こんちは、人都です。
今日はブログについてのブログを書きます。
TwitterについてTwitterをすると書くといよいよ脳が終わった?と思われそうですが、ブログについては割と書くことがあったりします。
私のインターネットファーストインパクトはちょうど初音ミクがアンダーグラウンドに生まれたぐらいだったと思います。
ノートのくせに分厚くて重くて画質の悪いパソコンにはハム太郎やドレミちゃんのシールが貼られていたはずで、おぼろげながらにその定位置の横にはポップなキャラクターの大きなローマ字表が貼られていたはずです。
トップページはぐっぴょんの仲間たち。
ですけれど、私は決してインターネット老人会というほど年を経ているわけではなく、どちらかといえばある程度それらの文化が発展したのちに周囲の同級生より早くそのネットワークに触れるようになったガキでした。
そのきっかけとして大きかったのが、2008年に放送されたケータイ捜査官7というテレビ東京の特撮番組です。
いえ、その以前にも若干のインターネットに覚えはありました。
Pixivが開設される前にどこかの個人サイトでポケモンの二次創作を見た記憶はあります。
また、おしゃれ魔女ラブアンドベリーというドはまりした着せ替えゲームを子供心ながら極めようとしてそういうタイプの有志のデータサイトを見回り、プリントアウトをしすぎて若干母親に折檻されたようなことはしていた記憶はあります。
ただ、私の中でそのケータイ捜査官7がいかにインターネット沼に突き落とすきっかけになったのかといえば、そのコンテンツがあまりにも当時のガキ認知をすべて上書いたことにありました。
ダウナーで無力感にあふれた男子高校生と歩き考えハッキングをこなすガラケー型ロボットが明日未来な日本でバディを組んで、クールになりきれず大人に混じりながら泥臭くサイバー犯罪解決に挑む姿をVFXマシマシで映し出す。
水曜日の夜から放送された番組は、もはや認識の外にあるような気さえしてしまうほど現実的過ぎて非現実的な一つの大きな衝撃でした。
しかしながら、私はその頃ケータイ捜査官7をリアルタイムで全追いするということはどう考えたって不可能でした。
当時の習っていた英会話教室は放送時間にバッティングしていましたしその帰り道では車内反省会になってしまうことや、女の子があんまり見るようなタイプの番組でないと判断されたこと、それらの上で機械に強い父親に録画を頼むなんてことはとてもではないけれど、当時小学生であった私には不可能でした。
水曜日、母親が夕食の準備やゴミ出しに一瞬席を外すリビングルームにて、慌ててリモコンをテレビ東京に合わせてワンシーンでも多く、もはやおもちゃのCMやsoftbankのタイアップCMでも構わないからとフォンブレイバーセブンとケイタの雄姿を見ていたいと思った七時過ぎが確かに存在していました。
ケータイ捜査官7って、softbankとコラボして本当に変形もするし、対話モードもあり携帯電話としても使用が可能な当時にしては攻め攻めなモデルが実際に出ていたんですよ、あの頃の私にとってそれがどれだけ尊いものであったことか……。
当時DoCoMoユーザーかつキッズケータイだった人間はsoftbankショップの前を通過するときに店内のガラスケースの中で展示されている実在し二本の機械足で自立するセブンにどれだけときめいていたものか……。
私は思想のベクトルをそのころから違えていたのか、キッズケータイのタイマーメモ機能や録音再生機能を活用してフォンブレイバー三号機であるサード(執事的で腰が低くて青色のロボット)のセリフを学習塾の終わるころに設定してひそやかに楽しむみたいな今打ち出すと限界な行いを重ねていました。本当にやめてくれ。
待って執事的で腰が低くて青色のロボットに小学生のころから性癖を狂わせていた節があるんですか?おかしいよ。まじでなんなんだ、私の思い出は。何でこんなこと書かなきゃなんねぇんだよ。あああ。
話が反れました、そんな感じで私はケータイ捜査官7について歪み切った欲求とすべての情報を見切れない中で、ただただ感情の共有の先を求めていました。
なのに友達は誰もケータイ捜査官7を見ていない、もしかしたら男子なら見ていたかもしれないけれどそれだけで話をするのはなんか戸惑う、なんたって数話分は見逃していますしそりゃあフォンブレイバーのバトルもかっこいいけれどケイタくんの話もしたいし、桐原さんの話をめちゃしたい、というかこれから間明がどうなるのか君らはどう思うって聞きだしてみたい。
今でこそこういうのをTwitter的には「クソデカ感情」と言い換えられるのかもしれませんが、そのようなあまりにも巨大な感情を小学生がふつうのクラスメイトはもちろん、どこにもぶつけられないまま月日だけがどんどん過ぎていきました。
その中で見出した唯一の救済地点がいわゆる実況系の個人ブログでした。
当時でもまだ2ちゃんねるのような媒体はあったでしょうが、独自ルールが難しそうであったことや、漠然と作中のイメージで「掲示板は怖い人がいる」というイメージがあったこと、二枚重ねの板のようなパソコンにはきつめの使用制限がかけられていて後からでもある程度好きな時間に速読しつつ一気に情報を摂取することができるブログは自分の生活環境に最適であったことが挙げられます。
しかもいくつかの丁寧なブログではキャラクターに関する考察や設定のまとめ、オフイベントのレポートに時に二次創作をも覗くことができるという、まさに天国でした。
そうしてケータイ捜査官7の結末を教えてくれたのもブログです。
私はたしかその放送以前に非常に親による道徳の時間を行わなければいけない何かをやらかしてしまい、いよいよあれだけ楽しみにしていたセブンたちの行く末をこの目で見ることができたのはそれから結局数年が経って一人でTSUTAYAレンタルが使えるようになってからでした。
あのゴールデンタイムに子供の見ていた世界に考えうる限りの最悪を波のように叩きつけた深刻なストーリーを「せめて幸せにおわってくれ」「きっと全部元通りになる」と祈りながら児童学習を行なって、親の目を盗んで見たインターネットはまるで通夜のようでした。
わたしがいつもする二次創作が原作を歪めた都合のいい幸福のIFになってしまいがちなのは、この経験が生きているのかもしれないと思うと若干嫌になります。
そのように少なくとも私の小学生の頃の情操教育及びオタクとインターネットの入り口になったのはケータイ捜査官7とそれに伴ったブログサイトでした。
この後は、考察点オンパレードコンテンツかつ最高百合感情の魔法少女まどか☆マギカやキタユメ。をはじめとしたヘタリアにハマったのでどんどんインターネットとずぶずぶになる小学生が完成していきました。
ただそんな風に追いかけていたブログサイトは大方閉鎖されています。
閉鎖、というかブログの運営元自体がサービスを終了しつつあるといった状況で、例えばヤプログ、ジオシティーズ、ヤフブロが完全に爆発四散していますし、当時リアルタイムで更新されていたいくつかはインターネットの海に沈んでいるんだと思います。
過去なんて黒歴史だからむしろ大本から消えてくれた方が好都合!なんて場合もあるかもしれませんけれどね、私からすればうごメモに関連するあたりとか。
きっとTwitterが閉鎖されるなんてことはそうそうないでしょうが、そんな風に過去のリアルタイムの興奮や喪失感がサービスの終了とともになくなってしまうことは過去のコンテンツを好きでい続けている私にとっては綿を食ったような気持ちになります。
私にとってブログはそういった不安定さとはかなさと、それとは真逆の生活感と日記にあふれたそういう場であるとの気持ちが強いです。
今回こんな風にブログを始めたのは、長文を書くリハビリという面は当然大きいのですがそんな昔読んでいた場所へのリスペクトとブログについて調べたときにわらわらとわいてきた資産運用だのクリック数だのアフィリエイトだのへの遠回しすぎる反骨精神のような何かに依ったものです。
正直言って、現実でアホほど疲弊しているのに好きジャンルを求めた先でTwitterで流れてくる女オタクにあーだこーだ言う増田とかサブカル趣味を風刺するようなnote記事、Vtuberに関する絶望の副流煙を吸わせてくるような長文のお気持ちに台パンするぐらい憔悴していたので、くっそそそどうでもいいブログを立ち上げて自分で満足するためのインターネットの一つのカスでありたいと思ったというのもあります。
みんなはそういうの好きなのかもしれないかもしれませんが、私は普通に何読んでも鬱になるのでダメみたいでした。
調べてみました!どうでしたか?
ということで長文で人生の何の役にも立たないカスをしましょう!
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