こんばんは、人都です。
私は今日もVRoidをいじって服を作っていました。
私は今日もVRoidをいじって服を作っていました。
しかしながら、そのうちのほとんどは下書きか絵の下塗り止まりで、別のアイデアが出たら即刻放置するせいで全くすべては完成しません。
そして今日も悪い劣等感を副流煙で引き起こし自己啓発文章を読み漁って、生半可にかじっていたのですが、その記事の中では「凡人が天才に勝つためにはPDCAサイクルを丁寧かつスピーディに回すべし」なることが書いてありました、定番といえば定番ですね。
Plan[計画]、Do[実行]、Check[評価]、Action[改善]を順番に行い、特定の問題を改善しながら成長すべき点を検討するという改善手法なのですが、これを今の私に当てはめるなら「P!D!P!D!D!D!D!D!C!D!D!D!P!D!D!D!P!D!」みたいなことになる。
改善をまるでしないせいで一切成長しない。
手を動かすこと以外したくないせいで最悪のJustDoItおじさんみたいになっています、しかも自分の興味となったこと以外ほとんどせずに最低限の作業場以外はほとんど積んだ本の散らばりすぎた強盗の跡地の如く。
そんでもって自分にその「P」が一つでもある時に、他者から指摘をされると爆速で気分を悪くします。
いや、もちろん仕事とか学業では必要なことにしっかりネコかぶって対応できる最低限の理性はありますけれど。
反社会的に逸れる勇気はありません。
しかし、こういう些細な計画と没頭する実行をしているときは最高に気分が良く、不安を忘れてクリスタやWordやVRoidだけに喜んで取り組みますが、結局自分にとっての快楽しか求めない破滅には変わりないので、何一つクリエイティブとは言えず人からも経験からも学ばずにド凡人はド凡人のまま踊り狂っているだけです。
その創造的な思考破壊を少しだけ肯定することが出来るのが、私の作成したものが何か他者に喜ぶべき影響を及ぼせたり、貢献できた時。
別に他者に依存って感じは、どうもしないのですがただただめちゃくちゃに描き漁るとその過程で迷いはないのにぼんやり「人生はこうして無駄になるんだな」と思ってしまう。
そんな自分本位の何かが他人に認められることはその行為を少しだけ肯定してくれるように、思えてしまう。
物を作るのはただひたすらに自分のためで、もっと言えば頭の中にあるアイデアの奴隷になるためなので動くこと自体が一つの救済になっている、そんな物で誰かが助かるなら絶対助かってもらった方がいい。
こんな形の人間であるからして、私は絶対に絵や文をメインの仕事には出来ない、人に委託された物を爆薬にして送り返すことしか出来ないことに気づいているので。
そんなせいで私は理性的に物を作ることが出来ず、SNS上でよく考えられた造形や人となりを見たときに常に劣等感を感じる羽目にもなります。
適性検査を受けまくり、私という人間の形がわかってしまった時に結局優しくてだれかのために頑張れるなんていう崇高な思想は嘘で、ただ自分の創作意欲を言い訳に興味のあるものにだけ逃げ続けるような人生しかしてこなかったことに気づいて。
よく考えたら中学受験の頃にも授業中に絵を描きすぎて塾をやめて転々とした記憶があります、絵を止められて一対一の監視下に入ったらひたすら短歌を書き留めていました、既にその頃から全部狂っていてそこでその性質を治せればよかったのに、治らなかった、もう治らない。
誰かに毎日絵を描くなんてすごいと言われても、治らないんですとしか言えない、私はもうダメなんですよ、ものづくり自体が全て大したクオリティも伴わずに人生を破壊しているだけで、本当はもっとやるべき事はあるはずで。
費やす時間だけは増えていくせいで、スキルが伴うわけでもなしに周りはどんどん成長して私だけはいつまでもガキの工作を繰り返す。
まぁこんな文章もその創造的人生破壊の一端になるんですけれどね、読んだあなたにとって有意義なら、無駄にはなりませんが…。
今日もウマ娘をしたものの鳴かず飛ばず、ついでにマギアレコードの対人ランク戦は一日忘れてもう駄目でしょう。
午前は九時に起きて説明会と適性検査を受講し、午後は「魔法少女育成計画breakdown」を買いに大きめの本屋に行っていました。
朝はトースト、昼は抜いて夜はキャベツのサラダを作って食べました。
今日はちょっと日中に忙しかったので映像系は見ていません。
これは試作のコート型紙を使用した不良風のシャツですが、パソコンが落ちた際に多分データも落ちました。
気が向いたら修復します。
おやすみなさい。
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