2021年9月17日金曜日

2021/9/17

 

こんばんは、人都です。
数日かけて製作していたnoteを投稿完了したので、またブログにペースを戻していきます。
マギアレコードはいわゆる虚無期間なので、基本的に周回と未読ストーリーの回収を行なっています。
最近は都内にも全く向かっていませんでしたが、もうそろそろ学校も夏休みが明けますし美術館巡りや都市徘徊の趣味を再開したいところです。
そこそこの日数アルバイトをしているのでそれなりに口座は温かくなり、変な時間の遅寝の習慣は定着せずに済んでいます。
朝は適当に白飯で昼はキャベツをのせた魚介ラーメン、夜は頭のない魚の焼き物とカキフライを食べました。
あとはリリカルなのはを見たり読んだり、画像ファイルを整理したりしていました。
気分転換に新しく出来た服屋にも向かってはみたものの、あまり興味を引くことはありませんでしたね。
もっと毎日を充実させたいです、卒論からも逃げたらいけません。


あらゆる曲のジャンルの中でも「アニソン」というものは扱いが難しいのではないかと誰も見ていないのに付いているMステをチラ見しながら再び思いました。
言ってしまえばアニソンとはその名の通りアニメ作品のオープニングやエンディング、時にキャラクターソングを指すものですが、これは少なくとも音楽の種類ではないことは確かで。

たまに何か曲のジャンルを指されるときにアニソン風というものがJAMprojectや水木一郎のような何世代も昔のロボットソング調にされることも多いのですが、むしろそんなものはアニメ枠の中ですらオマージュにされるぐらいに古めかしく、現在アニソンというものはあまりにも多ジャンルに広がりすぎているのが実際は当たり前な話です。
オタクは時に自嘲的に「この曲アニソンっぽくないでしょw」とパンピーに聴かせてしまった学生時代の過ちがありますが、そもそもの話今の世は有名バンドはどこかしらのアニメの主題歌をしていると言ってもいいほどアニソンという枠が透明になって大きな音楽の海に溶けていってしまっている。

そもそもオタクの好きなアニソンというものはその作品視聴当時の記憶や思い出と密接である事が前提になってくる。
もちろんこれは絶対ではありません、特にニコニコ動画に貼りついていたオタクは大して見ていなくてもカラオケで歌えるアニソンのレパートリーが勝手に増える生き物です。
それでも本当に一番好きな、聴くだけでもう感情が全開になったりリアルタイムの頃の感覚が手元に帰ってくるような曲はただでさえ思い入れというパラメータの割り振りがピーキーになるオタクたちはそれぞれが自分に対する最大回復薬かつ劇物になり得る心のアニソンを抱えてしまう。
だからこそ民営局がアニソン特集をするときにあれが無いこれが無いと呟くか、もしくはその放送が誰かの記憶にクリンヒットを入れた際には一周回って感謝を始めてしまう。
ただこれには不毛だなと思うこともあり、当然NHKのような収益を一応は考える必要のない局でもない限り基本的にアニソン特集というのはその放送局が権利を持っていてアニメ映像を流せる作品に依存をしてしまうというどうしようもない事情もあるからこそ、何となくトレンド入りを促進するないものねだりはディレクターの掌の上で踊っているような気持ちにもなってしまうのですね。

だからこそ放送時間の規模が半端ではないNHKラジオの人気企画「今日は一日○○三昧」という番組は、そんな全てのオタクを救済する可能性を秘めた恐ろしい希望の催しであったと私は記憶しています。
平気で6時間とか9時間とかの尺をたった1つのテーマ…単独の楽器を主役に据えた放送やアーティストのみの特集、時に恐ろしい時間数で特定の作品の関連楽曲しか流さないという照準は定めさせつつも営利関係や尺の都合、見せ場も考えずに自分の心の一曲のリクエストを電波に乗せられる、それを不特定多数と共有できるという恐ろしいほどのワクワクがその放送枠には詰まっているのですね。
どうせこんな曲は流してくれないだろうという無言の諦めを貫通して、安元洋貴のゆりゆららららゆるゆり大事件の音源を平気で流すような放送をする国営局がここに存在して。
そこまで来ると発生するのはオタク達の最強バチボコ民主主義&熱意、ラジオには数を撃てない代わりにリクエスト曲に加えて投稿者のコメントが添えられますからそこで如何にキモくなく、しかしながら必死にこの曲のサジェストを受け取ってもらうかという事に放送を聴きながら脳の回転を増やしていた高校時代がありました。
精神的にも限界だった試験まみれの日々の中で「今日は一日アニソン三昧」や「今日は一日特撮ソング三昧」に思いを馳せ、渾身のメッセージを送り、放送時間いっぱいいっぱいまで全てを聴きながらYahoo!のリアルタイム検索で疑似TLを手元においてひたすらドキドキするも結局読まれることはなく。

でも実は、心から懇願しながらも本当は別に自分の思い出とアニソンが電波に乗らなくてもその時間は本当に楽しくて、長時間の祭りが終わった後にも読まれなかったメールの恨めしさよりもそれらの全く顔も形も知らない人と曲と熱意を共有した最高の気持ちの方が上回っていくのですね。
これは今はdiscordとかVRCとかで開催されるオンラインのクラブ企画でいうところの「選曲が最高過ぎて床になる」というような表現にも伝わるところがあるのかもしれません。
勿論DJサウンドは曲自体の盛り上がりの組み合わせやそれらの曲の文脈や聴衆の巻き込みを意識するのでしょうし、逆にこういう専門性の高いラジオだとfullで流さないと満足できないようなゲストのトークパートにイラつく治安の悪くTwitter歴の長いオタクは存在したので、細かい点では異なるとは思いますが。
手に汗を同時に握るツールは異なれど、無と無数に宇宙のように漂う楽曲群の中から突然自分の記憶と思い出とイントロとスタイリッシュなOPアニメーションと耐えがたい感情の高ぶりがずるりと音とリズムによって引き出されるとき、三大欲求を超えた快感の宇宙に飛び込むことが出来るのです。
本当にその曲だけを聴きたいのならたった一人でCDを回せばいいし、今ならyoutubeも各種サブスクリプションも存在してる、でもそれではあの瞬間の快感は得られない。
あの長時間のラジオから思い出に紐づいた曲が尺を獲得した時、そこには局側の選曲者やリクエストを強い気持ちで撃った投稿者、そしてその瞬間を共有する見えない誰かの時間を人生を耳元を漏れ達の青春が侵略する、独占する、歪んだ承認欲求もぐちゃり笑顔の昂ぶりもその瞬間全てが透明な電波に乗って伝播する。

閲覧しているあなたは何でも流せる電波に一つだけ願いを託せるなら何の曲を選びましたか。
私はその時、特撮回にはケータイ捜査官7の「ケータイ変だ」、アニソン回には影鰐の「egoist unfair」をリクエストに送信しました。
あえてまどかやきらら系を控えマイナーな熱を送ってしまうあたりどうしても妙な生々しさとワンチャン感を感じますが、こういう時メジャーだった覇権かニッチな作品曲を送るかでオタク系統はきっと二分できます、でも有名作品の円盤にしかないようなキャラソン送る中間派閥もいるにはいそう。
私は多分どこで何をやっても、自分の知っている大好きを他人に教えたり伝えたりする方が気性にあう人種として生きていくはずですね。
ちなみに9月20日の放送では「今日は一日“サッチモ”三昧」を放送するそうです、ジャズとか強そう。
ランキングとファン数以外で見栄えを気にせずにこの世に思い出に紐づいた曲をあらしめることの出来る番組は本当に尊い、どれだけオタクが世間に一般化されてもアニソンを大人気と金額以外の心で見てくれる番組をないものねだりで探す瞬間はとても普通ではないことが辛くてさみしい。

やはりアニソンは扱いが難しい、オタクは基本めんどくさい、アニメは版権が厄介。
こんな民放の世界が変わる日は果たして生きている内の常識改編でなんとかなる日がくるのでしょうか。
でも、来たとしても私はその頃めんどくさい腕組み老害をしていそうで嫌っぽい。
アニソンの多様性の尊重はまだまだ難しいのかもしれませんね。




それではおやすみなさい。

2021年9月9日木曜日

2021/9/9

 

こんばんは、人都です。

知識には解像度というものがあるのはずっと前から基礎として当たり前に言っているような話ですが、もしかしたら普通じゃない言葉遣いだったのではないかと思いそのことを書こうと思います。

私は良く知らないジャンルのことを解像度が低いと表現し、逆にある程度知識がありチョットワカルことはそれが高いと表現をします。
イメージとしては適当な保存形式でとっておいた風景写真はぱっと見なら誤魔化せても、寄れば寄るほど粗が見えてくるといった感覚に近いです。

基本的に解像度は高ければ高いほどミルクボーイなものだと思うのですが、ただしこれは当事者的な情報になると逆に他人からはどうでもいいような細部の修正に力を入れ過ぎてしまうといった欠点が知識の盤面でも言えるものなのですね。
情報の認識度が荒すぎるとリテラシーや冷静さを疑われかねず、そしてあまりにそれが細かすぎると力を入れていることは実際そんなに伝わらなくなってしまう。

例えば私は土偶に関しては国宝指定の五種の暗唱からある程度の著名な出土物の遺跡地や展示場を把握している程度に解像度が高いのですが、そのせいでクトゥルフ神話TRPGのサプリメントに載っていたように呪いの道具として利用される土偶を見ると少しなんでだろうと思ってしまうわけです。
呪いの道具だとか宇宙人だとかはコンテンツとしては良しとしても、基本的に土偶は身体の不都合を肩代わりするための形代として丹念に製作された後で部位を壊されているというのが有名な説で、他の説でも多くは鎮魂や豊穣などあまりマイナスなイメージは持たない物に思えているからです、縄文時代はそもそも大きな争いごともなかったという説もありますしね。
しかしながらそんな縄文特化オタクの考証を実際にシナリオライターが知っとけとは毛ほども思わず、それがアフリカ寄りの不気味なnkondiみたいな役割を果たすならそれは効果的なモチーフに十二分になり得るわけですよ。

この世に全知全能の神がいたとして、なら私の近所の寂れた町中華屋の当たりメニューも分かっちゃうの?なんて茶化すことがありますが、全知というものが本当にあるとすればそれは全ての世界のつぶさな砂粒に恐ろしく高い解像度を持っているのでしょうかと笑いごとにしているだけのジョークです。
東大王だろうと政治家だろうとコメンテーターだろうと中野を古典的な出で立ちで回る戦士であろうと、それぞれにはローカルかつ内輪であれどうであれ異様に解像度の高い分野があるのだろうし他人から見ればアホなの?というような部分のピクセルが足りなかったりするのでしょう、それは当然のことで生きている限り全ての者がそうであるはずです。
私は音楽のことや3Dの技術屋の話と一般男子のことは本当にちんぷんかんぷんですが、その分インターネットで知らないそれらの話を聞くのはとても楽しいです、話を振られてもあやふやの呼吸付け焼刃のごまかしが発動するので聞き役に徹するのが平和に楽しい。
ウマ娘をはじめとした擬人化系ゲームも無知から解像度を上げるきっかけになる教材みたいな強みはありますからついついやりたくなってしまう。
過去は艦船に一切興味が無かった私は、女学院なのに修学旅行で海軍基地博物館に行って一人だけロマンで最高になってしまうみたいな奇怪な解像度の上げ幅を楽しんでいましたよ。
当時の規約的に艦これが出来なかった分、怒られることもない艦船関連の書籍を買い漁ってついでに日本海軍知識がモリモリになっていたりしていました。

にわか根性と好奇心も当然あるのでしょうが、知らないこと・新しいことを知るというのはそれだけで本当に楽しい。
だから音楽番組にはヒットチャート以外を流してほしくなるし、お笑いの番組は毎週お笑い荘とかあらびき団でもいいぐらいで、Twitterでも急に突然の誰も聞いてないような高解像度のトークをしたりすごくマニアックな話でnoteを書いたりする人はとても好感を持てます。

自己啓発にも、明日の生活にも一切役に立たないような高解像度の話というのは極めたオタクではないとしてもちょっと記憶違いがあったとしても、意味がないからこそその垂れ流しには決してイキリには該当しないと思いますよ、強いていうならインターネットで突然失礼な素人質問を投げかけてくる懸念はどうしてもありますけれどね。
人生死んだら記憶はまず残らないんですから、なら生きてて意識がはっきりしてるうちに知らない荒い偏見を少しでも多く鮮明にしたいなというのが私のやわやわ生存の理念みたいな感じです。

おやすみなさい。

2021年9月8日水曜日

2021/9/8

 

こんばんは、人都です。
今は夏休みの延長線の九月を暮らしています。

ダウナーで陰のある女って、どうしてあんなに魅力的なんでしょうか。
私は青春のほとんどを女子のみの学園で過ごした、肯定せざるを得ない箱入りの娘であって一番感傷と感情が豊かな時に出会った人々もそんな情緒に揺れるクラスメイトばかりでした。
社長令嬢と明るいばかりが花園ではなくて、特に幼く拙く井の中の蛙がゲロと言うばかりの終わりの同人女の感情のような足らずの絶望と共依存で構成された沼もそのお嬢様の脇には存在していました。

私のいた学校はかなり部活動が乱立しては消えゆく、校則と規則こそ厳しいものの妙に創作物めいた生徒文化に肯定的な校風をしていました。
例えば軽音部とギター部が、吹奏楽部とオーケストラ部が、二次創作専門のイラスト部と一次創作専門のイラスト部と正統派の美術部が…といったように部員の確保と賛意さえあれば違いは判らずとも割と雑多に許される文化があったわけですね。

それで私は六年間そんな校風の中で文学部に魂をかけていたのですが、実はそれ以前の中学の三年間では一次創作専門のイラストクラブにも所属していたり、当時の友人の影響で音感が破滅的なのにギター部によく冷やかしに行っていました。
その頃から私は自分の実力があまりないことを理解した上で、オモシロとギャグキャラの不思議ちゃんに振ることでギリギリカーストの金魚の糞をしたり、気が付いたら干される枠を埋めていました。
実力と美貌が無ければ基本的に人は人に興味を持たないので、おかしなことをする不思議ちゃんを全盛期の中二病と最悪の状態の皮膚病と共にロールしては鬱憤をたくさん人が自殺するような小説作品に投げ込んでいました。
だから私に普通に話しかけるようなかわいい子はそれだけで珍しく今でも記憶から離れてくれないのでした。

オタクの界隈はダンス部やオケに比べれば平穏に思われますがそこにも格は存在していて、私が所属していた部の中で一番絵が上手くて権力を持っていたのは手塚作品とHTFを敬愛する声とメガネが大きいホモとよく叫ぶヴィレヴァンの少女で、次点にドラゴンクエストとコンパスを愛したスケベを描くのが上手いゲーマー、おそ松さんの二次創作で既に利益を生んでいた恐ろしいほどのフォロワーを抱えた滅茶苦茶歌の上手いバンドガールなどが存在していて私はこの子たち全員を友達だと思ったら、いつの間にか誰も声をかけようとしても話しかけてくれなくなっていました。
しかも全員あり得ない程に絵が上手い。
私は元々文章の方が気楽で、絵は後から始めたものなので仕方ないことは自覚しつつも本当に太刀打ちの不可能な相手がいることを中学生にして強烈な人間関係の苦みと共に味わっていました。
先輩ならいいのですが、同級生というものは本当に残酷でどうして同じだけの年数を生きているのにこんなにも力量が異なってしまうのかという事は今でも私の絶望を誘う一因です。

そんな中で私は一人だけ、私よりも不思議なギタリストの女の子と知り合っていました。
確か早々にイラスト部を幽霊にして、片目を常に髪で隠しては校則から逸脱した着崩しと日数ギリギリの門限も一切気にしない恐らくヴィジュアル系のアーティストの彩度をそのまま落としていったような、知らない洋楽アーティストの話ばかりをする確か自傷癖持ちの女の子でした。
授業に出ていても寝てばかりで、体育は全て見学をして、定期テストの日にすら現れず私をひやりとさせました。
記憶の中の幻覚かもしれませんが彼女は存在していました、しかしながらさよならも言えずにいつの間にか在籍の許される出席日数にたどり着かずに煙のように会えなくなりました。
彼女の連絡先なんてなんだか聞く気にもなれなくて、そもそも今までの霧散した友達のようにどこかに遊びに行ったことすらなく、たまにイラスト部とギター部の終わりが同じぐらいだったときに無言を多めに一緒に帰って話したぐらいで。
彼女の話す言葉の意味はまるで知らない言語みたいに記憶に残らなくて、私はいつもとは違って自分から面白いことを話すというよりもそんな知らない音楽の話を並行的に掘り下げもせずにキャッチボールしていただけで、なのにそんな記憶が脳裏から離れてはくれなくて。

彼女は他のクラスメイトが昼に兄と自転車でギャンブルに行っていただとか、アイドルを追いかけ過ぎたみたいな噂をされていたような気がします。
アウトローになろうとしながら誰かに迎合して、認めてもらえるまでリアクション芸をするだけの校則を破れない皆勤賞の凡人はそんな存在の解像度も低く友達とも明言できないような彼女を静かな青春の象徴にしてしまっているような気がしていて。
彼女は今どんな大人になっているのでしょうか、できるならあんな危うい子だから生きてさえいればそれでよいと思います。

その後、やけに距離感が近いのに私よりも明らかに絵も成績も上の女にちやほやされたことが辛すぎて歪んだ嫉妬のあまり絶交をしたり、タルパ症状のある女の子に交換小説の中で苦言を呈されたり、友人というには厳しいままにほっぺばかりを触ってくる小リスや徹底的にあっちから私に依存していると見せかけつつそこからクラスいじめに近い状態にぶち込んできたマイメロとメンヘラの恐怖症になる原因を作った人間不信を謳う女などと様々な交流を育みましたが、その話はまた今度します。
今では私は自分を傷物かつ病んでいることをアピールポイントにする女性が非常に苦手なのですが、それと同じぐらいそれらの壊れかけた水晶みたいな危うさが魅力的である事も理解しています。
そもそも恐らく今の世間的な流行がそんな弱みを見せつつ首輪をつけるような女なのでしょうね、あざとさを売りにするトークバラィティや人間として破綻してても無条件に愛してねみたいな歌、果てにはあいつらとお近づきになりたいととのたまう恋愛講座もあるし、女児服すら量産や地雷めいたデザインが人気を博して。
ああ、陰のある女が怖い、でも危うくて目を離すと落ちていきそうでかわいい、これは矛盾し続けます。

おやすみなさい。