2021年9月8日水曜日

2021/9/8

 

こんばんは、人都です。
今は夏休みの延長線の九月を暮らしています。

ダウナーで陰のある女って、どうしてあんなに魅力的なんでしょうか。
私は青春のほとんどを女子のみの学園で過ごした、肯定せざるを得ない箱入りの娘であって一番感傷と感情が豊かな時に出会った人々もそんな情緒に揺れるクラスメイトばかりでした。
社長令嬢と明るいばかりが花園ではなくて、特に幼く拙く井の中の蛙がゲロと言うばかりの終わりの同人女の感情のような足らずの絶望と共依存で構成された沼もそのお嬢様の脇には存在していました。

私のいた学校はかなり部活動が乱立しては消えゆく、校則と規則こそ厳しいものの妙に創作物めいた生徒文化に肯定的な校風をしていました。
例えば軽音部とギター部が、吹奏楽部とオーケストラ部が、二次創作専門のイラスト部と一次創作専門のイラスト部と正統派の美術部が…といったように部員の確保と賛意さえあれば違いは判らずとも割と雑多に許される文化があったわけですね。

それで私は六年間そんな校風の中で文学部に魂をかけていたのですが、実はそれ以前の中学の三年間では一次創作専門のイラストクラブにも所属していたり、当時の友人の影響で音感が破滅的なのにギター部によく冷やかしに行っていました。
その頃から私は自分の実力があまりないことを理解した上で、オモシロとギャグキャラの不思議ちゃんに振ることでギリギリカーストの金魚の糞をしたり、気が付いたら干される枠を埋めていました。
実力と美貌が無ければ基本的に人は人に興味を持たないので、おかしなことをする不思議ちゃんを全盛期の中二病と最悪の状態の皮膚病と共にロールしては鬱憤をたくさん人が自殺するような小説作品に投げ込んでいました。
だから私に普通に話しかけるようなかわいい子はそれだけで珍しく今でも記憶から離れてくれないのでした。

オタクの界隈はダンス部やオケに比べれば平穏に思われますがそこにも格は存在していて、私が所属していた部の中で一番絵が上手くて権力を持っていたのは手塚作品とHTFを敬愛する声とメガネが大きいホモとよく叫ぶヴィレヴァンの少女で、次点にドラゴンクエストとコンパスを愛したスケベを描くのが上手いゲーマー、おそ松さんの二次創作で既に利益を生んでいた恐ろしいほどのフォロワーを抱えた滅茶苦茶歌の上手いバンドガールなどが存在していて私はこの子たち全員を友達だと思ったら、いつの間にか誰も声をかけようとしても話しかけてくれなくなっていました。
しかも全員あり得ない程に絵が上手い。
私は元々文章の方が気楽で、絵は後から始めたものなので仕方ないことは自覚しつつも本当に太刀打ちの不可能な相手がいることを中学生にして強烈な人間関係の苦みと共に味わっていました。
先輩ならいいのですが、同級生というものは本当に残酷でどうして同じだけの年数を生きているのにこんなにも力量が異なってしまうのかという事は今でも私の絶望を誘う一因です。

そんな中で私は一人だけ、私よりも不思議なギタリストの女の子と知り合っていました。
確か早々にイラスト部を幽霊にして、片目を常に髪で隠しては校則から逸脱した着崩しと日数ギリギリの門限も一切気にしない恐らくヴィジュアル系のアーティストの彩度をそのまま落としていったような、知らない洋楽アーティストの話ばかりをする確か自傷癖持ちの女の子でした。
授業に出ていても寝てばかりで、体育は全て見学をして、定期テストの日にすら現れず私をひやりとさせました。
記憶の中の幻覚かもしれませんが彼女は存在していました、しかしながらさよならも言えずにいつの間にか在籍の許される出席日数にたどり着かずに煙のように会えなくなりました。
彼女の連絡先なんてなんだか聞く気にもなれなくて、そもそも今までの霧散した友達のようにどこかに遊びに行ったことすらなく、たまにイラスト部とギター部の終わりが同じぐらいだったときに無言を多めに一緒に帰って話したぐらいで。
彼女の話す言葉の意味はまるで知らない言語みたいに記憶に残らなくて、私はいつもとは違って自分から面白いことを話すというよりもそんな知らない音楽の話を並行的に掘り下げもせずにキャッチボールしていただけで、なのにそんな記憶が脳裏から離れてはくれなくて。

彼女は他のクラスメイトが昼に兄と自転車でギャンブルに行っていただとか、アイドルを追いかけ過ぎたみたいな噂をされていたような気がします。
アウトローになろうとしながら誰かに迎合して、認めてもらえるまでリアクション芸をするだけの校則を破れない皆勤賞の凡人はそんな存在の解像度も低く友達とも明言できないような彼女を静かな青春の象徴にしてしまっているような気がしていて。
彼女は今どんな大人になっているのでしょうか、できるならあんな危うい子だから生きてさえいればそれでよいと思います。

その後、やけに距離感が近いのに私よりも明らかに絵も成績も上の女にちやほやされたことが辛すぎて歪んだ嫉妬のあまり絶交をしたり、タルパ症状のある女の子に交換小説の中で苦言を呈されたり、友人というには厳しいままにほっぺばかりを触ってくる小リスや徹底的にあっちから私に依存していると見せかけつつそこからクラスいじめに近い状態にぶち込んできたマイメロとメンヘラの恐怖症になる原因を作った人間不信を謳う女などと様々な交流を育みましたが、その話はまた今度します。
今では私は自分を傷物かつ病んでいることをアピールポイントにする女性が非常に苦手なのですが、それと同じぐらいそれらの壊れかけた水晶みたいな危うさが魅力的である事も理解しています。
そもそも恐らく今の世間的な流行がそんな弱みを見せつつ首輪をつけるような女なのでしょうね、あざとさを売りにするトークバラィティや人間として破綻してても無条件に愛してねみたいな歌、果てにはあいつらとお近づきになりたいととのたまう恋愛講座もあるし、女児服すら量産や地雷めいたデザインが人気を博して。
ああ、陰のある女が怖い、でも危うくて目を離すと落ちていきそうでかわいい、これは矛盾し続けます。

おやすみなさい。


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