2021年5月7日金曜日

2021/5/7

 

こんばんは、人都です。
今日は午前からの原稿作業とリングフィットにかまけていたらそもそも外に行くのを忘れていました。
リングフィット、購入してから一年経つまでにはクリアさせたいのですが、なかなかに時間が取れず悔しい。
なので今日のサムネイルは先日山で撮ったヨシヒコに出てきそうな景色です。
ウマ娘はタイキシャトルを一発でうまぴょいさせることに成功しました。
朝はめんどくさがって食べず、昼はハム、夜は鯖を食べました。

「まんがでわかる物語の学校」というストーリー理論の書籍を私はもうボロボロにするほど読みこんで、持ち歩いては人生と創作のバイブルにしてきました。
まんがで、とは言いますが構成担当の方は多重人格探偵サイコで有名な大塚英志氏で、漫画担当者のかわいらしい絵柄とは裏腹になかなか専門的な内容が記述されています。
そもそも私が文学部に入って、さて小説を書こうとしたときに図書室にて手に取ったのがこの大塚英志氏の別の著書である少し古い「キャラクター小説の作り方」という本で、図書室書籍であったことからその本をのみを何度か借りて返却期限のスタンプを多く押させていたのですが、最近になってその本をBOOKOFFで発見したので無事手元に収めました。

この新書の中ではまず「キャラクター小説」といういわゆるライトノベルと、他の小説ジャンルの違いについて解説が前置かれており、ストーリー構造よりも先に自分の所属しようとしているジャンルの前提を噛み砕くこととなります。
なぜキャラクター小説の表紙には萌えキャラクターが佇むのか、それは他の小説ジャンルに比べ圧倒的に登場人物としての一人一人の存在を商品としてパッケージングしたものであり、その表紙や挿絵に踊る人物像をビジュアルもしくはキャラクターデザインで一度嚙ませたうえで記述される物語であるからではないかと著者は語ります。
考えてみましょう、とりあえず手元に東野圭吾氏の小説がありますからこれを例示に使います。
文庫本サイズで表紙には白い花と「私が彼を殺した」の文字、私が持っている中でも特に難解な部類に入るうえに作品内で真犯人が明言されないという妙な尖りこそありますが、まあ別段ファンタジーでもなければ、特殊な力は挟まれることのない、普通に人が何らかの事件により死にその犯人を追いかけるミステリサスペンスの小説です。
当たり前だとお思いでしょう、まあ文庫本のミステリージャンルであれば顕著かもしれませんが、この作品内の世界は私たちの生きる世界によく似ています。
物理法則がこちらと同じでなければ推理するのもままなりませんし、警察や法令、結婚に関するあれそれも私たちの知り得るものでなければ恐らくストーリーを理解するうえで破綻が生じます。
つまり、この東野氏による創作世界は私たちのいるこの世界を写生したような自然主義文学に位置するという事です。
例え話になりますが、こういったタイプの硬派な小説は読んでいる最中の描写や語り口、設定の年齢等からおぼろげな形こそ作りますが、明確なビジュアルまでは想起しなくはないでしょうか。
読者の脳内で反芻して考えるならともかく、初めて読む際にはストーリーを追いかけるためそれどころじゃないのですよね。
しかしライトノベルはこの限りではありません。

そのキャラクターたちは恐らく色とりどりの髪色で、わざわざ描写をしたくなる才美を持ち合わせ、彼らが暮らす舞台には一般的に考えづらい超常的物理法則やオーバースペックな機械文明があったりするかもしれません。
つまりはライトノベルとはこの世界とは顕著に異なる景色の世界、あるいは理想やリビドーに浸るため世界の前提設定が書き換えられている世界の画像的な情報を経由し、それを前提としたストーリーが文章に落とし込まれている不・自然の世界である、という事を著者はその他ほとんどの小説が自然主義であることと同時に語っています。

ただしこの新書は2003年に刊行されたもので、現在において小説全体のカルチャーに対していうのならこの前提はそれなりに危うい話にはなるでしょうね。
2015年に作られた講談社タイガとかは刊行当時から著者の作品傾向にあまり拘らず表紙にかなり二次元的なイラストを多く起用していたイメージはありますし、いわゆる非オタのパンピー向けな青春小説とかでもカバーが噛み砕きやすい容姿の少年少女になることが多くなり、今では児童小説なんかは特にイラストレーター健全見本市かと思うほどカバーで求心をしようとしているような。
青い鳥文庫の三銃士や若草物語もその後付けの可愛い表紙から幼い頃に手に取って、物語に引き込まれたことを覚えています。
アニメやマンガがその道のデュフのみではなく比較的メインカルチャーになったこともあるのでしょうが、おそらくこの新書の刊行当時に比べると一度キャラクタービジュアルを挟んだ上で描かれる物語というのは恐らく増えているのでしょう。

これを踏まえながら私のなんとなく考えている話を致しましょう、バーチャル関係の話です。
私が思うに、あえてあけすけも無い前提でお話をさせていただきますが美しい絵の器を持ちながら今日あった実に現実的なエピソードトークを語る、というのはまた新しい物語の形になるのでは?と私は思っているのです。
先程話したようにライトノベルの表紙の多くが萌え萌えなのは、その萌え萌えを前提に物語が構築されているからなのですが、バーチャル存在はその限りでは無いのです。
そりゃあ例外はいます、初期の薬袋カルテや鳩羽つぐ等のほとんど存在する世界を見通せるパーソナルをお話ししない演劇的な系統の設定が強いバーチャルですね。
彼女らはその容姿は何者かの器ではなく、私はここに存在する一個体であると振る舞い行動を行なっていましたから、生きたキャラクター小説と言えるかもしれません。
あえて雑談に見せかけてストーリーラインから話す内容を計算していそうな黛灰とか「みやまん」、認識の範囲外ですがシスプリやウマ娘の派生youtuberもこの辺りに入ってくるでしょうか。
ですがそれを覆い尽くすほど多く、非現実の器を持ちながら写実的な世界の話を語り出すバーチャル存在は恐らく数多存在します。
あえてバーチャルyoutuberと言わないのは、この語る存在の中に他の配信媒体を経由する者や、普通にクリエイターをしていながら配信の時だけアバターを利用する者を加味したいからです。
イリアムとかSHOWROOMとかああいった場所ってむしろ機能的な制限面が大きいのでゲーム実況とかをすることが難しくて強い志でも無ければ雑談とか作業配信とかになりがちですからね。
あえていうのなら、ライトノベルの表紙を被って私小説を口から紡いでいるような文字にはならない存在たち。
それらのバイトの苦労話や友達との面白エピソードな私小説には、ドタプンとした胸囲や猫耳の有無は必要要素として含まれておらず「絵柄」はそこに一切の関与は無いのでしょう。
かわヨな器はあくまでこうありたいと願ったか、むしろ誰かに与えられたレイヤーでしかなく、それでもフェイストラッキングは私たちをKAWAIIにして写実な表情筋をイケてる風貌にトレースするのです。
私たちが多分生きたまま在りたい姿で何かエピソードを得るのには、恐らくそれこそVRC的なアバターのまま行動できるバーチャルコミュニケーションツールみたいなものが必要ですね。
容姿から生まれる会話というか、他者の認識がある事で得られる経験トークみたいなものがあれば自己の一致的にも一番良いのですが、多分一般的に難易度は高いでしょう。
ちなみにこの「ライトノベルのような表紙で私小説」というのは最近書籍的にも実際増えていると思います。
著者自身を美少女化し、あえて飾らない生活を漫画という形で出力して、別段エッセイ用に気取るわけでも無くただただ日常を描写する…いわゆるハンバーガーちゃん的コンテンツは今後も受け入れられて、そうして増えていくでしょう。
私は流行に乗り切れてはいないのですが、「著者娘」とかもそういう括りでは無いのですか?可愛く性別すら非現実な絵柄とギャップのあるハードなエピソードから構成された私小説。
私はそれらがそういった人と物語がとても好きです、ですからそのちぐはぐさに気づいても良ければ身バレしない程度に私小説をしてください、バーチャルでもそうじゃない人でも。
絵柄に沿った物語を無理に語らなくても、そもそもそれが難しすぎてバーチャルをドロップアウトした私が言うのですから説得力は有り余っていると思いませんか?
生臭くて目を背けたくなる現実を、信者任せに正当化しすぎない程度に語ることはきっといいストレス解消にはなりそうですよ。
現実を無理に湾曲化して無理矢理フレームに映えさせるよりは心にも優しいと思います。
そうやって現実も非現実も全部一緒にして違う姿でだるくTwitterで会いましょう。
君らという可愛い表紙の私小説を読み漁って、やっていきましょう。

それじゃおやすみなさい。

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