2021年6月8日火曜日

2021/6/8

 

こんばんは、人都です。
最近毎日InstagramとTwitterでフルコーデを作って投稿しているのですが、ぶっちゃけこれしてるとマジでブログまともに書けませんね。
今日も説明会を3つ受けてたので、周回機能のあるソシャゲしかしていません。

今日Twitterにはメガネかけている女子中学生botという概念が現れましたが、実際恥だと思っている過去が多くの人にとってトラウマにも似た最悪でそしてそれらはブラックジョークに昇華できるというあまり知りたくなかった知見を得ました。
それはまるでコウノスケが投稿して取り消した腐女子の闇スタンプのように歪なサブカルの女をあぶりだしている。
Twitterにいる奴なんてどこかで誰かに笑われてきたような奴らばかりなのにやはり誰かを笑うことでコンテンツにすることを楽しいと思うんでしょう。

ニュースサイトで見た文章を思い返せば、今アニメや漫画のようなカルチャーは非常に一般化していて作品を倍速で見てでも履修を取り、自ずからオタクになろうとする人が絶えないらしい。
オタクは社会に迫害されたくないからすべてを隠して一般人になろうとするのに、一般人はどうしてかオタクになりたいらしい。

そもそもオタクという言葉がどこから来ているのかと言えば、コミュニケーションが弱い萌ブタの人種が他人に声をかけるときに上手く会話を切り出せないせいで「お宅は…」と語りだすから、それを揶揄して「オタク」と呼ばれるようになったのではないのか。
そういう文章を読んだ記憶がありますから、強い一説ではあったはずです。
なのに今ではインターネットエンジェルたちが生放送で「オタクくーん」という始末、もう切り出すとかそういう問題ではないし大抵のオーディエンスはそういう風に言われて盛り上がっている。
サブカルコミュ弱差別対象のことをオタクと呼んでいたはずなのにいつの間に世間はオタクになりたがるようになったんでしょうか。

オタクが世界でどれだけポピュラーカルチャーになっても、クラスの端っこには誰にもわかってもらえない物を抱えて上手に生きられない本物は存在し続けるでしょう、私がそうでしたから。
オタクは差別用語でもあるけれど、「あの子はオタクだから」という消極的免罪符としても機能していたのにそれすらもダンス部のパリピに奪われるならいよいよあの頃の私たちにはインターネットの徒党すら許されず、ただデカくてブサくてキモい奴として扱われ続けるほかに無くなるのでしょうか。

それでも社会性もいじめも全てを取り払っても盲目にコンテンツに狂えた時の眼鏡の学生は幸せでした、どうぞお笑いなさい、あなたのようにまっとうに生きてきませんでしたから。
私の青春はどれだけ隠してももう変えられずに、笑いものです。

おやすみなさい。

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