2020年10月1日木曜日

01、ヘルタースケルター

 寝ていなければ二回行動カウントの人都です。

漫画のヘルタースケルターの話をします。

ヘルタースケルター (Feelコミックス) 岡崎 京子 https://www.amazon.co.jp/dp/4396762976/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_9IFDFbBX6WGPK

表紙からして胸、乳首、裸体という生まれたままのグロテスクな美とアナログの不安定な怪しさが手に取るだけで何もやましくなんてないのに背徳感を感じさせるような。

あんまりお昼に読みたい本ではないですよね、内容は一人の女性のショッキングな暴露本にも似ています。

画像の帯にもある通り、私はこの作品のことを何となく実写化された番宣で見た鮮烈な色と幼いながらに感じたスケベな男女の映画、そして沢尻エリカ、とにかく沢尻エリカという印象だけは覚えていました。

調べたらアマプラで配信してるみたいだったから見てみようかな……。

最近のイメージの中で鮮烈な色づかいの映画と言えばDINERの実写映画が思い浮かびますが、結局見ないまま終わってしまいましたね。


主人公は誰もが憧れ振り向き噂する魔性の女優・りりこ。

恋人は御曹司、国民はみんな虜、マネージャーはまるで奴隷。

テレビやメディアで見ない日はない、魅惑と謎を湛えた歩くセンシティブみたいな危うい女性です。

この漫画は後から調べたところ1995年からおよそ一年連載されていたそうで、連載終了後に作者の岡崎京子さんは交通事故により一時は命も危ぶまれた状態となったとWikipediaは言っていました。

1995年は私が生まれるよりも当然前の時代の話になります。

ですから、このヘルタースケルターの世界にはメディアとしてインターネットの絡むようなものはほとんど無く、しかしそのためもあってかタレントという世界と一般人の世界は遮断され神秘のヴェールのようなものが現存していました。

もし誰もが発信者になれるような世界では、「りりこ」は成立し得たでしょうか。

人を構成している作りもの、つぎはぎ、長期入院、つじつまの合わない思考回路とそれらをごまかす薬物と刹那的な快楽。

りりこを形成していたものはその90年代のヴェールの中に潜んだ部品たちでした。

部品たちの集まったものの名前がりりこなのか、そう言っても良いほどに彼女はすべてに勝る肉体を持ちながらも、肉体を失えば何も残らないという表裏一体の爆弾を抱えたうっかり自我のある人形です。

装いやガワが美しくとも、自我にはどうやったって不安が残ります。

人気が上がれば活躍の舞台は増えるでしょうが、自我がこぼれ出てしまうような歌唱や芸人が如何にオモシロとあげ足を見出すかで競うかのようなアドリブバラエティー、台本とインタビュアーと民衆の一番言ってほしい言葉を探りながら発言を選ぶ質問コンテンツはりりこのスケジュールの中でちくちくと意識を乱します。

みんなが好きなのは美しい、肌のきれいな、作られた笑顔の光る商品としての彼女であって、包帯と投薬、虫の這いまわるような幻覚と破壊衝動に苛まれた「中の人」は誰も要りません、売りません、使いません。

恋人ですらも望んでいるものは商品として、マウンティングかステータスとしての満足感が近いでしょう、性は愛ではない。

日本、いや世界最高級の客寄せパンダ専用モンスター。

誰よりもりりこは一番そのことを理解していましたし、その現状を時と共に崩落する美貌よりも醜いずっと自分より不幸せな人間の堕落を鑑賞する事でごまかそうともしていたような気がしてなりません。

自分よりも不幸な奴を見ていると精神的な不安は一時的に緩和されます。

何か考えることが無いと、不安が襲ってきていつか自分を殺すような。

あまりに高次な三次元の存在を、二次元のように扱ったことはありませんか?

私には身に覚えがありますし、「○○くんは××しそう」と考えるときそれは一種のこうあればいいという理想の押し付けであり、そこで見ているものはほとんどが見た目です、たまに自分でも嫌になるぐらい。

現代であれば良くも悪くも芸能人は近い存在になったと言えるでしょうし、本当に芸や才のある人間であれば勝手にSNSなり動画コンテンツなりで人々の支持を集め、言葉通りの「タレント」になることの出来る世界です。

羨望と共感が入り混じったタイムラインは誰もが発信者になることが可能ですね。

この作品の世界の中でりりこという存在を浮世から転落させたのは誰のどのような行いでしたか?


私はまぁ、タレント側の存在ではないのでこの本を読み終えて八割を占める感想は「みじめ」という感情です。

ですがそれはりりこがこの世界に存在しないから言えた話です、きっと彼女の末路の先の世界では追悼企画としてバラエティーは彼女の登場回を再放送しますし、ドラマの特集も組まれ、なんならミステリー系オモシロ映像番組は彼女の末路を再現ドラマの定番にするかもしれません。

学校に行けば彼女の直近の出演番組をすぐに思い出せなくても、適当にかなしんで「もったいないねー」とか話題にするでしょう、そういうことに覚えがあります。

美しく幕を閉じた著名人は仏のように扱われますが、同時に空気のような概念のような、そんな誰の記憶にもいて誰の思い出の中にもいないイメージになるような。

時勢的にもSNSに乗せたら怒られそうで極端で破滅的な私の思想でいうのもおかしな話ですが、そんな考えの煙がヘルタースケルターには付いて離れることがありません。

いつまでも美しいまま、口の無い失踪者は永遠に誰かの心で消費され続けます。

口では誰もが帰ってきてといっても、帰ってこない方が絶対に美しい終わり方はあります。

それが例え「美しいものが没落している様子は最高の快感」みたいな思想に依っていたとしても、その欲はりりこを必要としていることには変わりありません。

でもそれはりりこのいない世界から見れば、客観的かつ何の感情移入もないまま良くも悪くも一冊にさらっと納められたヒステリックすぎてこちらに何のしこりも残さない他人事です。

三次元を好きになるときはだいたい共有した時間とか作品とかぽろっとこぼれるおちゃめさで好きになるようなものですから、誰も知らない世界の中の熱狂的なタレントの没落劇は低俗な週刊誌で根拠の危ういすっぱ抜きを読む程度の感情しかありません。

「ヘルタースケルター」はそんな漫画でした。とてもおすすめです。


人都でした。


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