2020年12月24日木曜日

魔法見習いはそのままで

こんにちは人都です。

今日は若干「魔女見習いをさがして」のネタバレを交えながら軽い文を打ちます。

時は経っていますが、ネタバレが嫌な方は読まない方がいいかもしれません。


映画『魔女見習いをさがして』公式サイト (lookingfor-magical-doremi.com)

もう見てから一カ月も以上も経ってしまったんですね。

あの日は久しぶりの映画館で、立ち振るまいを思い出せずに40分ほどドリンクとポップコーンを両手にして開場まで便所も行けない地蔵になりました。




二十周年にあたるおジャ魔女どれみの系譜コンテンツのようで、実はそれらを所属ジャンルとする女オタクたちの感情に完全に舵を切っていたメタ映画の公開から。


言ってしまえば、あの映画は正直なところアニメである必要はありませんでした。

どれみちゃんは私たちが子供だった頃のフィクションだった。

大衆が許すかは別として、実写でもよかった。

最悪の話、どれみちゃんを知らなくったっていい映画だった。

この映画を取り巻く世界にはどれみちゃんはいませんし、都合のいい運命は存在していたとしても魔法はどこにもありはしない「おジャ魔女どれみ」がコンテンツとして放映されていただけの限りなく現実に近い場所です。

そう「おジャ魔女どれみ」が作中作だった、入れ子構造のような説明しずらい世界の物語です。

少し前に「綾城さん」にまつわる「同人女の感情」というネット作品が大バズりしましたよね。

それに限らず、今年は特に「ネットメタ」な作品が感情及び鑑賞者に傷をつけて反響を得る、といった手口が流行っていたと思うのですがこの作品もある種、そんな架空の女オタクに照準を合わせた物語でした。

完全に大人向けの、悩みを酒と強引な行動でかき消していくような映画。

今思えば、声優のキャスティングもそんなことを前提に組まれていたのではないかと思います。


ところで、魔法少女コンテンツを曲がりなりにもメインにしている人の言えたことではないですが、この世には魔法も奇跡もありません。

そしてそれは救いでもあります、私は冗談を抜きにしてこのクソみたいな現実で魔法や奇跡をエサにして人を集める人のことは嫌いです。

それは漠然とした才能嫌いの延長にあるもので、その才能がもし本当にひそかな努力の積み重ねではなく本当に天から恵まれた超常的なギフテッドであったなら私は暴れながらお酒を裏アカウントに流し込むほかありません。

就活の延長線上に見つけたこのコミュニティに属すればイキイキと人生の意味をさがせる!なんていう啓蒙の混じったコミュニケーション集団のPS5が買えそうなセミナー金額を見て、丁重なビジネスの断るメールを入れるようなそんな生活です。


ですが、幼いころのフィクションはそんなことを知らない私には希望を与えていました。

家にはジュエリーポロンがありますし、ハナちゃんのコンパクトもあります。

いえ、希望というほど壮大なものではないかもしれません、ただ単純に見ているのが楽しかっただけ。

記憶は朧気だしいつでも美化されますが、それでもどれみちゃんは好きでしたから私は今回の映画においてはかなり当初から杞憂民の態勢を構えていました。

ですから今回のような物語の形は、私にとっては救いでした。

おジャ魔女どれみのライトノベル続編を一度読んで見ないふりをした経験がありますが、私は過去の美しさに対しては下手に蒸し返すことなく硬化してほしいと思っている人間です。

だれかはあの映画を「どれみちゃんの偶像化」だと批判して言いましたが、私にはそれが賛意として最も適切に思えました。

どれみちゃんがこんな令和の世界に復活してほしくはないし、成長したどれみちゃんたちが再び魔女見習いをする姿なんて見たくもない。

記憶の中でずっと小学生でいてほしい、動かないで。

だからとても良かったです。

私のコンテンツ価値観が世間一般と異なることに関しては、もう諦めています…。


どれみちゃんが変わらないでいてくれて、本当に良かった。

最近は本当に私たちぐらいの魔法女児向けコンテンツのリメイクや配信が増えてきましたよね。

コンテンツ公式がお金を出せる年齢を察知したと言ってしまえばそれまでなんですけど。


次はきっとセーラームーンの映画ですよね。

個人的には東京ミュウミュウのリメイクに関してはかなり怯えています。

まあね!私のような考え方は世間一般ではほとんど老害です。

どうにかなりませんかね?

人都でした。


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