こんばんは、人都です。
マギレコはまた社会の闇を書いています。
今日はバイトと説明会の日でした。
いや、ここのところ説明会を見ない日もないんですけれど。
朝はパンで昼はチャーハン、夜は煮込みを食べました。
ところで、非常に個人的な話をします。
自分のご機嫌を自分で取ろうなんて言うけれど、それは少しでも匙加減を誤れば傲慢になりかけるのでとても難しい話ですよね。
Twitterの人民はやけに自分を大好きでいよう!みたいな主張がまかり通りますが、私は実はそういう考え方ははあまり好きではないのです。
この世で一番大切な者は当然自分でしょう。
心の一番に他人を持ってくるというのは、尊いようで非常に危うい。
どれだけ素晴らしい憧れや好意がそこにあろうと人というものは自分以上にコントロールが出来ず、そして時に予測の外を超えどれだけの祈りをもってしても一瞬で絶望に変わり得る。
だからこそ人に頼らずに、自分を自分で愛し厳しい世界を生きようという言説が流行る。
ただし本当にそれが感染しすぎれば世界はきっとナルシズムで破綻する。
こんなことを言うのもおかしな話ですが、自分をやけに賛するのに他人に感情や愛を求めるのもが私はとても苦手です。
自分に自信があるのなら一人でだって生きていけるはずなのに、どうして自分の正しさを他人にも同意を求めようとするのか。
人の評価は通知のうるささやフォロワー数で計れないのに、リプライ欄にはヒエラルキーに似た何かが存在している。
インターネットで還元もしないくせに感情や愛を搾取する人が苦手。
自分に自信がありすぎて、他人も自分を好きだろうと決めつけてはインターネットで踊る者たち。
だけれど、私は出来るだけ自分をギャグ以外で賛美せず奢らないようにと心がけていても、ついうっかりと人からの感情や愛を消費しているのではと考えて頭を抱えています。
先日、通知欄に私がもう一人の誰かであった頃に見知ったフォロワー外の方から反応をもらいました。
私の隣に灯止とうとがいたときに、彼女を実に好んでくれていた方で口には出さないけれど名前だって憶えていました。
私はよく考えた結果ではあったものの、彼女にさよならも言わせずに元栓からすべてをこの世から消してしまって、その癖今は個人的にアバター文化にハマっているのですから正直な話糾弾されても文句は言えません。
なのに生まれてきてありがとうだなんて、お疲れ様なんて言わせてしまっていて。
感情の搾取を嫌っているはずなのに、こんな言葉を好意を向けられていた相手から出させてしまった私のなんてどうしようもないことか。
私は甘えてしまっていた、好意への還元も言葉もしないまま逃げたのは私もおんなじだ。
好きでいてくれてありがとう、消してしまって、心からごめんなさい。
ほんとにごめんなさい、そしておやすみなさい。
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