をしますが、私はリニューアルをする前のナンジャタウンがとても心に残っています。
そんなに回数を訪れたわけではなく、また池袋なんて親なしで簡単に行けるような場所でも無かったので他のプラネタリウムとか科学館と同列かそれ以下の印象でいいんじゃないかと思うのですが、どうも記憶がぼんやりとしていて更に確証がないせいで過度に美化をされているような気はしないでもないのですけれど。
私にとってナンジャタウンという遊園地であり不気味な街は何となく私の重要な構成要素の一つになっているような気がしています。
一応写真に残っていないかと確認をしようとしましたが、漁れど漁れど出てくるのは本気で幼いころの私なので埒が明かなくて断念しました。

当時のナンジャタウンの異常なポイントは何と言っても情緒不安定すら思わせるほどの世界観の大渋滞、そして通路に張り巡らされた小ネタと進路によってはホラーコンセプトを絶対通過しなければいけない形式にあったと思っています。
特にもののけ番外地及びゴースト13番街の話です。
これは今の良くなったところで過去の悪いところでもあったのでしょうが、基本的に年齢すべてにおいて本当に各種の容赦がなく、ホラーが苦手な人向けの配慮とか子供連れで通りやすい動線とかのような繊細な物を一切考えてない、よく言えば製作者の信念剥き出しの遊園地であるという感情を私はナンジャタウンに持っていました。
最近の流行として季節もののシナリオライター付きの劇団のような本当に容赦のないお化け屋敷がありますが、あれらは当然ホラーを摂取したくない人の前には現れることは無いでしょう。
逆に割と万人向けや対応のコンプラを考えたホラーは、そもそも少なくなっていると思います、それはニコニコ動画のホラー特集ページのような。
インターネットは自分で摂取するほとんど全てを選べるものですが、つまりは自分が嫌いな物は見る必要なんてないですよね。

あんな形をした施設はクレームとか泣きの案件が高頻度で起こっていたんじゃ思うことがあります。
ただでさえ当時は階層も多く、また細い道や意図的に暗いエリアも多くて入り組んでいるから迷子なんて起こったら親も子供もトラウマものだったんじゃないかと。
そもそも普通の遊園地のような楽しさが分かりやすいメリーゴーランドよりも、よく考えると先進的にすら思えるミッション式のウォークスルーや探索がメインとなるものが多かった気がして、そもそもの話いががわしくない意味で大人向けの遊園地だったのではと感じますね。
まあ普通の遊園地にアイスとかギョウザをメインに売るエリアなんて無いですから。
私が特に思い出深いアトラクションは「ボムレンジャー」という実際の通路に張り巡らされた幽霊入りの爆弾を上手くボタンを押して対処していくというものなのですが、あれもなかなか攻めていたと思いますよ。
そもそも失敗するとヘッドホンから爆発音がなる上に、必須エリアとして親御も友達も分からなくなる全面鏡張りの道やほぼ運の暗所ミッションを避けるという選択も一切なく科されましたからね。
そりゃ普通の遊園地のようなスタンスで楽しむには渋すぎますって、今の私なら通ってでも行きたいぐらいですけれど。
まあ今は無いアトラクションの話なのでそんなことは叶いません。
ナンジャタウンは今ではほとんど違う、もっと扱いやすい感じのアトラクションになって物々しかったエリアはその存在すらもかなりの部分を失いました。
そして多くのブログサイトの大元が消えた今では記憶を補強可能な材料は少なくて、よくyoutubeに上げられているあの頃のナンジャタウンを歩くだけの動画をぼんやりと眺めています。

トラウマというのは本当に困ったもので、一撃で人生を歪める暴力的なものです。
人格のある他人からの悪意によるものは本当に恐ろしく、今でも私に若干の恐怖の常識を教えている気がしますが、人格のないものから受けた衝撃、あるいはトラウマはカルチャーショックといいなおすべきなのでしょうか。
少なくとも私は今でもあの頃のなんだか恐ろしくて、なのに惹きつけるふしぎな理解不能の暗部を持ったわかりにくいころのナンジャタウンを夢に見てしまいます。

おやすみなさい。

2021年8月28日土曜日

2021/8/28

 

こんにちは、人都です。
就活が終わって、卒論をちまちま書きながらアルバイトにいそしみ、資格試験の勉強をしたりしています。
朝はいささか遅くなっている気がします。
あとはマギアレコードの対人戦ばかりをしている。
この夏休みは私にとっては学生生活最後なのですが、状況は結局コロナ禍でうかつに東京に行くことは止められている現状です。
ただ先日自衛隊経由でワクチンの一回目は終わらせました。

残念ながら、私は恐らく人よりも嫉妬の感情が強く、それと同じぐらい自分を劣等感で見ています。
本当ならインターネットには一番向いていないという自覚があります。
ひとかけの情報を全て根拠のないひらめきでつなぎ合わせて、勝手に落ち込むようなことをする人間が情報収集を趣味にするのは不利益すぎる。
だけれども、本も好きですが現実で刻々と過ぎていく人肌のリアルの暴力的な魅力に結局はハマっているせいでインターネットが止められない。

政治的やポルノとスパムは容赦なくブロックが出来るのに、本当に嫌いな人をブロックすることが出来ない。
それはその人の作品自体は好いていたり、余計なことを言い出して信者に囲われていないかと睨んでしまうことが理由でそういった物の多くは全く関係のないアカウントのブックマークに隔離をしています。
たまに信者にみせかけた厄介入りのマシュマロでも送ってしまおうかと考えて、あまりに無様な自分に失望してそんなことは結局一度も出来ないで。
私は全くもってインターネットも下手くそですし、Twitterに依存していながらそれを扱うことに慣れているとは言えないと思います。

私は人に何を求めているのか、自分でもよくわかっていないまま人を勝手に仕分けているような気がしてそういう思考回路も嫌っています。
怪盗クイーンのとあるキャラクターに人を人として見ずに、敵か味方かのみで判別する敵がいましたが少なくともそのような思考回路がインターネットをしているときの私にはある。
しかしながら、いい年齢でありながら今更自分に甘い言葉だけをかけてくれる奴だけとずぶずぶするような要介護のような思想はごめんだ!というひねくれもある。
でも一時期試したように思想が合わないけれど世間的に人格者とされる奴に学びを乞おうと迎合してみたら自意識と交通事故を起こしてレールのように精神がひしゃげたので、インターネットで誰かに完全に乗っ取られるのもそれはそれで出来なくて。
信用している人にいろいろ話した後にこれは依存ではないかと恐ろしくなって、何も言えずに極端に連絡を取らなくなったり。
本当に一番やりやすいコミュニケーションは結局リアルでの顔と顔を見た対話で、それは表出しないからこそ心の内なんて考える必要が無くて、失敗してもおどけるぐらいのジョークと三枚目の技術は実はあったりして。

バーチャルの配信者でなくても、最近はバーチャルの一般人も増えていて多分最近増えたようなフォロワーの多くはそういう、私が毎日の空を撮るためカメラを起動するようにVRCやclusterを立ち上げるようなポリゴンで集まって構成される人なんでしょう。
私は致命的にバーチャル世界でのコミュニケーションが実はなによりも苦手です。
今では世間はVketの6でフォロワー同士が学生が予定も定めずにわけもなくららぽーとやソラマチでも回るみたいに遊んでいるけれど、本当に言い訳を付けてinしてないだけで表情がよくわからない世界で知らない声が飛び出してくるのが怖いだけで。
そもそもお砂糖という文化が私は恐ろしく苦手なのでVRCはたぶん絶対だめです、事故ってしまう、インターネットの恋愛はマジで目にも入れるのもちょっときついです。

ドン引きされそうな程そういう仕事の親父のより強い今のパソコンなら常識的な範疇でほとんどのVRなコンテンツは出来るはずなのですが、知らない世界を歩き回って迷子になりたければ私は現実で適当な駅で降りますし、家から出たくなければゆめにっきを起動します。
そこそこのお値段と性能がほぼ腐ってしまった気がします。
曲がりなりにも絵を描いてるよりVRoidの服を作ってる方が評価されるのに、とんだ機会の損失でしょう。
そういう集会とかコミュニティとか脳の血管が破裂しそうで、なんだか強いお酒をたくさん入れて言い訳が許されでもしないと無理ですが、酔っぱらいは世間の悪なので絶対に無理。
ビジネス書と賢いnoteは私をヒールで蹴り飛ばして固定ツイートを見ろと言うでしょう。
時代に乗れているようで、本当に時代遅れなせいでインターネット上の交流はいつまでもヒヤヒヤとするままです。
適当な商店街で初対面のばあちゃんに会計ついでに会話を振る時みたいなことは、ここではなかなかに難しいしそれをしてリプライが帰ってこなかったときは反省会を開いています。
こんなにもちぐはぐなのにインターネットが止められない、この原動力はやっぱり依存なのでしょうか。

そうだとすればひどく情けないと感じます。
依存を心のどこかで軽蔑しているのに、結局私もそうならば逃げ場なんてどこにも無くなる気がします。
久しぶりのブログなのに弱弱しすぎる。
それでは、おやすみなさい。

2021年7月19日月曜日

2021/7/19

 

こんばんは、人都です。
就活がひと段落していたのに、タスクが減っても悪い思考は増えていて今は檸檬堂で全てを搔き消したので一時的に気が楽になっています。
悩みを消すのには他に、ただ栓を抜いて男を助けるゲームや駐車場の出庫を手伝うぐらいの機能のみのゲームは効果的です。
最近は好きなコンテンツに続編が告知されまくっているせいで世界から延命をされているような気分になります。
就職活動が終わって、ちょうど都内の暑さは人を殺しかけるようになって、ようやく余暇が出来たのにどうにも外に積極的に出ていく気にはなりません。
でも朝は早く目が覚めてしまうし、課題やレポートはこなすけれども正直愉快さはなくって、今はその現状をどうしようかと悩んでいます。
今日は朝はパンを食べて昼はチンパスタ、夜は鶏肉を食べました。
後どうしても今の今の季節はアイスを食べてしまいます、家には備蓄アイスがあるのに出先でも買ってしまう、愚かなので。

最近はオッドタクシーというアニメにハマっています。
見た目だけなら子供向けのような動物たちの織りなす現代社会の群像劇です。
Amazonプライムで全話配信されてますから是非見てください。
見てくださいしか言えない、なぜかというとトリックやサスペンスの要素があるので好きなキャラの話もあんまりしないでおきたいなと思う稀有なジャンルなんですよ。
出来る限り言葉を絞るなら「芸人」「共犯者」「反社」のいずれかが趣向に混じる方は絵柄関係なく作業用BGMでも構わないので見て欲しいですね。
あとは関連楽曲も少ないながらに珠玉です。

前も話したような気がしますが、コンテンツというのは一番初めの一口が何よりも新鮮でおいしい。
謎やカタルシス、リアルタイムのドキドキが含まれるならそれは尚更で、謎というのはまとめサイトや他人の副流煙で何となく知ってしまえば事実及び情報でしかありませんが、個人的な考察や不明感を経ることでその気づきは体験へと変わります。
何より小説でも映像でも時に聴覚でも、自らの認識で誰の意識も通過せずに初めての情報を噛み砕くことに勝る快感は無いとすら私は思います。
ネタバレオーケーという人も確かにいますし、世の中には作品内の犬の生き死にで情緒を乱す方もいますから当然一概には括れませんけれど、その情報が例え荒削りのはっきりとしない物でもそれを初めて噛み砕く触感は一つとして再現が出来ない。
はじめてこんにゃくゼリーを食べた記憶も、梅干を食べた衝撃も、パクチーを知った絶望も意外と思い出すのは難しいものですが、コンテンツを初めて噛み砕くときいうのは、それはなんとなく新たな味覚との出会いに似ています。

そりゃあ私も食わず嫌いはします。
どうしてもスケベを前提とした恋愛ものは苦手だし、異世界や日本史はちょっと躊躇するし、あんまりしんどいとかクソデカとか言われると言葉の大きさに警戒して距離を取ります。
でもどんなアマプラの駄悪な映画でも、Huluの邦キチも語らないような作品でも、その情報を噛み砕くという経験自体はどんな名作も迷作もそれぞれに替えが効かない物でその瞬間は無駄にしても経験という意味では生きている限り無駄は無いんですよね、たまにほんとうにAVみたいなのを見てしまいげんなりしますけど。
外が人を殺すほど暑い夏の最後の夏季休暇なので、また少しずつ私も知らない映画を見進めようと思っています。
だけれどサブスクのサービスにはあまりにも一生では足りない作品が並んでいて、それもまた玉石混合でしょうから何かおすすめでもあったら教えてください。
学校じゃ知れない身の程を教えてくれる作品が、私は好きです。


それじゃあ、おやすみなさい。

2021年7月15日木曜日

2021/7/15

 

こんばんは、人都です。
就活が終わってからの更新はこれが初めてになりますね。
最近は私は予定が無くても長く眠る事が出来なくて、壊れかけのけたたましい目覚まし時計よりも高い精度で目を覚まします。
これは面白い話なのですが、予定にぎちぎちと詰まっていたものを払いのけてしまうと逆にソシャゲってしなくなるんですよね。

私は来年の4月からは社会人になります。
専攻分野の関係で年間の自殺数と労災の降りた人間、退職者数の相関を見て絶望しながらレポートを書いていたりはしましたが、一応社会人になれます。
長袖のリクルートスーツを着て新宿や高田馬場をハイヒール大爆走する生活とはおさらばです。
内定のメールが来た時、ちょうどその日もオンラインの説明会の準備中でしたが受け取るなりガッツポーズで身内に報告しに行ったら、男性アーティストオーディション番組が佳境なので話を後にしてといわれたこと、しばらく忘れません。

基本私の身内はところどころの思想は強いものの、ほとんど全員が温厚にサブカル的です。
それでも観客を多く入れるコンクールに出まくるまぶしい妹とは姉であることを恥じるし、何となく家族の中でも劣等感は感じてはいます。
どれだけ自信のある分野があったとして、それを表に出さなければ実績も場数もなく履歴書の片隅に個性の一色としての効果しか持ちませんよね。
私にとってのものづくり趣味は全部それですから、インターネットでどれだけ暴れたところでリアルでTwitterの話なんてするわけにもいかず、ただ時間が虚無に消えているようなもので、でもそれ自体が私を救うのでやめられない。

そりゃあちょっとだけなら身バレしそうなニッチな分野の大きめな実績はありますが、ニッチゆえに対面でそれを説明するときは必ずルール説明から始めないといけない。
それに比べてスポーツは?サークルは?音楽は?明るい壇上の、誰にでもわかる実績がある程度表現しやすくて、そしてそのせいで今まで知らない世界からやってきたような同級生と並び立つグループディスカッションというものはとても残酷な比較でした。

私が今まで頑張ってきたことも、自分を売り込もうとするPRも、人生のルーツすらも全てが創作活動に帰結していて、協調性やリーダーシップや企画力といったことになんとか結び付けようとしたって、人事の人にとって採用にあたる費用対効果や将来性のわかりにくい人材は60分という縛りの中ではあまりにも理解に苦しむものだったでしょう。
分かりやすい、そういう意味で量産的な人間になれればよかったとは思いました。
それでも私の創作活動が遊び以上の熱を帯びていたことは確かで、いくら人事の人に「そちらの方向へは行かなかったのですか?」と聞かれても趣味ですと虚言で割り切りながら、自分の人生のルーツには脚色を施しませんでした。
美大に行けるほどのセンスや勇気はなく、インターネットで成り上がれるほど実力やブランディングはままならず、分かりやすい技術を武器に壇上に上がることが出来ないことを悔やみながらもできるだけ悟られないように、ふざけたやつが来てもいいと思われて露骨に面接が雑談ムードになったとしても、ものづくりは私の根幹にあると言い続けていました。
50社以上は落ちたと思いますが、それでも何とかはなりました。
ちなみにちょっとだけ弱音を吐いて助けを求めてしまった面接は落ちました、自助のレベリングはまだまだ必要みたいです。
感情のコストを費やさせてしまったのに申し訳ない。

私は創作に携われるようなクリエイターにはなれませんが、社会人になってからはある意味でニッチな物を作る仕事に就く予定です。
出来るだけ死なないように生きていきましょう、私もそれになります。
そしていつかは志望動機に嘘をつかないように誰かの価値を創出しましょう、私この言葉何回打ったんでしょうね。

おやすみなさい。

2021年7月7日水曜日

2021/7/7

 

こんばんは、人都です。
ブログ更新は久々ですね。
忙しすぎて最近は文字打ちはゼミの資料作成と選考用の資料書きで、いくら文字を打つのが好きでもスタミナ的に無理な日が続いたためです。
ウマ娘もう一切開かなくなってしまいましたね。

最近、弱音を吐くこと自体が苦手になってきました。
人の弱みを何となく握って曖昧に笑うインターネットが嫌で、できるだけ頑張って明るく生きている内に上手に気持ちを表せなくなってきました。
無感情というわけではありません、私はオタクなのでコンテンツが進展すれば嬉しいし、クリエイターが悲しそうだと私も悲しいです。
ただ、私の場合はそれらの対外的なものによって引き起こされる感情があまりにもすべてになりすぎて、私から染み出すインクみたいな黒いものは上手に記述がままならないのですね。

しかしながら、面倒なことに人は出力しなくても勝手に感情や痛みを持ちます。

言わなければ気づかれないし、誰も不幸になんてさせないし、疎まれることもないけれど毎日訳が分からないぐらい全身が痛くなったり腰が限界になったり夢と現実が曖昧な幻覚が見えたりしています。

最近こんな状況で思うことは本当に全ての人類に平等なのは、死ではなくて痛みなのではないかという事です。
そもそも死が平等であったとしてもその前には人それぞれの痛みがあるはずなのですが、インターネット的にはゼロイチの生命の有無しか見ないので歪だとは思うのですよね。
痛みって何より苦しいですから。
神経が過敏に引き起こす、筋肉が異常な動作をして体の中身が歪んで軋む。
それは肉体がある限りほとんどの存在にとっては平等で、誰一人として逃げようがなく、誰でも痛いものは痛い。

感情を増幅するガスがあったとして、それが新宿や神田に撒かれたらもしかして叫ばれる言葉は苦しみや憎しみ以上に体の痛みになるのではないのかと思うのですよ。
就活中もストッキングとヒールの下に訳が分からないレベルの手負いを複数個所しましたが、恐る恐る身内に相談してもみんな通る道なのと笑われて、そんなものかと感じながら化膿止めを塗りこみました。
みんながみんな痛みを訴えずに、どんなに傷を負っても健康ですって平気な顔をして生きていて、それが社会の普通でむしろ痛みを叫ぶことは子供のすることとみなされて。
でも確かに私はインターネットで体の痛みを訴えてフォロワーに辛かったねと囲われる女が心底嫌いで、でも私も痛いものは痛くて、自分の理念からしてもそんなことは言えないから何か鎮痛の話題とコンテンツを漁って。
何となくいった深夜病院では症状が軽すぎると気休めの市販製品をもらっただけで、もう病院なんかにはかかるものかと思ってもいます。
生きてるって本当に痛いことばかりで、嫌になっちゃいますね?

おやすみなさい。

2021年6月21日月曜日

2021/6/21

 

こんばんは、人都です。
今日の夕方は怖いほどにきれいな物でした。
ゲームでも文章でも衣装でも、美しいものは尊いと思うのと同時に自分の理解を超えることが怖くなります。
特にそれがありふれているのは自然という人が完全な有形で扱う事の出来ないそれで、時に暴力も振るうそれは現実の怪獣にも似ています。
私は自然が好きですが、自然派という程は思想は過激ではありません。

信じられないでしょうが、私はかなりアウトドア派です。
キャンプの経験数は並みの人より多いと思います、テントの設営や炭の扱い方、ヒルの倒し方も分かります。
今ではサブカルや密回避の観点から昔以上にキャンプが人気になった気がしていますが、私はそれとは少し別に少し小汚いぐらいなキャンプ場も好きでした。
インターネットはそこそこにスマートフォンなんてないぐらいの頃でその頃はまだキャンプは今ほどおしゃれなカルチャーではなかったような。
いや、そもそも布や空気を入れたマットレスこそ隔てても、そもそもやってることはガチ地面に寝ているのですからね。

私の虫への感情も恐らくこういった経験を重んじる親によって形成されたのでしょうね。
虫愛ずる…なんて風流なものではなく、私はひたすらに虫を嫌いもせずにただそんな小さなのに命があるのは面白い話だなと幼いころから思っています。
目を凝らすとそこらの地面にもどうしても小さな虫はどうやっても大量に蠢くという事はあって、それをずっと眺めてると不思議な気分になるんですね。
多分視界の中に命をカウントすればきっと100よりは多い、そんな小さい体に何があるのか知れないが確かに何らかの欲と目的で非常にランダムに稼働する、虫。
魚やカエルの解剖を理科の実験で行った時にひとつずつ命の役割を確認するような、まず訳が分からないほど小さな虫はそういったことが無い、多分一生虫のその心臓とか筋肉とかそういったものは目にしない、踏み潰すことはあるでしょうが。
ちいかわと思うかどうかは自由ですが、認識できない機構はやはりどうしても一瞬オカルトの類かと思えるほどに不思議です。

虫の魂は5分で、人の魂は21グラムで。
一つの肉体に与えられた自我は多くの場合に一つ限りでその規範だけはほとんどの生物が同じで。
もしかしたら複数本の脚や異常な色彩以外でも、虫に対して魂的な奇妙さを感じるのかもしれません、それが虫を苦手にさせる可能性。

おやすみなさい。

2022/2/6

  こんばんは、人都です。 お久しぶりの更新ですが、またあまり快いことを書かないことを許してください。 本当にこの場所が肥溜めのようになっていることを案じてこそいますけれど、本来は絵よりも文のほうが気楽な私には重い悩みは絵にぶつけるよりも書き出す方が安眠剤になるのです。 私の親が...