2021年4月16日金曜日

2021/4/17

 

こんばんは、人都です。
今日も面接や勉強をしていました。
就活の関連する物事の中で、どれだけ経験をしても面接だけは本当に苦手で、zoomを閉じた後にはスーツ姿のままベットに倒れて自分に罵詈雑言を浴びせ続けることがやめられません。
最近は私の感情や意思と関係なく、どちらかと言えば瞼の痙攣やチックのように油断をすると口から「ごめんなさい」「殺してくれ」「もうやめたい」といった思わないようにもしている言葉が発作のように出るのです。

私は基本的に書くことが圧倒的に得意なので、言葉より書面の方がより丁寧に自分を出すことが出来るのですが、それは考えなければ打ち出せないということもあってのことで、口を使って表現をしようとすれば発作的にトーク内容と関係ない言葉を口走ることがあってそれが本当に自分が嫌いな一部分です。
他にも頭では理解しているのに言いたいことがあべこべの事を発言したり、1人の名前を呼びたいだけなのに何故か他メンバーを間違えて声に出して、結局笑いのネタになってしまったり。
ドジっ子で済めばかわいいでしょうが、少なくとも10年以上はこの発言癖を自覚しているので本気で脳が足りないのではと思うぐらいに正確な事が言えないんです。
しかもほとんどが無意識の話だし、本当に重要な内容を把握したり暗記するような事なら事前準備さえすればまともにこなせるのですが、この症状じみたものはどうでもいい生活に毎日レベルで付き纏っています。

コミュニケーションは好きだし、会話に難ありということはないのだけれどこんな爆弾を抱えているので腹の底では自分が無意識に訳の分からない事を言い出さないか怯えています。
自分の口のことがいい歳をして自分でも制御できないし、本当に油断をしている時ほど間の抜けた言葉が飛び出してくるから気のつけようが黙るぐらいしかなくなるし、そんな物は選択肢ではない。
このままこのクセと一生を共にするんでしょうが、現在進行形の悩みの種なのでキッツイですね。

今日も内容が薄いし、もはや日記というか悩みの告白しかしてないんですけれどここで終わりです。
今日はもう疲れたし、明日も受けるべき適正審査と合同説明会がありますから早く寝ないといけません。
もっと楽しい話を書きたいのですが、今できることが自分の中の悩みを打ち明けて心を軽くする自炊行為ぐらいなのです、自傷よりはマシだ。
生きる楽しみは食べ物以外ではほとんどインターネットの関係性オタクをするだけで、こんな事をするのはよくないと知っていながら他人に思いやられる事を喜んでいて、依存をしないようにと自分を自制している日々です。
いつだって依存は今は楽しくもいつかの破滅と悲しさしか呼びませんし、私のストレートな気持ちはめんどく湿って重いから気を許したら愛想なんて簡単につかされてしまうって、経験から知っています。
感情の天秤は対等じゃないと友達にはなれないから、私は今のままでは誰とも話せない、軽量化しないと自分で自分のケアをしないと、多分愚痴と不満と優しさに甘えた弱音しか言えなくなってしまう。
弱音なんてその言葉から嫌いです、大嫌いです、はやく強い私に戻らないといけない。
病んでいる暇すら今の私にはない。
なのに人に心配をしてもらえると嬉しくて、情けなくて。

ついでにこの世の全ては私よりも賢く見え始めて、息抜きのTwitter漁りすらどんどん私がバカなやつだということが明かされていか気がして、フォローしている人は当然のように賢くて、コンテンツは尊くて、世界は輝いていて、ここだけがゴミのように使えない。
Twitterをやめたら、生きる楽しみは何も目に入らない。
早くこんな日が終わればいいのに。
もう使われる人でもいいから、こちらを使える人って言ってくれる会社を探すまではこの生活は終わりません。

こんな日を終わりにします。
明日こそ明るい話をしましょうね。
おやすみなさい。

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