2021年4月30日金曜日

2021/4/30

 

こんばんは、人都トトです。
ウマ娘のキャンペーン、ゴルシモードが難しすぎますね。

ところでバーチャルに失望したことはありますか。
絶望でも喪失でも、何か大きな力による押しつぶされた演者から言葉に出せないような唾棄したくなるような気づきたくもない勝手な痴情の縺れでも、なんでもです。
ファーストコンタクトはキズナアイから始まって今は応答の無い輝夜月に笑って、ねこますさんの言葉に可能性と光を見つけて。
バーチャルメディカルテットや天魔機忍とかアマリリス組の関係性にワクワクしたり、毎日のように増えていく新人やびっくりしちゃうような企業の参入があった頃がもう今は少し思い出になりかけていて。
コラボ配信という概念もだんだん生まれて、そこから非対面の出会うはずのなかったてぇてぇがたくさんあって、何か近未来的でlainやケータイ捜査官7や電脳コイルにサマーウォーズにウォーゲームのようなサイバティックでスマートにかっこいい新しい世界がバーチャルという言葉にまとわれていた頃。
じゃあ今はどうなのかって、数年たっても私はVのオタクをしています。
でもそれはちょっと初めの頃の捉え方とは異なっているんですね。
だんだんとクリエイティブで切り開いていくようなバーチャルたちはそれこそ何か現実世界の裏方として仕事に駆けだして、オタクが仕事で疲れ切ったそこにコンテンツを何か求めるのは恥ずかしいことなのかなと思いなおしたり、技術力がある人たちをたくさん集め資本もある企業が本当にトークスキルのある人材やアイドル性に優れた卵を連れてきて絵や人形と設定に受肉をさせてはそれがだんだんバーチャルのベターな形となっていって。
進んで新人のVを見るにしてもshowroom系はオーディションでうやむやになると普通に顔非表示の生主になっていくこともあるし、そもそも引退どころか数カ月したら勝手に動かなくなってアカウントだけがフォロー欄に残っていって。
私は一瞬そちら側だったような記憶がありますが、基本的にはコンテンツの消費者なのでそこになにも言える立場ではないしそういうものを眺めて通知とタイムラインを飛び回ればその内に時間は過ぎていきました。
時間が過ぎれば過ぎるほど、過去は美しくなって汚かったことを勝手に忘れようとしてシーグラスみたいに丸く朧気になって。

過去はそうやって美しくなってしまい、もしかしたら嫌なことは全て無意識の歴史修正をしてしまうような気がするのですが本当に呪いのように昔は良かったと繰り返すだけでも時間は過ぎていきます。
摂取して記憶して経過して美化してそして忘れていく、これは忘却的濾過なのでしょうがそんなことを繰り返すのは穏やかでしょうが生きていることがもったいなすぎる。
今は進んでいるはずで、変わっていくにしてもどんどん新しい技術のような物理的な物から経験を経た上での精神的な成長が絶対にあるはずでそれを掴まないのはもったいない、失敗しても黒歴史でもいいんですよ、私は過去にはすがりたくない!
だけれど実際ブログに書くことはいつかの思い出や後悔に似た理想論で、実際社会の状況的にもせっかく試行したオモコロの後追いみたいな実験もDMの話題にしてやれればいいのにねーなんて話すだけ。
世界だけ時間がどんどん進んでいく、こんなにも舞台は美しくて照明は輝いていて恵まれたことに誰でも発信者になれる状態にあるこの世界で!
穏やかな安寧や行き場のない愚痴、ままならない体の不調は閉じた鍵付きや懐古に委ねれば安心はできます。
やりたいことやフラストレーションだけがぐちゃぐちゃで、それを適当な社会批判にはしたくないとは思いながら結局毎日は焦るほどに毎日。

だからこそ昔の輝きが新たな事をしようとすることがとてもまぶしい。
VRoadCastarの再始動は、そんな鬱屈とした現状に差し込んだ光のようなものでした。
比較的長い時間バーチャルとなって多くの経験をしたであろうキャスト、技術と共に最大出力のクオリティと質感を毎回更新していく3Dの世界たち、視聴者のコメント欄に並ぶ若干ニコニコの混ざった居心地のあるミームな掛け声、そんな美しかった過去がまた戻ってくる、いや新しく次の景色を見るために作られるんだって。
バーチャルYouTuberが流行りだして、オタクたちがまだナマモノと架空の違いもつかないうちに描いたアホのような物量のあるファンアート集合絵に見た夢のような青春の世界をどうやらまだロマンにしてもいいらしい。


バーチャルにみた先進を、未来を、尊さを、夢幻を、君が変えた世界も全部まだ過去にしなくてもいいんだって、それは理想論者のたわごとなんかじゃなかったって。
今回のクラウドファンディングという有償の支援は絶対にその支えになるんだろうなっていう信頼めいたものもありますしね、私みたいなやつでも最高のEDのウユニ塩湖を駆け出していく人達を支えられるんだよ!?
私には技術もなければ、就活中にいろいろなことで押し負けている現状の一般人で出来ることといえば机上の空論と妄想を開け散らかした文章ばかり、強いていえばVRoidならちょっとできる人です。
でも今回の告知超えて宣言は、光で希望でした。
次に行きましょう、私みたいなのでも一緒にその景色を見てもいいですか?
その時にはバーチャルにまた集まりましょう。
ちりんちりーん!なんてね、あはは…。

あ、私はバーチャルもリアルも結局一緒とは思っていないです、そこは言っておきます、追記します。
だってそこでしか出会えない人と会ったときに動いた心や脳の場所がリアルであった時と全然違いましたから、ぼんやりとした体感だしclusterの思い出ですか、バーチャルにはそこでしかできない事があると思っています。
まぁ私は非リアなやつですからね、どうせ友達とも不要不急で永遠に会えてないし。
理論的な事が言えないですね、賢くいうなら不定形な自然を貨幣評価することによる限界としかし評価することによって得られる利益みたいなものがバーチャルにもあるのでは無いかと思ってるってことです、仮想空間にも作る人はいますから。
そうするとどちらかと言うとインターネットタレント文化というバーチャルよりも興味はこちらが主体となった新しいアバターと自己二面性の形としてのバーチャルになってくるのかな、得意分野は着せ替えだしね。
好きな服を好きなように着れるのは私にとってバーチャルでしかできないことですから。

でも「あの言葉」にもしnoteとか出典があるなら、出典元には許可取りというか意思確認したほうがよかったかなとは思いますけどね。
クローズドなブログで言ったところで、誰に届くんだって感じはしますけど!

夢見がちな文章でごめんなさいね、とりあえず明日バイト終わったら金を数えに行かないと。
それじゃあ、おやすみなさい。

2021年4月29日木曜日

2021/4/29

 


こんばんは、人都です。
嘘のような話をしましょうか、また今日もいつか見た予知夢に似たような日でした。

私は少女と言える時代をほとんどスピリチュアルとオカルトに捧げた危険なオタクであったのですが、別に特異体質とか最たる異能があるわけでもなく本当に平凡で、ある程度の頃からはすべての信仰を娯楽かフィクションだと捉えるようになりました。
そんなにただただ普通なのに、一つだけずっと恐ろしい癖を夢の中に持っていてそれは治る気配もなくずっと睡眠に付きまとっています。
それが何か行動をしたときにその結果として人に嫌われる鮮明な予知夢なのでした。
もしかしたらどんな人でも感じうる感覚で、これはごく全く一般的な笑い飛ばすべき不安症なのかもしれませんがそんな夢の話は共有されたこともないので分かり合えません。
いわゆるデジャウとか自分という映画の予告編をめちゃくちゃに切って貼ったようなものはきっとよくある夢なのでしょうが、この人に嫌われるという夢だけは見るたびに本当にリアルで、物理法則も因果関係も破綻していない世界にて前もってノベルゲームの失敗選択肢を見せられるような夢なのです。

ただでさえ直感とアイデアでばかり行動するような私が何かのタイミングで身に着けた究極の勘…とかなら格好もつけられますが、何より人に嫌われるというそれ自体の追体験があまりにも怖すぎる。
そもそも私を好いてくれている人の人数が両手で足りてしまうような人生にあって、私は今後そのいずれもの手を絶対に放したくはない、でも振り払われるのなら仕方がないとも思っているし現状好まれているとも思ってはいない。
でもその振り払われるような姿を夢の中で何回も何回も嫌にリアルに見てしまって、目が覚めた後にその嫌われた夢を見たという結果だけは消えてくれずに、一人で蒼白としています。

私は今日本当ならDiscordの通知とそれに伴った不可視の人間の感情の話をするつもりだったのですが、書き出しを作ったあたりでまた好きな人に嫌われる夢を見たときと気色が悪いほどに状況が似ていることに気づいてすべてを消去したわけです。
多分タイムリープものなら以前に見た状況の構成要素を分析し、不慮の事態になった要因を洗い出して改善策を講じるのでしょうがあたまのよわいひとにそんなことはできるはずもなく、ただ今しようとしていた事をなかった事にするだけです。
人に嫌われてもいいと思っているはずなのに、それはすべて夢で幻で本当ではないのに誰かの好意を失うことが怖くなってしまって、しようとしていた判断をその思い出す瞬間までどれだけ良いものと思っていたとしても全部叩き壊すことしかできない。
直感とアイデアと衝動と、末には夢に行動を握られているなんて情けない話ですね。
本当に情けないよ。
他人に媚びて同情と共に誰からも分け与えられている愛を当たり前にもてあそぶような人が苦手で、なんとか距離をとったはずなのに私自身がこんなにどうしてこんなにままならずヘタクソで生き汚く、たった数人のそれもほとんどがインターネットの人に嫌われることがこんなに怖いんでしょうか、こんな人になりたくなんてなかったです。
最善の選択をしていたいですね、何事においても。

変な話をしちゃってごめんなさい、もっと素直だったらこんなテキストにしなくても妙に言い回しを気にしたりしないで大切な人を大事だって言えたんでしょうかね。
明日も現実のノベルゲームのパーフェクトコミュニケーションを探してやっていきましょう。
よし、楽しく話せたな。
おやすみなさい。

2021年4月28日水曜日

2021/4/28

 

こんばんは、人都です。
今年の私にはゴールデンウイークというものはありません。
都内のオリンピックの有無にかかわらずそれがあるという前提でスケジュールが既に組まれていますから、私のような四年次ならともかく一年生からしたらたまったものではないでしょうね。
きょうはウオッカのうまぴょいを成功させました。

今日は灯止とうとの話をします。
彼女は私がバーチャルYouTuberをしていたころの、普遍の象徴である女の子でした。
言ってしまえば結局灯止とうとは私のアバターだったのですが、できる限り汚い自我を落とし込みたくなくて全て性格設定からストーリーやセリフパターンまで作りながら稼働させていた全力で創作した他人事でした。
基本的に私のパーソナルを信用もしていなければ好ましいとも思っておらず、それなのに私は唐突にバーチャルという都合いいリアルタイム創作の流行を実験の場にしてみようとしてそんな形をとったのでした。
言うまでもなく私は実家暮らしで、動画の製作経験などなくついでに声はそれはもう素人でなぜあの時はあんな判断をとったのかはよくわかりません。
でもガレージバンドを使えばだれでもBGMは作れて、スマホの課金買い切りのアプリでやってしまえばアナログの狂人であってもゆっくりの要領でバーチャルの真似事は割合簡単にすることは出来たのでした。
始めたの自体は2年は前なので、割とガバでも許される感じの風潮があったのもあります。
そうですね、バーチャルYouTuberになるのは多分考えられている以上に簡単なんだろうと思います。

問題は大体始めてから2年を過ぎた後、自己紹介の動画や毎日の挨拶、たまにイラストを投下しながらいわゆる同期のような別の投稿者と交流をしていく中で、私は脳内にある「灯止とうとならなんていうかマシーン」のようなものを活用していたのですが、それがある時に全く動かなくなりました。
それを失った時に出てきた言葉は本当に汚らしく面倒な嫌いな人に似たようなパーソナルで、やめろと言いながらむりやり酒や他のコンテンツの消費者になって頭の中の考えを消すほかにはありませんでした。

灯止とうとはアイデアが消えていく街の忘却路を放浪する創作の美しさをそのまま映したような、それでいて儚いどうでもいいような没個性の、でも私がそばにいてほしいと誰より願った美しい少女でした。
私は言葉を制御しなければ弱音も辛さも体の痛みも全部人のことを考えずに発信してしまいそうになる、そしてその事を誰よりも自分で軽蔑しており、ドジでぐずで煩悩にまみれた汚い老いていく生き物のうちの平凡なひとつで、だから純粋のような存在しない少女を作ってそして彼女を愛していました。
しゅごキャラ!ならなりたいアタシとでもいうのかもしれませんが、私にとってはそれすらも超えて、ただそこにいてほしかった女の子でした。
彼女はもう消去しました、私の雑念があまりにも大きくなりすぎて彼女が分からなくなってしまったから。

人にされたくないことは自分がしてはいけないよ、なんてありふれた話なのに私はそれをしてしまいました。
Vtuberってボタンの一触れでどれだけそれに時間をかけていても簡単に消えちゃうんですよね。
インターネットのかどっこには彼女を愛してくれる人はいました、なんなら推し絵文字を名前に付けてくれていた人もいましたし、買わなくてもいいんだよと言わせながらも私が自分用に作ったアクスタを買うフォロワーもいました。
なのに私は逃げてしまった、本当に良くないのに全部消してしまいました、許されるはずがない、私は彼女を作って前触れもなく気の触れで殺してしまった。
綺麗な少女が方向を変え病んで同情を求めるなら私はそんなことをさせる前に止める手段をこれしか持たなかった、綺麗なままで消えて欲しかった、私の汚さを伴ってしまったらそれはもう彼女ではなかった。
彼女を永遠にきれいでいさせるために私の汚いところを隠して、ただこうあってほしいというふわふわの優しい夏概念の少女のようなシナリオがもう書けなくなってしまって、私から灯止とうとの言葉を何一つ作り出せなくなってしまって、それに気づいたとき本当に絶望した気がして気分を崩しました。
彼女ならこんなときなんていう?
優しさも思いやりも、映えないような冴えないような図書館で一度だけ話したような木漏れ日みたいな暖かさを私は彼女に見ていて、それを作り出したかったしもともと小説も書いていました。
最後に抵抗されたかもしれないのは、私が彼女のyoutubeチャンネルのログインに必要な要素を思い出せずそれらの動画を結局消せなかったことでしょうか。
インターネットの中にきたない私の声を持つなによりもきれいな彼女は当分youtubeの泥のような検索機能の中に埋もれていくのでしょうね。

灯止とうとを愛してくれた人に、私はいまさら何ができるんでしょうね。
私も彼女に会いたいです、こんなことを言うのは無責任でどうしようもないことは知っています。


多分、それでも忘れられないんでしょうね。
おやすみなさい。

2021年4月27日火曜日

2021/4/27

こんばんは、人都です。
最近、どうしても二次創作に関する学級会的なトークがよく耳に入るのですが、やはり二次創作と言うのは難しいよなあと目にするたびに思います。

一次産業は農業や水産業を指して、二次産業はこれらの採取・採掘した資源を加工する産業が当てはまるはずですが、これはだいたい創作の話でも似たような物なのでしょうね。
一次創作で作られたキャラクターや物語を材料に、二次的に妄想や歪みを加えて捏ねなおす工程。
ですが、本来そのように素材的に扱われる物語たちは誰かに使われるために生み出されたものではまずなく、その物語に込められた思いや信念や感情を誰かに伝えるための完成物であるはずで。

なのにこんなことを理性的に書けるぐらいなら分析出来ているはずなのに、二次創作がしたくなる時というのは本当に衝動的でその景色を見たかったぐらいの理由で平気で数時間をペンタブに溶かしてしまう。
困ったことに全ての理屈を置いておいて、一番わがままになってしまうんですよね。

私は割合好きな二次創作がパターン化されていてシチュエーションも比較的定型文なので、それを当てはまるように作っていくことが多いのですか、それ故にあまり作中キャラとキャラの関係性を見出す事は得意ではありません。
他の方が描いたものならもうなんでも美味しく食べさせていただけるのですが。
キャラ萌えなのか設定萌えなのか文脈エモなのかよくわかりませんが、私は恐れながらも結局二次創作を楽しんでいます。
問題はその多くがぶろきゃ…バーチャルyoutuber関連の半分ナマモノみたいなジャンルであることですね、ほとんどは私で隠しておきます。
ウマ娘の二次創作もかなり配慮が必要なジャンルですが、ノールールの中で心情を察しつつ探ってダメなものはアナログに封印する人がきっとそれなりにいるトレンドなんだろうな…と思っています。
ネットに載せているものはごく一部です、これはシュレディンガーの猫になるんでしょうか。

なんでこんな話かって、明日も朝が早いから長文が書けなかったせいです。
たいした中身もないですが今日はこれで終わりです。
おやすみなさい。

2021年4月26日月曜日

2021/4/26

 

こんばんは、人都です。
昨日まどか☆マギカの完全新作が発表されましたね。
マギアレコードにまで原作監修のオリジナルエピソードが実装されると。
昨日はそれで一通り暴れて、気づいたら寝てました。
体力が無さ過ぎるのか!?

まどか☆マギカは私の創作、価値観、もうなんか全部を構築したヤバいコンテンツです。
無理もないと思ってください、小学生がうっかり受信した美少女コンテンツがこれであったためにもう全部衝撃的な展開を全て栄養にして私が育ってきました。
ここまで言うのですから、一応それなりにまどか関係の世界観に人並みよりちょっと造詣は深い方だとは思っています。
まどオンもやっていましたし、資料集や某所でまどポの攻略本も入手しました。
それでもまあ知らないことは多いです、展開がなにせ大きすぎるので。
私のブログを読んでいる人でまどかを見ていない人はいないと思いますがネタバレの話をします、見ていないことは一周回って幸福なので今からでも初見の感想を教えて下さい。

まどかの世界では「魔法少女とは魔女の幼体である」といった語られ方がされることがあります。
こんな言葉遊びからしてシンプルなネーミングの含みが素晴らしいなと思うのですが、つまりあの少女たちが戦うべき醜悪で美しいバケモノたちはかつて全て人間であり、魔法少女であったというのですね。
私はこの設定に本当に感銘というか、衝撃を受けたのです。
多種多様な犬カレービジュアルのやられ役からさやかの変貌したオクタヴィアの鮮やかさ、杏子が抱えた魂を失った亡骸、かわいいアニメに似ても似つかない葬式のシーン。
あのバケモノたちは全てかつてさやかのように精一杯の人生を生きて、世界を呪うように魂を燃やした魔法少女であったのだと。
きっとそれぞれに無二の色と軽やかでかわいらしい衣装を讃えて、何か命を懸けるような祈りを捧げて魔法を振るっていたのだと。
だから私はまどか本編が終了して落ち着いたのちに、そんな劇中でまどかたちと対峙した魔女たちが魔法少女であった、あったはずのifを探して二次創作をしていました。
たしかほむらが時間遡行中にワルプルギスの攻撃にモロあたりして致命的なバグを引き起こし、まどかやマミ達が活躍するよりも少しズレた過去に遡行してしまったことでいつか魔女になるはずの魔法少女たちと出会う…みたいな内容だったはず。
ケータイ捜査官の機械全壊死別という凄惨なエンドかまどかの魔女関係が先かはよく覚えていないのですが、どちらもが幼い私にとって二次創作を促進させた材料には変わりありません。
でもメカを描くより女の子の方が楽だったのか、絵の量は圧倒的にまどか絡みが多かったです。
ちなみに私と似たような考え方で二次創作をしていた方はいらっしゃって、pixivで「先代魔法少女」と検索すると当時考えていたようなものに近いものが見られると思います。
単なる魔女擬人化ではないんですよね、魔法少女だったはずの絶望がそこにはあって。

それからしばらくして叛逆が放映されて、私も頭をくらくらとさせましたがそこで「お菓子の魔女」の魔法少女時代の姿の正解がある意味で発表されたんですね。
べべこと百江なぎさちゃんです。
当時本当にやかましいぐらいに言われた女児がん患者説はどこへやら。
その後でマギアレコードにもしかしたら「ハコの魔女」や「薔薇園の魔女」の原型とおぼしき魔法少女が初期実装され、明言こそされずとも驚いたものです。
そしてもしかしたら今後ワルプルギスの夜までも公式で何らかの正解が出されるのかもしれません。
何はともあれとても楽しみです、生きる理由が増えてしまいました。
生きている内に続編が出たことが本当なんだかんだ嬉しいです。
でもあのエンドから何か新しく進めるということは、ほぼ尊厳破壊行為に該当するとは思うので覚悟は相当に必要だと思いますね。
何事もなくピュエラマギホーリークインテットしてろ。

それではおやすみなさい。


2021年4月24日土曜日

2021/4/24

 
こんばんは、人都です。
ここのところメンタルと体調の変化がもろに肌の調子に出るためお酒を断っているのですが、最近はだんだん何もしなくてもストレートに肌の治安が最悪でどうすれば…という気分になっています。
あんまり痛々しい話はしたくないのですが、目が覚めると一部分皮膚が無くて暴れまわりそうになるレベルのやつを常に全身の爆弾として持っているとでも言いましょうか。
これが生まれたときから持っているものなので、余計に自分から自傷とかするやつを理解できません。
自罰にしてもリターンが重すぎるじゃないですか、実際私の関節とか新陳代謝のやりすぎで皮膚壁がもう何か所か奇形になってますからね、こんなこと進んでやるやつの思考まじで意味がわからん。
私に関しては無理やり強い眠りの薬で夜の無意識ごと吹き飛ばすか、後は夜の無意識にお祈りをするぐらいの対処しかないのでマジで困ってしまいます。

今日は朝から日中厨房でメチャクチャに働いて、虚無を動物パズルで埋めたらなんかもう一日が終わっていました。
わりかし忙殺によるミスを多くしたので、反省というか疲弊というか。
ああ、あと大学に関してはもう完全にオンラインに変更だそうですよ。

そんな感じで今日は時間もなくあんまり話題が無いのですが、小手先の遊びに思い付きでガチャガチャで引いたロボットを簡単に塗装してみました。
ちなみにガンダムマーカーの金色を使っています。
色を自分の手で塗るだけで、愛着が増すのですから不思議ですね。
それに言っても軽めの買い物なので、手ブレによる塗装ミスすらおおらかな気持ちで許せます。
そもそもこのガンダムマーカーは一度トランスフォーマーの塗装に使おうとして、やっぱムリ!となった時の余り物ですからね。
ついでにメーカーもコンセプトも違う二体を部分的に同じ色で塗ったことで、隣に置いた際にさらに映えるようになりました。


今日は本当にそれぐらいですね。

ああもう4月ももうすぐ終わってしまいます、2021年の3分の1が終わってしまう!恐ろしい事です。

そんな事を考えながら明日もお金を稼ぎます。

おやすみなさい。

2021年4月23日金曜日

2021/4/23

 

こんばんは、人都です。
今日もバイトのシフトや書類を出して、面接を受けたらいつの間にか一日は終わりました。
少しだけウマを模索して、後は悪思考防止の動物パズル。
ここ最近最後に必ずブログを書いているせいやもしれないのですが、毎日の終わりが異様に早いのです。
このブログはさしずめ今日という日の感想ペーパーのようなもので、出すことで今日をやっていましたよという出席証明書のような存在になっています。
他にも30秒ドローイングや空を撮る習慣も同じカテゴリの行動です。
真面目とかではなくこういった物と言うのは出さないと、その瞬間は気楽でもその後に蓄積する状態異常のように最悪の絶望残尿感のようなものが脳を占めて、そのまま首まで締まりそうになるので書いているんです、世の中にナイトルーティーンをこんなにも汚く表す奴はそうそういないでしょうね。

私は個人的な興味で今「ビオトープ管理士」という資格を取るために勉強をしているのですが、その参考書の中で興味深い一文があったので今日の語りのネタにしようと思います。

『「物語」は危険』
ビオトープと言うのはドイツ語で「野生動物の生息空間」という意味で、そこで重要になってくるのはまず生物多様性と言われるそこにある生態の尊重を優先する考え方だと語られることが多いです。
そこでわざわざ前書きとして使われた言葉がこの「物語」への警鐘なのですが、これがつまりどういう思想なのかといえば、別に小説やストーリーへのアンチというわけではなく「見出しの危険性」を説いている一文なのです。
現象や結果から何らかを感じて見出して、人が勝手に感動的かつ悲劇を含む魅力的な物語を作る。
オタク的な語彙を使うなら「文脈」とでも言いましょうか。

別に自然環境や人との関わり合いの中でストーリーを見出すことは素晴らしい感性でしょうし、私もときたまにそういうことはします。
ただしそれらはあくまで私の頭の中の世界で完結する世界での物語で、むしろインスパイアされた事も絶対に言わないタイプのくだらないフィクションです。
ただ、もしこれがノンフィクションになってしまうと非常にまずい。
自然はイメージこそ与えますが無口なものですから、人から与えられたイメージに抵抗などできるはずもなく、受け取る他にはない。
もっと言ってしまえば、人間では無い生命体に人の法も思想も何も関係などなく、その種はただそこでいるだけ/生きているだけで完全に私たちとは全く関わり合いなどない。
だからこそ後付けでそこにはありとあらゆる設定を付けることが可能で、語られない空白をフリー素材にすることが平気で許されるのです。

そういった不定形で思考を持たない生命を扱うときに、空想の世界に入ってしまうとどうしてもそこにはよこしまな気持ちが混ざる可能性があるからこそ、この資格を取る上で物語の危険性を自覚しておく必要があるというわけです。
よこしま、といっても別にアブノーマルとか尖った危険思想な訳ではなく、例えば固有種にかわいい!というだけで極端な種に偏る守る行動を行えば食物連鎖の破綻やその固有種の増加による他種の破壊行為が行われる可能性があるので、その推し贔屓のような事は大きい目で見る保全の上では推奨されないという事なのですね。
単なるかわいいという感情も、使い方を間違えると厄介な事を引き起こしかねない。
物語とは少し違いますが、絶滅危惧種であるパンダの保護を人の手を入れて進んで行った結果、周辺地域でドールやオオカミの数が著しく減少した事例は有名ですね。
理由として餌となりうる動物を過剰保護した為に大型の肉食動物が割りを食ってしまったというのが、一つの導かれた仮説としてあるのです。

ただこういったノンフィクションの自然物語は、メディアの中では本当に魅力的に映る特性でもあるかのようにドキュメンタリーの題材として扱われる事も多く、わざと固有種を不憫に描いたりもっとデカければ地球温暖化にまでも物語を絡め、さも人を救世主のように描くようなものすらあるのですね。
映像としては美しいことは当然ですし、だからといってその美しい映像をずっと垂れ流している訳にはいかないという建前もあるでしょうからそこにはどうしようもなく、どうしても製作者側の自然への解釈や切り口が見えてくるものでしょう。
そして見たものに感動を与え、自然への関心を促進し…時にその製作者側のレンズをそのまま自分の物語としてしまい新たな偏愛の感染者を生み出してしまうという、避けられない罪もある。
正直この手口は自然系に限らず非常に魅力かつ有用なので、例えば基金の募りであったり、署名を集める際のキャンペーンにまず同情から始めて終着は愛にスライドさせるように応用される事もあります。
具体例のソースを出すとわたしがしばかれるので架空の例ということにしてください。
それに自然や生態系への愛自体はわたしにもありますし、蠢く小さな大量系の虫には今でもウワッとなるのは変わらずに、他にもクラゲの絵本を読んで飼育法を調べるほど惹かれていたような時期もあります。

もっと言ってしまえば、擬人化系のコンテンツというのはもとより存在した結果や歴史から見出された物語に美少女やイケメンの形で間借りしたようなものが多いはずなので、まんま危惧されるべきノンフィクションの見出しの物語と言っても過言では無いかもしれません。
刀だって船だって国だってウマだって、ただそこにあっただけの結果や概念から性格や物語を勝手に見出されているだけで本来そこにあるのは過去の累積物だけで、人格は無い。
そういう事を考えたのはシナリオライターやプロジェクトに関わる偉い人であって、そのもの自体には本来何者の意思も存在しないはずなのです。
これは怒られる人には怒られそうですが、ライスシャワーもサイレンススズカも別にその個体が悲哀を伴っている訳ではなく、ただレースで多くの栄光と鮮烈な不幸を患ってしまったが為に存在が物語になってしまっただけなはずだとは考えたことはありませんか。
どうせ生命はみんな生きて死ぬのに、それがあまりにも突然で衝撃的でそれを見ていた人々が色んな感情や疑念や後悔を交錯させたが為に、悲劇の文脈を偶然背負うことになってしまったようなもので。
断っておきますが、わたしはウマ娘のことが好きだし競馬知識に関しては素人以下です。
それにお姉さまをやってるし、モルモットくんもやっています。
擬人化コンテンツは人並み以上に愛好してきましたし、自分でも擬人化ばかりをしています。

でもこんな風に資格勉強をする身でチラッとこの好むもの達を見てみると、そこにあるものがあまりにもノンフィクションを誇張した文脈の物語ばかりで、我ながらもうちょっと完全フィクションの物語を触れておくべきだろとつっこみたくもなるのです。
ノンフィクションは本当に麻薬で、結局どんなに二次元趣味でも実在の面白さには惹かれてしまうし思い込めばそれを誰も否定はしないから、どんどん好きになってしまう。
そのことによって今まで知りもしなかったジャンルの知識や新しい視野の獲得、新しい物語を楽しむことができるのは当然否定はしませんし、実際募金活動や由来する現実コンテンツへの支援を行うこともありました。
実利は基本的には人を助けますし、支援の気持ちが裏目に出るということは不測の事態がない限りはまずありません。
ですが、時にはそれらが実は単なる無口な結果や観測、統計の累積から成る創作物である事は出来るだけ忘れないようにしておこうというという決意が、今後も擬人化コンテンツを楽しむ上で持っておいて損はないのでは無いかと感じます。
無辜の怪物というものはいつだってだいたい結果から創作された身勝手なフィクションがノンフィクション化して起こってしまうものですからね。
妙に技巧があり感情を持つ生命体である人の思い込みってやつは、集まれば集まるほどすごく怖い結果を生む事だってありますよ。

人は感情があるので、生殖本能とはまた別に割と適当に愛をする生き物です。
いつでも偏った愛は多分愛ではなく、誰かなにかを傷つけるだけの暴力になりかねません。
そのくせ愛というのは身勝手で弁論や説得さえうまければ、全てに対して言い訳として運用することが出来てしまう禁止カードでもある。

なんらかの大きな管理というのははじめるきっかけならともかく、そういった愛や感情に揺らぐわけにはいかない分野なのですね。
でも人は管理されるよりは自由を求めて破壊を行うのでしょうし、例え理路整然としたデータや由来があったとしても時に今回だけは!という例外を求めてしまうことがある。
もしこの世がなんらかのRPGでちょうど担当する場所が大切な物語のキーアイテムに関していれば、管理士なんて仕事は大体堅物でだけれども主人公達になんらかの形で倒されて文脈を救い出す為にその場にあるべき秩序は破壊されるでしょうね。
この世は多分フィクションでは無いので、人の行動の関わらない現象の観察は本当に無人格でそこにはなんの感情的な理由もなく、ただそうあるべきであっただろうという因果にあたる要因と少しの生活環境的な外部干渉によって構成されています。
全てのものに理由はあっても本来物語なんてない。
それを忘れたらいけないんだと思います。

もう眠いのでオチもなく寝ます。
おやすみなさい。

2021年4月22日木曜日

2021/4/22

 

こんばんは、人都です。
訳が分からなくなるぐらい頭が重いのですが、心を持ち直すには文字しかないので書きます。
今日は朝からキャンパスに向かう日でしたが、来週からはまたオンラインに戻る可能性があって少し虚しくなりました。
朝はパンに昼は弁当で、夜はタコスを食べました。
飲み物は絶対にブラックコーヒーです。
空き時間にはずっと木を枠にはめるゲームをして脳の処理を誤魔化しています。
あと長谷川白紙とkanogutiさんの曲を聴いています。

暗い話というのは出来ればしたくないし、本当なら幸せ以外この世にいらない。
なのに訳も分からないのに、形をもった理由もないのにずっと何かに許しを求めて謝っています。
本当にどうしようもない、自己管理がなっていない。
しかもこの世に理由がないせいで何にも環境的原因への感情ををぶつけられなくて、自分を疑う以外で自分の正常の糸口を探せない。

大きなバーガーを食べても糖分を摂っても推しを見てもこの不安が消えなくて焦っているのに明日もまた別の面接があります。
全部から逃げたいですが、逃げても先へ行く手持ちの芸もないので行く当てもないのですね。
学生時代に後悔ばかりをして大学までも黒歴史に入ったらいよいよ半生から目を背けることになりそうです。
明るく生きるべきです、みんなそうしています。

みんなにできることぐらいはやりましょうねと、社会の歯車にぶつかっていきたいです。
もっと明るい話がしたいです、ネタはあるのでちゃんと脳で噛み砕いて感情を言語化しつつ消化しようと思います。
言葉はいつでも味方になります。
おやすみなさい。

2021年4月21日水曜日

2021/4/22

 

こんばんは、人都です。
今日は何もない日だったので早めに起きて振り込みをしてからグノーシアやウマ娘に負けて、意味もなくパズドラを始めたりしていました。
あとは図書館の本を返しに行ったり。
朝はパンを食べて昼はつけ麺、夜はサーモンを食べました。
あとスフレのチーズケーキも食べました。

何なんでしょうかね、最近は自分の体力を過信しすぎて精神ともどもぐずぐずにすることへの対策に意図的に虚無日をいれているのですが、今日は虚無日なのにずっとなにか気持ちが悪くて気の休まらない日でした。
何も短期的に抱えているタスクはないはずなのに、ずっと安心できなくて頭が痛いままなのです。

世間はもっと忙しくて明日は学校なのだから休まないといけないのに、ちゃんと休めていない。
学のために手に取った一発芸に関する本は著者の思想的にハズレで余計に抵抗感を抱いてしまったし、何より今日は起きた時からずっとだるくてしかし寝る気にもなれず次のイベント用の準備をしたもののなんだかクオリティに納得がいかない。
生活の充実と面白さを追う以前に休暇として大失敗をしているような。

就活をしているときにありがちな質問コーナーにて、よく「学生生活の内にしておくべきことは?」と問う同胞がいるのですが、そういった場合の回答に多いのが意外にも「大学生のうちに遊んでおいて」といった内容であったりします。
つまりはきっと当然ながら、社会人となってしまえば無作為で無為な個人制作に費やす時間なんてまず無いのでしょう、私にとっての1番の遊びとはそれらを意味していて、まぁまぁにそれらが時間泥棒なことも知っています。
時間はとっくに有限で、学生生活もいよいよ終わりかけている。

まじめにふまじめをするように、世間的無意味な行動をする為に最高率の必要最低限をしていたい私はもうどうすればいいのかと逃げる程の度胸もなく毎日をしています。
人よりも元気なことが取り柄だと思っていたのに別にそんなことは無かったと気付かされている。
本当は今日もブログを書く気分にもなれなかったのですが、こんな無意味な日に腹が立ったので文字に残しておくことにしました。
怠け者が休むことすら下手になったらもうどうすれば良いんでしょうか。
毎日不安で喉が締まりそうです、この不安のせいで上手に休めないならどうすればいいのか、いっそのこと忘れてしまえばいいのかと。
もう単なる老化の方が幾分救いかもしれませんね。

とても情けない日記でごめんね。
おやすみなさい。

2021年4月20日火曜日

2021/4/20

 

こんばんは、人都です。
ゴルシの育成って何?今日はとりあえずエルちゃんのうまぴょいには成功しました。
午前中にVRoidで少し遊んで、あとは午後の時間を説明会と選考試験、書類作成に費やして散歩に行けたのはコンビニぐらいでした。
朝はトーストで昼はわかめご飯、夜はとんかつです。

今日は他にブログの題材にしようとしていた内容があるのですが、先ほどまでペンタブの筆圧が大バグを起こしてその解消に追われていた為それどころではなくなってしまいました。
私はデジタルに強いはずなのですが、そもそも物理的にクラッシャーであるのでたびたび物質からぶっ壊すことがあります。

ところで私はdiscordで「資料共有部門」というサーバーを管理しているのですが、今日の日付が変わるころにそのメンバー数が100人になりました。


どういうサーバーなのかといえば、挨拶のスペースもなく出入り自由で、有志が背景の参考資料にしてもいい写真をアップしたりSNS上でめいめいが見つけた情報をカテゴリごとにリンクで貼っていくという、寡黙なまとめサーバーです。
私が大したdiscord知識も無いのでもし悪辣な輩が入ってくれば一発で荒らし事故を起こしかねない、実はガバとした空間ではあるのですが、一応今のところはここはしっかりしておこうとちゃんと作った規約や説明関係に納得してくれる人たちばかりで、平穏に情報を蓄積している非常に便利な電子本棚になってくれている。
といっても基本的に挨拶とは別のコミュニケーションの場も完全に取り払っているせいで、一体参加しているどれぐらいの人にとって有用になっているのかはよくわからないのですが。
もともとは個人的にメモ帳に作っていたインターネットリンク集をサーバー化したものなので、少なくとも私にとってはなくてはならないものなのです。

いくらか小泉進次郎構文的にはなりますが、知るきっかけのないものは永遠に知ることが出来ないのがインターネットの有象無象な情報群です。
情報欲を満たす事や他人が楽しんでいるものを私も楽しみたいと言った、幼稚な好奇心を満たすためにはそんな溢れんばかりの情報を適当に整理したり定期的に調べておく必要が少なくとも私にはあり、そのためにあのサーバーが稼働しています。
今のインターネットは面倒なことにビギナー向けの手引きをGoogleで調べても、「いかがでしたかブログ」に当たる可能性がとても高くて萎えてしまうから作ったというのも理由です。
あとTwitterのいい文も、どれだけバズっても絶対その内忘れてしまうからブックマークしたりしているのですけれど、その量が増えすぎてしまって遡る手間が増えたことも。

一つ気になることがあるとすれば、基本的に情報や資料を共有する事に積極的な人は少なく、ほとんど私の情報収集共有祭の独壇場になってしまっていることでしょうか。
個人的には自分のTLでは流れてこないような情報をうっすらと期待してはいたので、主催がほぼ共有しまくっていることで逆に参加者を引かせたり躊躇させたりしてしまっているのでは無いかと考えたこともあります。
背景資料に関してはかなり多くの方が参加してくださり、いい練習にもなっていますが、それ以外はほとんど自分のエゴサ発表会のようで少しびびっているところもある。
出来るだけ調べながら気をつけてはいるものの、すべての情報の責任を取れるわけでも無いですからね。
でもまぁ、とにかくこの空間にはコミュニケーションが無いので一切の快不快が無く、とっても精神には優しい。

最近はアイドルマスターの選挙イベントが近いこともあり、それらのダイレクトマーケティングのツイートを収集してリンクで共有しているスペースもあります。
アイマスが好き!…というよりかは、人が好きを共有している初心者向けの文章やパワポというのは創作でもキャラデザをする上で求心力を狙う勉強の資料としてすごく分析しがいのある情報なのです。
専門外の知識からヒントを得ることって往々によくあります。

100人を超したから何か企画をしよう!なんて気はさらさらなく、多分今後もたまに訪れるスパムアカウントに対応をしながら緩やかに管理していく予定です。
暇つぶしの読み物を探す時にも是非どうぞ。
しがない私が入場スペースで絵文字を押して歓迎します。

それじゃあおやすみなさい。

2021年4月19日月曜日

2021/4/19

 

こんばんは、人都です。
ゴルシの育成が永遠に分かりません。

ところでこのの写真、とってもいいと思いませんか。
今日は大学の授業の後に合同説明会の関係で渋谷に行っていました。

なぜかバーチャルチックというか、平成ハイティーンなかっこよさを渋谷とそのスクランブル交差点は何度行っても湛えています。
人によってはそれが東京タワーだったり、サンシャインシティだったりするのでしょうか。
アトラス社系とかそれこそ親の顔より見た東京クロノスとか、このあたりの価値観は経由したゲームによって少しずつ変わった思いがありそうですね。

私は一時期建築系の履修ルートを取ろうとして成績の関係で倍率の高い授業に入れなかったことからその道をドロップアウトしたのですが、やっぱり今でも趣味の範疇として街づくりとか建物のデザインといったものが好きです。
いや建築なんて高尚なことは言えないのですが、新しく出来た建物が経年して緩やかに形を変えていく姿やビル群の後ろに貼りついた排気路や室外機、街灯、タイル、欠けたコンクリート、蔦の入った水槽、無作為なコンビニ、苔むした階段、ドラッグストアの飛び出た棚や誰が見るのかという位置の街頭ビジョン、そういった物の集合になっている街というワールドが本当に好き。
どっちかっていうと都市計画の経年観察とかの方が分野が近いのですかね、ドロップアウトしたのでわからない。
ワールドなんていうともっと気位が高いような気がするやもしれませんが、私からしてみれば街はどちらかと言うと冒険マップの一部でそれこそシームレスなオープンワールドゲームのように延々と好奇心が満たせる一番手軽なデカいおもちゃな訳です。

なにせ全く同じ姿の日が存在しない、ランダムはこの世で最も楽しい要素で決まりきっていない予想外がある事が楽しい。
NPCは毎日違うし、天気はもちろん気分で見える物も変わってくるし、道はどこまでも続いているので知らないことを知りたいなら行ったことのない路地に突っ込んでしまえばよいだけ。

こんなことばかりをしてきたので、気が付いたら人一倍地元に詳しく土地勘や方向感覚が妙に優れた人間になっていたようです。
自由研究で伊能忠敬の真似事をしてたガキ・LV22といったところでしょうか
あと大して背景が描ける人間でもないのに、やけに遠近感や緻密な街模様とそれらのもつストーリーやに惹かれる体質で自筆で挑んでは玉砕を繰り返しています。
特に好きなのは出水ぽすかさんと西義之さんの、アナログ感もありながら写実過ぎない暖かい世界。
私の夢は大好きな地元を舞台に何か創作作品を書く事なのですが、そんな途方もないことを皆さんにお見せできる日は来ないような気はしますね。
描いた漫画で出身地がバレる、なんていうのは私のある種邪悪な憧れです。

今日のブログも短めですね、暗い方が饒舌なのはなんだか嫌だなあ。
でもできれば苦手なものの話よりも、好きなものの話をしていたいんですよね。
何って苦手なものを話すと誰を敵に回すかわからないし、なにかの好遇を逃しかねませんからね、インターネットでも「かもしれない運転」は大切です。
誰かの推しカプが誰かの地雷で、誰かの薬が誰かの毒物に平気でなりうるのですから、それなら好きなものを話した方がリスクが少ない。
あと「嫌い」同士で繋がった関係は多くの場合に意見を刺すことが得意な者が集まるので「好き」同士より心をどうにも許しにくく、そもそも得意ではないのです。
好きで白熱して盲目の狂信者集団になるのもそれはそれで問題ですが…。
まぁ嫌いなものの話をするのが得意になるのはなんだか悲しさが勝る気がしますから、好きなことを書き連ねることをもっと上手くしていきましょうか。

ちなみにあの冒頭の写真は、帰りに寄った渋谷のヴィレッジヴァンガードに入る地下入り口から撮ったものです。
身内の誕生日プレゼントを考えるためにちょっと立ち寄ったんですね。
好きの入り口から切り取った地下から見る渋谷。
サブカル付け焼き刃は否めないのですが、私は好きです。
それじゃあ、おやすみなさい。

2021年4月18日日曜日

2021/4/18

 

こんばんは、人都です。
ここのところかなり精神がやられていたのですが、バイト帰りに油そばを食べたらだいたい復活しました。
あとすあまとお茶が美味しかった。
朝からの労働は特別楽しいわけではないけど、やりがいはあるので自信にはなってるんですかね。

あと、あんまり暗いことが書きたくなくなってきたので気分転換にブログをちょこっと改装しました、この時代に改装とかいうの?
タイトル部分を絵にして、あとゆめにっきの風味を感じたカウンターを付けてみました。
本当はもっと色々ブログアクセサリーをつけようとしたのですが、Flashが死んでしまったのが痛いですね。
太古の遺物がうんともすんとも言いません。

ウマ娘は新実装の子は来なかったけれど、エアグルーヴさんをうまぴょいさせられたので満足しました。

あとですね、最近とても懐かしいパズルゲームを見つけたので悪思考に飲み込まれそうになった時にそれをひたすらすることを生活のルーティンにしてみました。
「ZOOKEEPER」って知ってます?
かなり昔からある、四角い動物たちのピースを3つ以上そろえて消しては点数にする、動物園がモチーフのシンプルなパズルゲームです。
私はそれをキッズケータイの時代に、アホのようにやりこんでいたことを最近思い出しました。

現役小学生でありながら見ていた特撮等の影響でデジタルにませていたガキは、いかに通信料を悟られずにiモードを歩き渡るかを考えていました。
まずはファンシーに制約の多いキッズモードをあの手この手で解除して、個人サイトを渡り歩きながらなんかもう言うのも憚られる数多のジャンルの夢小説を探したり、プリキュアの百合を見ようとしたり、個人満足でデコメや動く待ち受けを保存しまくったりとバカ丸出しインターネットビギナーをしてたんですよね。
pixivはガラケーで見たかどうかの記憶がかなりぼんやりとしていて、どっちだったか…。
そしてだいたいの場合において、莫大に膨れ上がった通信料がバレて説教を食らい最悪の場合没収をされ、そしてアラーム機能とメモ帳表示機能を駆使した半自演の「バディ」の存在を親に気づかれて精神ダメージを受けていたりしました。
当時はまだフィクションと現実の間がぼんやりとしていたんだと思います、こういうことを経由してるから妙に変な事やりづらいというか、だいたいガキでやりまくってきたオタクになっちゃったんでしょうが。

そんでもって、きつめの灸を据えられつつガラケーの隅を突きまくった私が見つけたのがその最初から入っていた「ZOOKEEPER」のゲームだったんですね。
ゲーム性こそシンプルで、そこに鬼畜なタイム設定と指定される動物ごとの消去数、そして社長というキャラクターがスコアによってクソ煽り倒してくる仕様があり当時からポケダンの時探で修行僧のような経験値周回をしていた私はなにくそとそのゲームにどっぷりと浸かっていったわけです。
しかもしばらくやり込んでも親が何も言わないあたり、どうも通信量には響いていないらしいぞ、と。
今でも前に話した通りローグライクとパズルがメインの好きなジャンルなので、これもまたひとつ私の素養になっているような。

パズルゲームかつ、あまりキャラクター性のないものは、多くの場合ノーヒントの状態からこちらが技術を上げるなり法則性を見極めるなりとこちらがいわゆる経験値を貯めなければならないジャンルです。
しかもキャラ萌えが無いから誰かと話題にもし辛い。
そもそもモチーフが健全かつディフォルメされた動物園の仲間たちですから、他者と話が続かないでしょう。
でも私は当時DSゲームとパソコンを土曜と日曜の朝起きた時間から10時までしかやってはいけないという環境に育っていたので、つまり結果として一番身近なゲームになってしまっていたというわけですね。
しかし、可愛いデザインに反してほんっとうに難易度が鬼で。
当時はオンラインバトルではなく、ただただ課題を消化するゲームでしたから最悪の盤面を引いたとしても、何かつまづいたら必ず自分に失敗責任が発生するのでめちゃくちゃ苦しみます。
しかも仕様として、いわゆる連鎖状態時に時間も進行し、また別のピースも動かせるという本当に休むということを一切許さない非ターン制のゲーム性があり、一瞬でもひらめきを失うと簡単に狩られてしまう。
それでも本当に根気よくプレイして、なんとかエンディングまで到達させることができたはずです。
たしか社長の座をプレイヤーが乗っ取っていたような。
もしかしたら私のスマホタイピング速度がそこそこ速いのはこの辺りの鍛錬によるものである可能性はあります。
マジでそれぐらいやっていましたから。

そんでもって宇宙で人狼して、美少女を徒競走で勝たせて、猫に罵倒されながらコーディネートを組む昨今に偶然そのゲームの事を脈絡なく思い出して、アプリをダウンロードしたわけです。
むしろどうして忘れていたんでしょうか。
そのゲームはオンライン対戦やガチャの仕様を持ち寄りつつも、あの懐かしいガチャガチャとした見た目で、そして鬼畜な難易度仕様で存在していました。
今やってもめちゃくちゃ難しい、一応身体能力や脳も成長はしていてこれなので小学生当時の私には本当に無理ゲーだったんではないか。
あと今の今までアプリとしての存在を知らなかったのにオンラインバトルでは常に迅速なマッチングが可能で、しかもそこに現れる人たちはほとんど表示される累計対戦回数が千どころではないとてつもない猛者たちばかり。
ZOOKEEPERにそんなに命かけるようなランカーが存在していたとは…。
やはりどんなぱっと見辺境にも、よくよく見てみると本気の熱意の人々がいるのですね。
勝手に勇気のようなものすら感じてきます。
しばらくはやり続けてみるつもりです。

暗くない話をしようとするとどうしても思い出ばかりを話そうとしてしまうのですが、今日は今につながる話をできたので少し嬉しいです。
明日も学校なので、早起きのためにももう寝ましょう。
病は気からと言うけれど、今の私はすごく簡単な事で闇落ちしそうになるのであんまり就活と学問以外で難しいことは考えられないというか、考えないようにしています。
流行病も怖いですからね。
適度に自分をスマートに甘やかしつつ、必要なことは確実にこなしていきましょう。
それらをする時に時間制限がシビアなパズルゲームはやっぱり便利です。
負けても禍根が残らないし、勝ったら達成感がえられて満足できる。
何より頭がいい気分になれて、罪悪感が少なく自分を癒せる。
あとはPVPでも課金の有無がほとんどスキンの豪華さ要素のみで、本当に技術と持ち前運だけで殴り合う感覚も健康にいい気はします。
あとダウンロードしても容量を食わないから気楽。
パズルはいいぞ。

それじゃあおやすみなさい。

2021年4月16日金曜日

2021/4/17

 

こんばんは、人都です。
今日も面接や勉強をしていました。
就活の関連する物事の中で、どれだけ経験をしても面接だけは本当に苦手で、zoomを閉じた後にはスーツ姿のままベットに倒れて自分に罵詈雑言を浴びせ続けることがやめられません。
最近は私の感情や意思と関係なく、どちらかと言えば瞼の痙攣やチックのように油断をすると口から「ごめんなさい」「殺してくれ」「もうやめたい」といった思わないようにもしている言葉が発作のように出るのです。

私は基本的に書くことが圧倒的に得意なので、言葉より書面の方がより丁寧に自分を出すことが出来るのですが、それは考えなければ打ち出せないということもあってのことで、口を使って表現をしようとすれば発作的にトーク内容と関係ない言葉を口走ることがあってそれが本当に自分が嫌いな一部分です。
他にも頭では理解しているのに言いたいことがあべこべの事を発言したり、1人の名前を呼びたいだけなのに何故か他メンバーを間違えて声に出して、結局笑いのネタになってしまったり。
ドジっ子で済めばかわいいでしょうが、少なくとも10年以上はこの発言癖を自覚しているので本気で脳が足りないのではと思うぐらいに正確な事が言えないんです。
しかもほとんどが無意識の話だし、本当に重要な内容を把握したり暗記するような事なら事前準備さえすればまともにこなせるのですが、この症状じみたものはどうでもいい生活に毎日レベルで付き纏っています。

コミュニケーションは好きだし、会話に難ありということはないのだけれどこんな爆弾を抱えているので腹の底では自分が無意識に訳の分からない事を言い出さないか怯えています。
自分の口のことがいい歳をして自分でも制御できないし、本当に油断をしている時ほど間の抜けた言葉が飛び出してくるから気のつけようが黙るぐらいしかなくなるし、そんな物は選択肢ではない。
このままこのクセと一生を共にするんでしょうが、現在進行形の悩みの種なのでキッツイですね。

今日も内容が薄いし、もはや日記というか悩みの告白しかしてないんですけれどここで終わりです。
今日はもう疲れたし、明日も受けるべき適正審査と合同説明会がありますから早く寝ないといけません。
もっと楽しい話を書きたいのですが、今できることが自分の中の悩みを打ち明けて心を軽くする自炊行為ぐらいなのです、自傷よりはマシだ。
生きる楽しみは食べ物以外ではほとんどインターネットの関係性オタクをするだけで、こんな事をするのはよくないと知っていながら他人に思いやられる事を喜んでいて、依存をしないようにと自分を自制している日々です。
いつだって依存は今は楽しくもいつかの破滅と悲しさしか呼びませんし、私のストレートな気持ちはめんどく湿って重いから気を許したら愛想なんて簡単につかされてしまうって、経験から知っています。
感情の天秤は対等じゃないと友達にはなれないから、私は今のままでは誰とも話せない、軽量化しないと自分で自分のケアをしないと、多分愚痴と不満と優しさに甘えた弱音しか言えなくなってしまう。
弱音なんてその言葉から嫌いです、大嫌いです、はやく強い私に戻らないといけない。
病んでいる暇すら今の私にはない。
なのに人に心配をしてもらえると嬉しくて、情けなくて。

ついでにこの世の全ては私よりも賢く見え始めて、息抜きのTwitter漁りすらどんどん私がバカなやつだということが明かされていか気がして、フォローしている人は当然のように賢くて、コンテンツは尊くて、世界は輝いていて、ここだけがゴミのように使えない。
Twitterをやめたら、生きる楽しみは何も目に入らない。
早くこんな日が終わればいいのに。
もう使われる人でもいいから、こちらを使える人って言ってくれる会社を探すまではこの生活は終わりません。

こんな日を終わりにします。
明日こそ明るい話をしましょうね。
おやすみなさい。

2021年4月15日木曜日

2021/4/15

こんばんは、人都です。

今日は都合上全編スマホ打ちなのでいつもと書式の感じが違って多分読みにくい日です。

ウマ娘を外出先でも切実にやりたい。

今日こそ電車内で読むための文庫本を持ち出そうとしたのに、机の上に忘れました。

なお、ゼミはメンバーとは意気投合したものの卒論のテーマで教授とバトりました。

もちろん今回も折れましたけど…。


私は基本的に外では絵を描いていることは隠しており、自己紹介の時にも当たり障りなく答える事を徹底しています。

それはオタク趣味を明かす事へのリスクはもちろんのこと、クラスメイトの中に自分よりもディープな趣向の持ち主や高い技術者がいた時に虚しくてどうしようもない感情になるからです。

私は美術の大学には通っていませんが、実習の関係上今後それらのスケッチの練習がカリキュラムに入ってくる予定で、それがとても怖いです。

暇さえあれば絵を描いていますが、技術が飛び抜けてあるわけではないので自分より陽の物が絵が上手いと多分それだけで若干バッドに入ると思います。

卑屈な性格のくせに、自分の長所の一つに心のどこかで絵を入れようとする。

卑小で傲慢なやつだ。

私の絵は集中の捌け口で現実逃避であり、一種の防衛規制であり、そんなに綺麗なものではないのに。

せっかくの機会なのでここでちゃんとしたデッサン技術を得たいな、とは思ってはいるものの先生の傾向上、多分絵よりも観察の話になるので場数バトルの話にしかならないでしょうね。

強みが欲しいです、出来ればオンリーワンのやつ。

花屋の店先が今やインターネットでアマゾンで、そのまま世界になっているのだからどれもみんな綺麗だねとか抜かしてくれる船は架空なんですよ。

自虐がしたいわけではない、むしろ世界の綺麗さを知れば知るほど文章の対比構図に自分の醜さしか出せない経験の浅さがいかにもバカらしい。

そもそもこれは日記なのに、変に論じようとするから現代評論あるあるのとりあえず対比構造にしようとしてしまうのが浅ましい。

みんな基本的に私ぐらいのことはできるし、頑張ってもその水準ぐらい頑張ってない人なんていないからマイナスの部分が少しマシになっただけで、永遠にそのゼロの地面から出る為に地底から土を掘って這いあがろうという運動をしています。

おけらも生きています。

でも太陽には敵いません。


今日は気づいたら日付が変わっていたのでここで終わらせます。

あんまり忙しいって言うと嫌われるので言っちゃいけないと身内には教わってるのですけれどね。

何故ならこの世の誰もが、世界で一番自分が忙しいものだと思っているから。

一番というのはかなり詭弁でしょうが、啓発や予防線の意味も込めてということでしょう。

誰もが何かと戦い、積み上げ、孤独にこなしては日々を過ごしていて、そこに流れる時間は同じでもそれぞれが全く違った1日の尊い密度と無意識にも似た行動への誇りを持っている。

人は誰しも仕事なり学習なり作業をしている時、通話でもしなければ基本的には孤独なので他人と比べることが適切不適切というか相性が悪い。

みんな時間は等しく、内容は全く等しくなくやりたい事をタスクの端に寄せて頑張っていて、それを無碍にされたら無気力にもなるし、逆に驕りを抱いては他人を下に見てしまうかもしれない。

だから不特定多数及び友人に言う「忙しい」は危険なのです、もし優しさの同情やいたわりインターネットや友人を貰えたとしてもその感情はタダではなく、高い確率で負の相反感情も生み出してしまうはずだから。

私だって思いますよ、頑張ってることをTwitterで言って応援されている人を見てこの子は他の人に大切にされてるんだなって少し恨めしくなったり、人付き合いの下手くそさを憂いたり。

そういう助けてくれ〜!な感情はLINEスタンプ系のやわらかなキャラクターに委ねておくのが私の心の落とし所です。

まぁ、うちの身内は少しばかり厳しいので極端だなと思いますしこの思想を他人に押し付けることこそ暴力なのではとも思うハウスルールなのでこれもまたブログだからこそ書く内容ではありますが、一理はあるなと思っているので書いてみました。


終わらせると言った割には長くなった。

私の生焼けの論じ癖は治らない気がしてきますが、書かなければ下手になるので毎日出来るだけ書きましょう。

ええと、遍くみんなよく頑張っているから、絶対人と人とは分かり合えないけどその感情の下では多分一人ぼっちではない、はず。

あんまり無責任な事を書くのもよくないんだけど、こればっかりは今日のテーマが悪かったです、頑張ってる人のことは応援したいに決まってるだろ!バーカ!

あと何も根本的に解決してない!精神論やめろ!

帰結するのが全員苦しい論で最悪や!

でも助けてえし助かりてえ!!!

桜が早く終わってソシャゲの虚無期間のような4月が全てをボロボロにしても今年は都内オリンピック進行のせいで私にゴールデンウィークはありませんが、未来には東京タワーに行く予定があるからいくらでも走り切りますよ。

ちょっと円弧のマエストロか栄養補給は欲しいけど。

それじゃあおやすみなさい。

今日もお疲れ様でした。


2021年4月14日水曜日

2021/4/14

 

こんばんは、人都です。
今日の空も昔の物ですが外には出ています、撮り忘れました。
散歩の頻度は学校があるので落ちますが、いちおうやめているわけではありません。
就活かミラクルニキかウマ娘しかしてない気がするでしょう、卒論のこともあります。
でも、なんというかいつも興味というか着眼点が人の怒りを買いやすいのでこのテーマを教授が許すかどうか。

私は基本的に自分の好奇心が向かないと何をするにも身が入らないのですが、身が入りすぎるともう何でもかんでもやります。
どこにでも行くし、食べるし、読むし、打ちます。
典型的気分屋、若干それでいい成績を出せてもそれを狙って出せるかはもう完全に興味のみぞ知る。
周りからすればまあまあいい迷惑な気もします、大学からこちらコミュ障通り越してコミュ爆なので元気に全部ぶち壊す可能性があります。
社会に適応しようとはするし、協調性も推し量るし、やるときはリーダーもやりますとも!

なんでこんな話をするかって、明日は初めてゼミの面々と現実で顔を合わせる日だからです。
去年からゼミ自体はスタートをしていましたし、グループワークやプレゼンもそれなりにこなせてはいましたがそれは全部オンラインでのお話です。
実質物理は初対面。
私は左目の下に嫌いな二連涙ほくろがあり、そのせいで顔を覚えられやすいのですが私としては一年苦楽を共にしたメンバーの名前をマジで覚えていません。
zoomなら下に名前の表示が出るからなあ!

人間関係は共通の敵がいることで更に親密になるという人心掌握的メゾットを読んだことがありますが、その敵に位置するのが正直なところ教授です。
どういう点で反発心を覚えるかといえば、完全に身元がバレうるニッチな専門話になるのでしませんが、マジで物腰が柔らかいようですげえ凝り固まった思想の持ち主ですね。
あとどう考えても性能のいいペイントソフトで済むところをクソ高Adobeで生徒に勧めたり、現地に行かないとわからない事をプロジェクト佳境で私が視察に行って全部おじゃんになる事を知るまで言わなかったり。
コビット禍やぞ!?
私もどちらかといえば、思想が強く興味があるとドカンと行くのでまあまあ頑固でつまり相性が悪い。
そりゃあね!私は一生徒なのでだいたい議論では最後に折れたり意見を変えますけど、スーパービギナーズラックな私にも信念はあるんです。
それ以上にあのご年配は自分の思想が強すぎて、お気持ちバトルで私も勝てない。

言ってしまうと感情や情報を整理してから叩きつけるようなことは得意でも、単純にメチャクチャ不利な時の弁舌議論に弱い。
正しさの使い方がクソ下手くそ。
こんなことになるからあとで一人ネットでいじけるんですよ、あーあ。
なのになぜかまあまあ怒りは買うのに、教授からは良く話しかけられます。
やめてくれ、単位は欲しいですが好かれたいタイプの人ではないです…。

そんなわけで今日のブログも短めです。
読者に生活リズムを完全に掌握される日も近いですね。
自分を信用していないので、早起きのためにブログがクッソ短くなっています。
部屋の中に蚊を見つけたので倒してから寝ます。
おやすみなさい。

2021年4月13日火曜日

2021/4/14

 

こんばんは、人都です。
今日は朝から全力で怠惰して、パズルゲームに没頭しながら日程調整をした日でした。
なんならめんどくさくて朝飯を抜きました。
夜はエビのてんぷらを食べたので満足しています。
外にすら出てない!この空は過去に静岡で撮った空です。

私は何かを組み合わせるのが好きです。
それはパズルゲームはもちろんそうだし、全く異なった分野のコラボレーションが好きなのもそう。
クロスオーバーも好きだし、VRoidのコーディネート趣味もある種全く違うブランドのパーツの組み合わせが楽しいという点があります。
いや、そんな組み合わせ自体が好きな人って多いんじゃないですかね。
これと相反するのは完全なコンプリートや統一された美しさ、最適化された機能性、そして完全なるオリジナルなどになるでしょうか。

オリジナル、そしてつぎはぎのありあわせ。
私が意図的にちょっと変なものを組み合わせてそれを好むのは、少しだけ完全なる独創性の欠如による劣等感もあります。
出来る限り面白く、他人のした事のないような楽しさを得たいとは思うものの残念ながら私には自分がユニークであると言う自信はなく、知性に溢れた含蓄やうんちくも一般人のそれよりは劣っていると言う自覚があるのですね。
私がインプットを本なり映画なり外出なりで常時求めて止まないのは、そんな自覚があるからこそ少しでも既存の素晴らしさからフックを見つけて、何かと何かを掛け合わせて発想にするための材料集めだったりします。
おかげさまで基本私は作りたいものも描きたいものも語りたい物も絶えず、自制材料であるタスクがなくなるとほぼ創作欲出力バカになるのですが、それらのクオリティや作品としての完成度について聞かれると適当に誤魔化す他にありません。

しかし、ただのオタクが単なる趣味で作り上げる物語においてはそこに最強レベルの利点があります。
なんと、誰にも怒られないんですよ。
それだけでクリエイターとかいう立場をぶん投げる価値がある。
そこでキャラ崩壊だとか整合性だとか、なんならそんなキャラをどこかで見たとか倫理的にやめろだとか最悪なんかの見覚えのあるジェネリック医薬品を出しても誰にも怒られない。
どうしようもないゴアセックスやおいを書いても絶対に見せないので誰にも怒られない。
誰にも見せなければ肯定されることはありませんが、同時に否定されることもない。
それはハレルヤです。

そもそもな話、私はキャラクターデザインが本当に好きですがその由来も過去によくやっていた「きゃらびいとクチコミ適当に開いて指の当たったところの性質を三つ選んでキャラを作る」だとか、「国語便覧や電子辞書に載っている作品のあらすじをキメラして今日の授業中の妄想ストーリーを作り出す」とかが由来になっています。
つまり全員要素キメラです。
無からひょっこりとキャラクターがやってくるなんていうことはまず存在せず、天啓も全くなく、いつだって自分でアナログな診断メーカーになりながら要素をキメラしています。
他にも北欧神話に出てくる若さを司るイズンという女神とシヤジという巨人の話に興味を持ったのに、彼についてのネット文献が全くなかったから、超体格差の現代おねショタにして妄想の足しするみたいな、検索の限界なところで無理矢理創作の桶にぶち込んで創作ヅラをする事があります。
なんなら逃走中におけるハンター一号機とゲームマスター・月村サトシの関係性に爆萌えていたのに関係役者が薬物で捕まってほぼ無かったことにされたのにバチボコにキレた時、こうあって欲しかったわ!!!という感情で薬物へのヘイトを混えつつ、アンドロイドと人間のの主従一次創作を描きました。
最近はバラメッツという羊の形をした植物の怪物に興味があって、ゾンビや供物に無生命の反逆といった内容を絡めてテーマパークで幼女以外が全員迷惑被るパニックものを描けたら面白いなと思っています。
だけど結局こういう創作って割とありふれてるし、「オリジナルです!!!」という顔をするには弱いんですよね。
というかギリギリである。
それに一応表では得意分野が可愛い女の子と服関係である私なので、あんまり性癖というか自分が欲しいだけのニッチ人外ものに合わせる事が本意の創作はまともにストーリーと一緒に絶対出せない。

オリジナル、オリジナルってカッコいいです。
この世に無いものを作り出せるって、そんなの生きていることに意味がある証明みたいじゃあないですか。
クリエイターの名に恥じない、あなたがいなければこの世にはなかったものがあるということ。
ヒラ人間のリスペクトは所詮は後追いか、ねじれた二次創作にしかなれないので、誰かにとっては冒涜であるし、まず自分しか救えないんです。
何にも新しくはないものを、オリジナルと同じ香りを求めてキメラをして作るのは焼肉のタレをありとあらゆるものにかけて焼肉を食べた気になろうとしている事なんですよ。
もしくは他者にキレてアタシのシマではこうなので口出さないでくださる!?!?という気持ちになった時に一番衆人危険領域な創作をしたりします。
クリエイティブってもっと何か崇高で尊くないといけないような…。

まぁそんな調子なのですから、基本的には私は色んなコンテンツを食べまくってはその栄養価の混ざり合ったツギハギの排泄物の創作をしています。
ある意味で思考の新陳代謝、とでも言いましょうか。
何かを食べて、臓器を尊さが巡ったり比喩的に反芻をしたりして、便器雑記帳に漫画を書いて満足してすぐに捨てる。
実際捨てた後は達成感でスッキリするので、やはり排泄なのかもしれません。
しないと体調が悪くなるという意味でも排泄なのかもしれない。
無から何かを作る調理人のようなクリエイターでは全くありませんが、消費者という立場にあってもそんな思想の新陳代謝すらしっかりしていれば怒られそうな私の創作は私の心を助けてくれます。

ただまぁ、こんなことをしていて「コンテンツの食いつぶしだ!」なんて言われたら、それはもうごもっともなわけです。
お前が気持ち良くなるために作った作品ではないと怒られてしまいそうですから、その謝りの気持ちとして私はお金を払います。
金銭は信用の象徴であって税の書類で困っても腐るようなものではなく、人を支えるのには一番手っ取り早いし金が嫌いな人は観測史上いません。
正直なところ私が単に応援や感想の気持ちである独自性のないファンアートは描けるのに自分の創作要素を足し合わせるような二次創作になると途端に恐ろしくなるのは、誰かの崇高な無垢を私のどうしようもない発想で汚したくないからです。
少し前に二次創作でギャグ漫画を描いて、私の旦那はそんな事をしないと夢女子に怒られてからというもの、そういった二次創作がどうも怖くなってしまいました。

オリジナル、人生で一度はオリジナルの何かを作ってみたいです。
名だたるアニメやマンガに小説、映画や音楽たちのような輝いた創作物の美しい存在自体に憧れています。
そしてそんなものを作れる人たちに対しても尊敬をしています。
人生は早死にしなけりゃ長いのですし、考える時間はいくらでもあるのですから気長に天啓でも待ちましょう。
そしてそんなコウノトリ兼天啓を待ち望むために、要素キメラと感情反逆な創作を繰り返してそれなりに絵を描けるようになっておくつもりです。
この極論が本当は誰にも文句の言われないものを作りたい、とかだったら情けなくって手の施しようもないのですが一応はまだオリジナルへの憧れはあるのです。
そういうのは天才児の美大生たちのお仕事?まぁ…そうかもしれませんね……。
美大生への劣等感、どこかでちゃんと絵を習おうとするか死ぬまでなくならないかもしれません。
でも私にもオリジナリティは欲しいです、私のオリジナリティってなんなんでしょう、よくわかりませんね。

ミソッカスというバンドの「マッドシュリンプス」という曲を聴いてみてください。
youtubeに公式で音源があります。
去年解散したバンドです、私の好きなバンドは大体すぐ解散します。
とあるサイトのインタビューでこの曲はうっかりとRADWIMPSに似た曲調で作成した事を逆手に取りかなりメタな気持ちをぶっちゃけて作詞されたという事が語られています。
英語でシュリンプとは当然エビのことですが、そこには取るに足らないちっぽけなものという意味もあって。
「あぁそれでも 追い求める そうまだ見ぬ 僕らの音」
完全無欠のオリジナルなんて多分もうどこにも無いのかもしれませんが、それでもオリジナルやオリジナリティへの信仰を止める事ができずにどうせ死ぬまで物を作りますよね。
もし本物に私にオリジナルを作れたのなら…その時は1人で食い潰してしまうつもりです。
あぁ、でも何か形にして発信しないと2番目の人に思いつかれてめんどくさい気持ちになっちゃうかもな、やっぱり私にはオリジナルは難しいかもしれません。

こんなどうしようもない文章もある意味では情報の新陳代謝ですよね。
絶対にオリジナルという概念が存在しない、私から出た鯖!
それではおやすみなさい。

2021年4月12日月曜日

2021/4/12

 
こんばんは、人都です。
いつもは書き出しをパソコンで、見直しをスマホで行なっているのですが今日は珍しく電車の中で冒頭部分を書いています。
私は今日から大学で対面授業が始まり、その行き帰りにはミラクルニキのレアパーツ周回を回したりしていました。
家に帰ったらノータイムで会社のオンライン説明会に出る予定なので、快速の電車が最寄りに着き次第めちゃくちゃ急がなくてはなりません。
でも朝方の生活は何というか、健全な気がして精神に良いですね。
そしてスパチキはすべてを解決します。

今回履修で取った授業は別に必修と言うわけではなく、大学での卒業を確実にさせるためのある種予防線のような講義です。そもそも私の専攻分野はたまにめちゃくちゃ厳格な怒鳴る教授ガチャを引き当てなければ、温和な変人講師ばかりで単純に話を聞くのが面白い。

それが就職的に役に立つのかと聞かれればしらばっくれるような学問を専攻しているので、私の知らない話をしてくれる人は例え課題が若干厳しくても初見のyoutuberよりかはずっとすべらない話です。
それで今日ひさしぶりに対面した教授のエピソードトークの中で話題とされたのが「文通」というものでした。

私が他人と繋がりを持ちたいと思った頃は、ちょうどまだ箱のような鈍足パソコンが家にあってそれを使ってニッチなTCGとか特撮好きの集まるブログにコメントを残したり、ニコニコにコメントを打ったり、ポケモンガーデンを歩いたりと絶妙にキツい形の交流を小学生がしていた気がしますが、まぁギリギリインターネットの中にコミュニティがあったわけです。
当時、文通というものは多分まだ実在はしていた気はしますがメジャーからは既に一線を退いた手段のようでした。
アニメや幼めのファッション雑誌の読者投稿欄には確かにペンフレンド募集枠として自分の趣味や家族構成と共に住所を掲載する文化が許されていたように思えます。
今思えば、日本国民の誰もが簡単に手に取れる流通書籍という形で自分(含め身内)の最重要格である情報を垂れ流すというのはひどく恐ろしい話です。
自分からプライバシーを破壊しかけている。
私がすこしわるい人間なら、古めかしい雑誌を本棚から取り出してかわいいペンネームの中学生もGooglemapで辿ることもできました。
同人の自宅通販をしていた人は、受け攻めが反転したカップリングの過激派に刺されることはなかったのかな。
なんなら普通に犯罪とか、変な趣向の人たちにストーキングとかされなかったんでしょうか。

まあインターネットが無かったからこそ、発達した形ではあったのでしょう。
住所という強情報が手元にあったところで、普通の人にできることは多分その時代には配送物を出すぐらいで、せいぜい遠くに住む書面でしか知り得ないミステリアスな友達に想いを馳せるぐらいな平穏なものだったのかもしれません。
まぁ、今のやみやみな女の子の欲しいものリストにありがちなやつのように、スケベグッズや危険な写真を送りつけるような迷惑行為もやろうと思えば出来たと思いますけど。

社会として、世界としてただの情報がまだ人が認識するものでしかなくて全てが繋がりきっていなかった時代のことは現代子のわたしにはほとんどファンタジーなのですが、それでも自分が一切合切出会うことの出来ないような人物の存在を感じることができるというのはそこはかとないロマンがあります。
ところで青い鳥文庫から出版されている「まぼろしのペンフレンド」というSF小説を読んだことはありますか。

青い鳥文庫は多くのオタクのステップアップを支えたものだと私は信じてやまないのですが、その中でも際立って当時としては表紙がアニメチックなその小説は私に大きな衝撃を与えました。
この手紙はどこから届いて、ぼくの返事はどこに届いていたのだろう?
いくら古い作品でも、SF作品のネタばらしなんて無粋なことはできません。
短さは子供向けのそれですから、是非機会があれば読んで欲しいなと思います。
アンドロイドやロボットとか、自己同一性みたいな話が好きならきっと面白い話なはずです。
今は情報の証明、というかソース出しみたいな事はきっと簡単でしょうし子供でも何か疑問に思えば大抵のことは電子端末で解決が出来ます。
だけれどもペンフレンドというやつはポストのような底のしれない空洞に手紙を落として、気がつくと帰ってきているようなもので、ミステリアスであると同時にどうも実在感がない。
未だに私はポストに手紙を落とすたびに、少し不安になるぐらいには取り戻しのつかない郵便というものに不思議を持っています。
それらはSNSで一方通行なアカウント達も同じじゃないかと言われると、そこにはリアルタイム性の有無という大きな隔たりがあると思うのです。

もしかしたら、その手紙はどこかでぷつりと返って来なくなってしまうかもしれません。
そんな時どんな気持ちで当時の少年少女たちは手紙と会うことのない遠方に切実な想いを馳せていたのかはきっとデジタルな私にはわかりようもないのでしょうが、勝手だけれど少し儚くて綺麗なものにも思えます。

きっと今とんでもない技術でもあればそんな擬似文通みたいなわざと不親切で情報量の無いネットサービスも作れたりもしくは実在しているのかもしれませんが、今の世界にインターネットはもう流行っていて、多分人の情報も洗うことがとても簡単なので実際のアナログな文通的なロマンはいくばくか欠けてしまいそうです。
相手に対して知る余地が本当に直筆の紙の上にしかないような、あやふやな感覚と関係に憧れがあります。

というのもまぁ、今年は年賀状を実は一枚も直筆で書くことなく過ごしたのですよね。
過去には送り合ったこともありましたが、今ではもういい歳だし日付が変わった瞬間にことよろするぐらいが丁度いいような示し合わせもあって。
情報と時間とそこから生まれる実在性、もっと私の頭の回転と引き出しが多ければこの関係性を使って何か創作に活かす事が出来そうですが、私には少し持て余すのでここに書き残しておきます。
なにが言いたいかというと、どこかの本郷令子にずっと夢を見続けています。

ブログには閲覧者の数のみを追いかける機能が付いていて、私は誰がこの文を読んでいるのかなどほとんど知りませんが誰かが悪趣味なF5でもしない限りは、誰かはこの文を読んでいるということを知っています。
もしかしたら文通の憧れる要素の一つである絶対に知ることの出来ない不介入の匿名性はある種、達成できているのかもしれません。
それじゃあおやすみなさい、多分一生会えない閲覧者さん。

2021年4月11日日曜日

2021/4/11

 

こんばんは、人都です。
今日も朝からマヤノ育成をラスト有馬で三回ダメにして、無になっていました。
ゲーム下手過ぎなのか!?
あとは午後はずっと説明会をハシゴして、夕方には定期券を買いに大きめの駅に向かっていました。
朝はピザで、昼はシチューを使ったパングラタンで夜は焼きそば。
あと小腹が空いたのでスパチキも食べました。
しゅごキャラも見た。

明日からようやく一年ぶりにキャンパスでの授業が開始になります。
四年次ですから、大した授業数は無いのですが単純に体力が激衰えているので朝から都内に行く生活に耐えられるかどうか。
こんなコメントを書くのも情けないのですが、そもそも定期券を一年以上ぶりに購入した身なのでいよいよ真人間のリハビリに取り組まなければなりません。

通学中は空いていれば本を読めますが、コビット前の頃はゼロ距離を超えた地獄のような密度の車両に乗って通学していたので、できることといえば日課のTwitter漁りと短歌づくり、後はひたすらに音楽のみでした。
あの最悪の朝空間が無くなったのなら、若干の感謝すらあるのですがいやはやどうなっているのやら。

キャンパスは嫌いではありません、むしろ都内で行動拠点にするには好都合で、学食は安いし気合で歩けば神保町や秋葉原で放課後を過ごすことが出来ます。
学業には余計に思えるほど新しくおしゃれできれいだし、学費を払っておきながら一年消し飛んだのは少し惜しいです。
やっぱり生活する環境ってのは、ある程度ダサ坊でも気にしますよね。

自宅はそりゃ好きです、なんなら自室にはどうしても目を通さないといけない参考文献や書類以外は本当に好きな物しか置いていません。
コミックに小説に画集に、いくつかのトランスフォーマーやアクリルスタンド、色とりどりのアナログ画材。

まあそれらの物をどうにか見えないように避けて、日頃リモートな説明会や面接をしているわけなのですがやっぱり目に見える幸せはすぐに心を癒してくれますし、逆に言えば緊張には欠けているかもしれませんね。
でも飽きっぽいので、コビット禍の間に何度も模様替えをしました。
ポスターも月ごとに変えるぐらいの勢い。
単なる物的な環境は違いまくるぐらいが、飽きずに楽しくて良いです。
人的な環境が変わりまくるのは、少しご遠慮頂きたいですが。

今日は露骨に内容が無いのですが、それはただただ早く就寝するためです。
私は自分をマジで信用していないので、明日遅刻しないかずっと不安なんですよ。
なので寝ます、おやすみ!


2021年4月10日土曜日

2021/4/10

 

こんばんは、人都です。
今日も朝から説明会を受けて、ウマ娘を失敗していました。
昨日はダスカちゃんと温泉に行ったのによお!
でも何となく逃げ馬の育て方は分かってきましたね。
ウマ娘、どちらかといえば美少女コンテンツなのに私服の現実解像度が飛び抜けて高いと思います。
マヤノちゃんの衣装をデザインしたやつ絶対ファッション解像度クソ高マンだと思うし、客観ダークなライスシャワーの私服を明るめな色にしたのはマジで英断だと思います。
あとはVRoidで春っぽいプリーツスカートやワンピースデザインの模索。
散歩もいつもの通りのルートで、ついでにちょっと体の問題でしばらくお酒を飲めません。
酒癖やらかした訳ではなく、体質ストップです。
つまりしばらくはヘラヘラな状態では文を書けないわけですね。
その分のごまかしには緑茶を飲んでいます。
財布には優しくなります。

これぞ平凡でパターン化された生活、すごく苦手ですね。
だからなんとなく大鍋でシチューを作ってはみたけど、なんか納得がいきません。
結局生活という枠から外れず、多分失敗することがないようなことをしているから達成感はあってもつまらないと脳が判断するんでしょう。

つまり、自らの心のどこかで「無駄だ」「いらん」「やめろ絶対ろくなことにならん」みたいな押すなよ押すなよ的な思考がある選択こそ、スリルがあって面白いということになります。
あとインターネットでどうでもいい文字を書いていたら、きっとAruFaさんやにゃるらさんのようなエリートインターネットらのパンピが鼻で笑うような世界のかけらに本気で生命力を賭けるような内容へのトライをレポートした文に憧れるでしょう。
現実に失望した物語を文字で書けないオタクの行く末は、現実を面白く小説より奇妙に記述する、その上でオモシロや怪奇に寄っていく人への憧れですね。
ああいう人たちは毎日の色が何をしなくても違うのか、いや努力や積んだ特異な経験によるものでしょう、そうであるべきだ。
出来るだけ毎日何かをタイピングで話して出力し続ける事で技術を高めるようにとこのタスクを自分に課しているのですが、最近の毎日はまったくもって起伏はありません。
ひどい日は就活のことをしたらスタミナが切れてそのまま日付が変わっている。
感性を環境のせいにするのは三流ですが、それでもコビット禍からこちら、完全にユーモアの探知センスが落ちている。

これは幸運なのですが、一応わたしには大体のリスクの高い馬鹿行為の共犯をしてくれる奴はいるので、思いつきさえすれば若干大掛かりでも2人がかりでそれを行うことが可能です。
ただ、今年に入ってからマジで面白いことは何も思い付いていないのも現状。
そもそもな話私は別に人生全てをアウトローに生きる形ではなく、基本的には型にははまり川には流され社会は歯車する形で、そんな中でたまに奇行をしたいんです。
最初から最後まで全部サビみたいな大ヒットポップスみたいな思いつきの塊にはなれませんし、緩急というのは最も簡単に盛り上げの調味料になってくれるじゃないですか。
それに私は無駄を愛してても無駄に身を全部預けるほどの度胸はなく、普通に将来のことは不安だし周りと私がワンテンポズレていたら死ぬ気で世間のメトロノームを探す人間です。
だから世間のテンポに乗り過ぎて、自我を失いかけた時に一番世界のナベアツをしたくなるんです。
こういうことを考えているあたり、どう足掻いても傑物のフレームでは無いですね。
いや今日はあんまり自責をしない記事を書きたくてこんな話をしているんですけれど。
私でも面白い人生がしたい。

ソーシャルゲームにて低レアや育成未解放のキャラクターがメイン編成に起用される時、大体そのキャラへの愛を抜かせば数値的な強力さではなく、そこに何か固有のピーキーなスキルがあると多くの場合に考えていますが、私はそういう位置になりたいのです。
めちゃくちゃに汚い言い方をするならそれは人の心への一芸入試でもあります。

あるじゃないですか、夜更かしして見たあらびき団みたいなクッソゆるい謎の芸人番組で全く名前は思い出せないのにネタだけ引っかかって朝に口から漏れること。
別にバズりたくて狂人になりたいわけでも、炎上と共にハイになりたくて凶行を考えるわけでもなく、ただ一瞬だけ自分で自分を「なんだこいつ」にしたいんですね。
基本的に考えることも湿気たオモコロが限界のレベルなので、ブログに書いてもそんなに映えないし私が壮大に自己満足したいだけのダンスです。
面白くて発想をぶち抜いたような人ばかりに憧れて追いかけて生きてきたので、嘘でもその後追いをして面白くなったら世界で一番嬉しくなれるんですよ。
ちょっとハイリスクで馬鹿らしく面白いことがしたい、絶対にギャンブルに手を出してはいけない人材。
私が出来るだけ社会の枠から出ないようにしてるのは、自分で本気で衝動100%になった時にめちゃくちゃにした前科と共にそんな状態で生きていけるほど器用でも無い自覚もあるからです。
ああ、でもせめて面白いことぐらいは思いつける力のリハビリを本当に行いたい。
私だってコロナも怖いし他人の目も怖い、でもこのままだと元々ギリギリのおもしろセンサーはマジで失われてしまう。
というかこのまま就活に成功したとして定職に就いたなら、多分こんな机上の空論どころでは無くなる気がする。
つまり今がオモシロタイムのラストチャンスなのです。
あと年々体力が弱っているので、多分元気については現状が最強みたいな感じになりそうですからね。
人生にとってやり残さない面白いこと、そこまで壮大でなくても面白く生きていたいです。
でも大体Twitterで「面白きこともなき世を面白く」とbioに書いてる人は地雷だと思います。
人に迷惑をかけずに最大級自己満足してから社会の犬になりたいですね。

おやすみなさい。




2021年4月8日木曜日

2021/4/8

 

こんばんは、人都です。
今日は朝を早めからそこそこ長い適性検査、午後に面接を受けすべてがリモートなのにひどくヘロヘロとした日でした。
夕方にサムライマックのパティ2枚の方を食べていなければ即死だった。
あと好きな酒を買っていたので、全部マシな気持ちで今これを書いています。
これは自分でも困っている気性なのですが、私は現実よりもリモートの方が饒舌なのにリモートの方が現実より異様に疲弊して、嫌な記憶がフラッシュバックしやすいのです。
他人の話やフォロワーの猥談を耳に挟めば挟むほど、就活なんかやめたって幸せになれると私の中の悪魔が言うんです。
分かってます、家族や親族に迷惑や変な嫌疑をかけないためにも私は自立しないといけない。
本当はとてつもなく助けてほしいが、他人に依存するのは嫌いな人の手口で私は努力をするべきで。
ええ、ブログを書いているときの24時を過ぎた後の私はとても陰湿で、きっとあなたはこういうのは嫌う。
私にはほとんど鍵の裏アカウントもないのでどうか許してほしい、こんな感情は悪に違いないけれど留めておけば毒を薄めたワクチンぐらいにはなるかもしれない。

私はよく意味もなく様々なdiscordサーバーに入り、気が済めば出ていくことを趣味としているのですが、それと同時にあの閉鎖空間の恐ろしさのようなものを感じることがあります。
Twitterのような場所はbio、いわゆる自己紹介文やその存在を慕うフォロワー数が存在していて例えばタイムラインに適当に回ってきた全く知らない者のリプライの送りあいでも、それが何となくどんな界隈に存在する方なのかが理解できます。
だけれど、これがもしあのdiscordならそこにいてレスを送りあう人々がどんな素性で、バックヤードに何をもっているのかが前もってわからないのです。
卑怯だとか立場で人を図るなだとか思われる言葉はたくさんあるのでしょうが、そもそも他者との交流の前に予習を必要とする私としてはとっても決まりが悪い。
私はフォロワーでも発信者でもリアルな対人関係でも、会話を合わせるためにはどんな努力も惜しみません。

それは私がオタクとして、一番好きな物の話をしているときが最も快適なことを知っていて、特別な魅力もない私には究極の聞き手としての腕を上げるほかにないことに気づいているから。
逆に優れた聞き手になれば、たいていの人は話す方が好きですから嫌われずにポジションを確保することが出来ます。
だけれどdiscordではそれが出来ない。
しかも私は根が偏屈だから、素で全てを話してしまうと人を傷つけるようなつまらない意見しか言えなくてそれを自覚しています。
だからそこでノーガードかつ功績や支持する人の数も知らずに、無知がうっかりレスを送ってしまえばそんな滑稽なことは他にありやしない。
下手すればその人のファンのような人が同じサーバーに存在していて、そこから変な思いを抱かれかねない。
なによりインターネットに後ろ盾がある人とサシで会話をするなんて、そんな怖いことできない。
なのにそれができてしまうからdiscordは怖いのです。
知らない人と話をするなら、雑な文法とミームで荒く話すことのできる適当な太古のインターネット掲示板でよかったのにそこにいる人は全員がネームドキャラで気を使わなければ、インターネット交通事故を誘発しかねない。
やさしい、ふわふわのインターネットを前情報も無しに常に忖度しながら言葉を選ばないといけない。

昔の乱雑な傷つくことも自己責任なインターネットがけして良かったとは言いません。
だけれど全員に人格と名前があって二、三歩縮地すればプライバシーを辿ってその喉を握り潰すことのできる今の世界が怖くてたまらない。
他人の地雷もわからない、人生の思想もカケラもわからないのに当たり障りが無いこと以外を言うなんて、そんな事は出来やしない、きっとしてはいけない。
ひとつだけdiscordの優れた機能を言いましょうか、跡形もなくメッセージを消してしまえることです。

インターネットの優れたところは、いつでも他人の恨みさえ買わなければ雲散霧消してしまえることで、大した功績でも残さない限りは誰からも簡単に忘れ去られてもらえることです。
だから、私はいつか忘れ去られるためにも今誰の恨みも買ってはいけないのです。
出来ることなら誰にとっても好かれたいけれど、割とどうでもいい枠で存在をしていたい。
私が例え唯一無二でも、上位互換品はいくらでも出回っていますから誰も不幸にはしないでしょうが、時に恨みというのは好意を超えた執着になってしまうのです。
本名でも住所でも経歴でもなんでも、検索エンジンに引っかかってしまえば全ては簡単に社会的に死ねてしまうでしょう。

だから私は全員に嫌われているという前提で行動をしながら、絶対に嫌われないように出来るだけ立ち回りたいと思っています。
敵がおらずみんなが味方でなかよしな主人公のいる絵本の中で、無敵とは全員と中の良いことだと語っていましたから、私はそんな意味で無敵の人でありたいのです。
後ろ盾や職も失い、愛する人も愛してくれるものもおらずに存在されるだけで軽蔑された者の社会へのやけぱちな特攻じみた様子も揶揄として「無敵の人」と呼びますが、それとはまた意味は違います。

嫌われたくない。
だけれどもコミュニケーションがしたい、誰かを喜ばせたい、自分の思いを伝えたい。
どうしようもない逃げの思想と、欲求だけは立派な感情を戦わせて私は今日もdiscordのメッセージを数分で消去します。
こんな事をしているから私は対等な友人を全然作ることができないのかもしれません。
仕方がない、大抵の人間は私よりもずっと優れていて美しく輝いているから、そんなものと同じ立場にいられるはずがない。
就職面接ですら「親友」の存在を問われて、永遠みたいな一瞬を悩んで1人と答えることしかできない。
私が誰かの互換性が無いものになれる日は来るのでしょうか。
そんなものなってはいけません、騙されるな、世界は広くて美しくて人はみんな素晴らしくて賢い、そんな富んだ世界の中で同情を盾に何かを乞うたり構って欲しそうにするのは、魅力のないやつの詐欺の常套手段です。
凡人は聞き手としての技術をひたすらに磨き続けることで、やっと存在を許されるのです。

今日はウマ娘でキタサンのサポカを当てたものの、またネイチャに謝っていました。
せめてうまぴょいはダメでも育成シナリオを最後まで持っていってやりたい。
さっきまでかなりいい絵を描いていたのですがパソコンが突然完全に硬化してその絶妙な部分のオートセーブを効かせずに闇に葬ってしまいました。
そもそもキーボード操作も死にきって、30分は放置した上で泣く泣く電源ボタンを長押ししていました。
デジタルに移行しかけているくせに絵の描き方は乗算水彩テクスチャ地獄なので、全く同じ塗りが再現でき無いことに憂鬱になっています。
一応ゲーミングPCなんだけどな。

連日重たい内容ばかりが続いていてすみません、元々こういう人間なのでこちらがどちらかと言えば本性です。
こんなのを表にパンパカとしたらフォロワーが半分以上消し飛びそうだ。
こんな日はさっさと寝るべきですね。
おやすみなさい。

2021年4月7日水曜日

2021/4/7

こんばんは、人都です。
マックの新作、とても美味しかったです。
やっぱりファストフードは変にオシャレになるよりもこってりがっつりどっかりじゃないと!
私は高校生後半ぐらいから異様に腹の容量が低下しているのですが、そもそもは割と大食いで受験期の体脂肪はすさまじく、ストレス解消の手段が美味しいもの漁りではありました。
 私にだってダイエットのまねごとをしていた時期もありましたし、今でもすらりとしている方がカッコいいとは思っています。

ただ、高校生中に雑に食事制限や筋トレとか断食もどきをしていたら、いつの間にやら全然胃に物が入らなくなったんですよね。
つまり食欲やグルメ欲はそのままに普通に物が食べられなくなったというか…。
羨ましいと思われたらとても嫌ですね、私はむしろおいしいものを食べているときが一番幸せな顔が出来るので人生の幸福の時間がごっそり削られたことになるんですから。
もっとたくさんの物が食べられたうちに変に色気づいたりしないで、おなか一杯に寿司やステーキを食べてればよかったのに!
たまに流れてくるインターネット豆知識にも「ゲームやガンプラを積むと加齢してから作れなくなる」みたいなのを見た記憶がありますが、本当なら楽しみなんて言うのは今一番楽しめるときに楽しんどくのが逃避のようで最善策なのかもしれませんね。
そもそも私が青春の頃に何か自分を変えようとする時それは大体憧れの不定なマドンナへの不純さで、そしてそれらは大抵無残な結果を残していました。

さて大切なのは今私が幸せでいることか、それとも周りや好きな人に嫌われないための努力をすることか。
なお後者の対外評価は断線のような形で何も残らないようになる可能性を持つものとする。
私が勝手に劣等感を抱いて大好きなものを大嫌いになる衝動を起こす恐れがあるものとする。

だけれども、人から認められるということも確かに幸せには違いなく、多分友だちが多ければ多いほど幸せには成れるのでしょうし、彼ピのような者がいれば人生にも安心はできるのでしょう。
なんなら人の信頼を勝ち取り紹介や勧めを得ることで、更なる幸せの拡張性をそこに見出すことができるかもしれません。
今している就職活動がそのような好影響を出すためにも頑張らなくてはなりませんね。
就活をしなくても今すぐ幸せになれる方法なんてこの世にごまんとあることを私はなんとなく知ってしまっているからこそ、です。
俺、この就活が終わったら積んだVRoid衣装案全部描き上げてboothに置くんだ…。

今日は朝からメールの整理をして、午後からは説明会。
ウマ娘はなんとかウオッカの育成目標は全て達成させたものの、うまぴょいまでは遠すぎる。
もうすぐ大学も始まるのですが、それも半分ぐらいはWEBのままなので自分から外に出ないとこの疑似引きこもり生活は続いてしまいそうです。
自分ではすっきりとした達成感は得られないのに、精神的にはまあまあやられていくっていうこの上なくつまらない…。
前に進んでるかどうかも実感が無いのですが、明日は適性試験ではあるので選考を進んではいるのでしょう。
昨日のブログ更新が無かったのは、普通にいつの間にか家の中で疲れに負けて倒れてたためです。
二十代二年目、最近になって十代の頃のような欲にすべてをぶっ飛ばした行動が出来なくなっていることを感じます。
その分何があるかといえば、手持ち金です。
ソシャゲの運営戦略にも学生に有り余る時間と社会人が持ちうる金の成果バランスをとってこそユーザーが離れないみたいな話、どっかで習いましたね。
例えば私でもサブスクで雑に借りた作品を流せば今日が充実できたような気がします。
他人に勧められたので転スラの1話を見てましたが、内容どうこう以前にとりあえず感覚で「おれのかんがえたすーぱーかっこいいえいぞう」に殴られた気はします。
ファンタジー系ラノベの記憶、大真面目に「まおゆう」で終わっている。
あと、いつもと違う酒を買っては見たもののそんなに美味しくもなく、酔いもせず失敗感が否めません。
明日は素直に好きなものを買ってこようと思います。

そういえば昨日はてりたまも終了日なので食べ納めようととしたのですが、卵を忘れ去られてただのてりやきバーガーを食べていました。
店員さんには言えず、そんな日もあるか…とちょっと落ち込んでいました。
食の悲しみは深いですが、その分食の喜びも大きいです。

それじゃ、おやすみなさい。

2021年4月5日月曜日

2021/4/5

こんばんは、人都です。
今日は朝だけやることをしてあとはマジで全力で休んでました、思ったより疲れていた肉体に全負けしたダメ人間だったともいう。
散歩にすら行っていない。
しかもゲームすらしてない、マギレコの日刊更新のイベントストーリーは読んだけど。
まあ絵は描いていた、というか私は何もしなくてもだいたい何か描いています。
少し前に自己啓発書に目を通したとき、才能とは頑張らなくても毎日続くものの延長線にあるという思想を見つけたのを思い出しますが、残念ながら何かは描いていてもその時どきの気分に完全に依存するので、たぶんこれは才能みたいな序列に入れたらいけない。
口に何か味覚を入れていないと落ち着かない、というような生活の悪癖を才能には結び付けづらいでしょう?
そもそも就活の軸自体も何かを支えることに特化しすぎていて、自分で何かを作り上げるようなことは放棄していますしね。
私は診断系に「君に向いてる仕事はアーティスト!」と言われるつまらない星の下に生まれているのでしょうか。

詳細な性格診断や自己分析は去年の秋ごろから飽きてしまう程やっていて、実際いくつもの会社の適正審査を落ちたり受かったりしています。
ああいった審査の多くは恐らく私の知能や知識ではなく、性格がめいめいの会社の求める人材と合致しているかどうかを振り分けるいわゆる本気の心理テストのようなものなのでしょう。

だいたい短時間でかなり多くの問題に対してGoogleフォームで回答を行うのですが、そういったことをしているとだんだんと「(本名)」というキャラクターがどういう回答する存在なのかという事がパターンに入ってきたり、何の適性を見抜くのかが分からない質問に出会ったり、ちょうど二分前ぐらいに捌いた質問を全く真逆にしたような文章が存在して少し慌てたりしてしまいます。
就活中の問題に「便秘症か否か」を問われたとき、どう答えるのが一体正解なのかと。
理論派よりは衝動で生きている私は、果たして会社対策に集めた情報に合うよう性格を装うのが正解かそれとも文字通りの直感を打ち込むべきなのか、と。
いやでも、会社に自分を売り込むなら下手に出るべきだよな、とか。

ううん、でも私は社会で適応して好きなコンテンツに金を落とすために金を稼がなくてはいけませんよね。
好かれたい…適正審査貫通するぐらい好感度上げたい…希望会社の…。
家族と信用できる数人以外にそんなに好かれたためしがないんですが、生きていかないといけない。
がんばります、頑張るほかないのです。

あまり内容のない文でごめんなさい。
やはりインプットすら怠った日は何にも言葉が出てきませんね。
最近は映画も全然見れないし。
明日はもっと頑張ります、説明会もあるしね。

それじゃあおやすみなさい。




2021年4月4日日曜日

2021/4/4

 

こんばんは、人都です。
今日はクトゥルフ神話の話をしましょう。
どこからそれを知ったかといえば、高校時代に文学部に所属していた時の陽気な先輩が偶然TRPG狂であったことからです。
私はあこがれの人の影響を本当に簡単に受けてしまいます。
趣味が多いのはすぐに人の会話に適応するためでもあるので、そう考えるとミーハーというか、軽薄な奴ですね。
ソードワールドにダブルクロス、そしてCoCを愛好していた先輩は、部活用の提出原稿にさらにそこにSCPのオマージュを混ぜた創作リプレイ風小説を持ち出してくる強気な人でもありました。
中高生の頃は全部焚書にかけてしまいたいのですが、文学部の思い出だけはこの世で一番幸せでした。
先輩にも恵まれていましたからね。
今ごろ何をされているんでしょうか…。

まあそんなこんなでCoCにハマり、ガキの小銭を貯めてクソデカなルルブやサプリメントを買って、たまにラヴクラフト系の原典を読んだりしながらクトゥルフ神話にハマっていったわけです。
あとは同じ頃にチェッカー卓も流行していた気がしますが、このことを思い出すと抹消した記憶が痛むので忘れます。
うん、ある意味キャラクターと中の人を同一視して痛い目を見るやつで経験があったせいでバーチャル文化への適応が早かった説はあるけどさ。
まあまあそんな中、私が好きになった神話生物もとい旧支配者はクトゥルフやハスターやクトゥグアのようなある程度文献や二次創作の多いものとは少し異なる「シアエガ」という存在でした。
暗黒よりも深い闇を湛える触手を全身そして全方位に纏い、その真ん中に緑とも赤とも言われる巨大な一つの瞳を持つ、洞窟と暗黒を司る神。
クトゥルフ神話がブームになって多くのコンテンツで扱われるようになったのに、まだ気持ちシアエガに関する創作はそんなに増えていないというイメージがあります。
間違いはないはずですよ、ちょっとマイナーなジャンルにハマってしまった時の私の情報の洗い方は多分コンテンツへのストーカーに値する可能性があるので。
あ、美少女化や敵キャラのバリエーションを雑に増やす感じのソシャゲ画像系は増えましたけどそれはちょっと複雑です。
グラブルに至っては青いシアエガで、一体あれはなんなんでしょう…。

まあ仕方がないといえば仕方がないのです。
このシアエガという存在は原典の邦訳も未だらしいくせに、出揃っている情報がとってもゲームには使いづらい。
前提としてこの旧支配者はドイツのとある村の丘に封印されています。
これが海ならシナリオの窓口がひろいのになあ!ねぇ!
そしてこの村の中では定期的に少女を生贄とすることでシアエガを讃える儀式をまるで教団かのように行うのですが、実はその儀式は村人によって計画的に仕組まれた「シアエガを復活させない収容手順」のようなもので、つまり構図としてはご機嫌を適当に取ることで出てこないように抑制していることになる。
割と既にこの辺りからもう好きです。
しかもそんな感じで既に数世紀ぐらい騙し騙し封印されたまんまだそうで、なんかこう、村人が有用すぎるのかこの神格が若干チョロなのか、どっちなんでしょう。
ただ神格の方も全く対策というか対応策がないわけではありません。
シアエガの特徴としていわゆる落とし子というか分身として完全にランダムな一般的な人民に対して自身の存在を悟らせることなく、復活に貢献するよう勝手に動く行動心理のある人物を生成し未復活の状態でも潜在に操作するというものがあるのです。
これがどう動くのかというと、その重要手順少女犠牲カルトに対して義憤を起こし妨害、その流れでインシデントが発生してシアエガが結果的に外に出られるようになるということです。
もし「世界より君だ!」をするとそれにシアエガがガッツポーズして意気揚々と復活するという、CoCプレイヤーに扱わせにくい題材。
…なんというか、まどろっこしいというか奥ゆかしいな!

ちなみにこの落とし子兼分身らは、本当に行動心理が暗にシアエガの復活になるというだけで別に何かギフテッドを持ち合わせたりはしません。
グラーキだってなんかもっとあるよ。
なんならシアエガには現状本当の信徒は存在せず、過去に存在していた真のカルトも壊滅し、ついでにその信仰されていた当時も別になんの恩恵も与えなかったそうです。
なんだこの旧支配者は。
一応ナガアエというカエル人間っぽい直属の人外従者も居るらしいのですが、シアエガ以上にネット文献が少なく私も未だによくわかっていません。

もしこのシアエガが復活してしまえば、まず手頃な距離にあるものから好奇心のままどんどん触手でちぎっては投げ、巨大化しながら「復讐」の為行動を起こすと言われているのですが正直この意味も理解はできていません。
ずっと自分を眠らせてきた人間への悪意なのか、はたまた更にデカい何者かへのファイティンポーズなのか。
復活したとこでクトゥグアの気配に怯えたりヨグソさんに助けを乞う展開もあるそうですが、本当にこの神格さんは大丈夫なんでしょうか。
復活した後に普通に村人信徒に再収容されてるし。
この虚偽教団強すぎ問題もCoCに使いにくい理由の一つです。
もし盛大にドイツを破壊しながら復活しても雑に米軍が頑張れば1時間半ぐらいの映画で倒せそうな気がしてきますね。

ほとんど唯一の資料であるDarkness,My Name Isが邦訳されていない以上英語よわよわの私はインターネット伝聞知識しかないので、もしこのお話が間違っていたならごめんなさい。 
でもなんとなく魅力は伝わったかなと思っています。
ちなみに他だと顔無し両手口の肥大巨人のイゴールナクも好きです。
何故なら彼を使うと爆速でシナリオが作れるから。

今日は朝から雑に朝飯を食べて急いでランチのバイトをして油そばを食べて、夜に私の誕生日の振り替えたパーティをしてケーキを緑茶と共に食べました。
ケーキには熱々な緑茶、これは個人的には絶対なのですが多分他の家だと違うのだろうなと思う点の一つです。
誕生日プレゼントに全く自分では買わないタイプの美容品を貰い驚いてしまったのですが、周りからはそろそろファンデーション以外のメイクを覚えろと言われてしまい反省しました。
ビューラーってシザーマンの武器に持ってても、一瞬バレない気がしますよね。
ミラクルニキの周回を適当に回してはいますが、ここのところアイテムのドロップがとても渋い。
明日は無予定の日ですから細々とした用事をするつもりです。

シアエガについてもりもり書いていたら自分の日記のネタがなくなってしまったので、ここで終わります。
おやすみなさい!