こんばんは、人都です。
どれだけ心の調子が悪くても、このブログは肉体の出来る限り更新しています。
肉体がダメな時というのは、後先考えずに絵を描いた結果夜を終わらせた事例や精神でそのままベットに倒れているときのことを指します。
しかし基本的にはどれだけ荒くしても肌以外は悪くならない体質なので、限界に至ることはそんなに多くはありません、すべてのダメージがアザと傷口と腰痛になる以外はあなたが思うより健康なんですよ。
だけれども、コロナウイルスは確実に恐れてもう一年以上の時が経っています。
日頃病気にならなくても、致死性も後遺症も恐ろしい可能性がある事が恐ろしい。
恐ろしい、恐ろしいけれど、本当に怖がっているのはもっと社会的な意図にあるような気もしてしまう。
もしも自分がコロナウイルスに感染したら。
まず学校やバイト先、前の二週間の間に関わった社会的関わりの全てには連絡を入れるべきでしょう、家族からは当然隔離で恐らくPCRの検査が彼らにも必要とされる。
嫌すぎる、どうやって話を切り出せばいい。
笑えるような話じゃないし、憐れまれるのは嫌いだし、多分何らかの形で受けるものは損害と費用で。
それは確かに医学的根拠だとしても全てから隔絶され、周囲の就活状況や卒論の進捗も時も止まらずにすべてが進んでいき、そこから取り残されていったいいつになれば本調子に戻れるか。
しょぼい理由に思えるかもしれませんが、私からすれば死活問題です。
私は今社会的でも交友でもどうせダメなんだろうなって思う志望先の人でも、関わり合える人なんて本当に限られています。
それらからも隔離されて、インターネットでうるさい癖にたぶん私はそれには耐えられずただ焦燥感でだんだんと頭が狂って、自分の全ての因果を恨むしかなくなって。
私を嫌わないでくれ!
いや別に私が嫌われているわけではなく、コロナは陰謀論者以外の全てには脅威なだけ。
罪を憎んで人を憎まず、病を憎んで君を憐れむ。
この全ては妄想のフィクションだけれども、実際に私が都内でちょっと遊びたいと思った時に流れる走馬灯はそんな世にも奇妙な現実でそれを防げるなら私はもう何もしたくなどない。
コロナウイルスはすべての好奇心を、社会的な絶望の名の下にそれでもやる気かと脅しをかけては食らう病魔なんだと思います。
君の不定形な感情の為に、もしも身内を殺すならいっそ何もしないで生きていよう?
それはそういって全ての文化とあてどない喜びを、友達と安いラーメンを食べて漫才を見る程度の不要で不急なそれでも尊かったあの時間の可能性を全て壊してくれましたね。
それはもちろんコロナ禍の中で生まれたカルチャーも人気の出た世界もあるだろうけど、人に頼まれれば断れず脅されればなんでもしてきた人間は、交友関係を人質に取られたらもう何もできない、そんな勇気は私には無い。
去年開催されなかったきっかけとともだちと笑えたはずの街並みも全てはもはや脅迫の中。
それでも大切な人と無駄を楽しみますか、その上で大切な人に疎まれますか、最悪殺しますか。
ブルーインパルスが医療機関の空を飛んでしばらくが経つのに、社会は結局選考の中で私を要らないというのに、私は社会に嫌われたくなくてすべてのきっかけを失ってでも秩序の中で心を縫い合わせてまだ座り込まないように笑っています。
コロナウイルスの病魔は肺よりも勇気を蝕むのかもしれません、比喩的な意味で。
それでもまだ距離を取りましょう、この戦いはいつか本当に終わってくれますよね?
私から無駄を奪わないで。
おやすみなさい。
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