2021年1月3日日曜日

ゲームの主役は?

 こんちは人都です。


アプリゲームをしていると、ふと思ってはいけない感情がよぎることがあります。

「ゲームをすることが面倒くさい」

バカ言え、ゲームは自分がしたくてする事であって、提出しないと社会的に死ぬような課題では無いはずなのに。

自分で見つけたそれなりに好きな失いたくないキャラクターの為に、無い脳を振り絞って敗北要因から編成を組みなおしたり育成を強化してみたり、無い石をやりくりしてほしい誰かの為に祈ったり。

ギルド系のゲームならそこには人間関係も存在するだろうし、PVPがメインのゲームならもっとシンプルに相手を出し抜いてさらに高みへ向かいたいという感情が働く。

なのに、これほどの理由をもってしても「ゲームをすることが面倒くさい」という気づきたくない気持ちが発生する。

でも止めない、なぜならそこに好きな子を見つけてしまったから。

好きな子がいるからゲームをしているのか、ゲームをしてたらうっかり少女に射抜かれたのか。

どっちかなのかは分かりませんし、もっと薄汚い理由なら「ここまでやったゲームをここでやめたら今までの苦しみはどうなるんだ?」なんていうのも一つの理由として十分にあり得ます。


私は薄い知識なりにゲームというものにはジャンルを抜きにして二つの種類があると思っていて、それは「プレイシステムが楽しいもの」「キャラクターを愛でる手段としてのもの」という括りになります。

どっちが優れてるとか、劣ってるとかいう話では当然ありません。


そして当然ゲームの中には「プレイシステムが楽しいもの」「キャラクターを愛でる手段としてのもの」の両方の面を持ち合わせているものもあります。

そのうえで大切になってくるのが、やはり「飽き」の有無だと思ってしまうのです。

なんだかんだ無料ゲーは簡単に手を出せますがその分簡単に後腐れなくアンインストールを選ぶことが可能です。

要求してくるレア素材の回収作業に、単純な難易度の歯ごたえや多忙具合と手動作業の噛み合い。

私が今履修している情報倫理の授業の教授が語るところに言えば、たしか課金者の実利とそれに伴うレアリティ的プレイヤー優位、無課金者(学生想定)のがむしゃらなゲーム的努力の成果とリアル人脈によるユーザー数の増加のバランスがとれていてこそ運営が潤滑化するなんて話をしていましたっけ、無課金は悪ではないらしいです、この記事を書いている日にコンパスの界隈は無課金はクズだのどうだの話で荒れていましたけど。

コンパスは出す新キャラがみんなめちゃニッチなうちは安泰だと思うんですけどね。

先日私が一番やりこんでいるマギアレコードがオート周回機能を実装し、年末はそれをひたすら自動で回してドロップ率が10%程度の素材の収集をしながら掃除やレポートをこなしていました。


しかし近年は本当に買い切りのタイプのゲームをしなくなってしまった。

全く買わなかったわけではないです、あつ森はしましたしポケモンも買いました、リングフィットも買いましたし桃鉄もひとりでやっています。


言いたいことといえば、ぜんぜん「終わる物語」をしなくなってしまった。

もしくはクリア自体を積んでしまった、殿堂入りを諦めてキャンプとカレーにふけるポケモンみたいに。

つまらないわけではなく、難易度がひどいわけでもなく、ゲームを起動することをどっかで何となくやめて永遠に起動しないものを何本も積み上げてそれを繰り返しています。


Wiiのゲームに至ってはクリアする前にそれ自体が壊れてしまいました。

修理に出せばよいのでしょうが、任天堂大元での受付が終了してしまって何となく終わったな…という気分になっています。

DSならまだ予備が三機あります、でもそれすら壊れたらいよいよ精神にダメージが来そうです。

よく考えると私は終わりなく服を売ったり、深いランダムダンジョンを探索したりするような終わりのないゲームばかりをしています。


じゃあ今年の抱負はそうしましょう、終わりのある物語のゲームを主にDSでやりましょう。

それと私はサイバーパンクなバーテンのゲームでロボットのイケたやつに会うべきですし、マルチちゃんにも会うべきで、おいフレディからは逃げるな。

別にストーリーのあるゲームは実況者のための物語ではなく、プレイすれば私でも主人公になれるはずです。

Twitterをやっていると大抵のバズったゲームのネタバレは全て踏んでしまうのですが、一周回ってDSのゲームならだれも話題にはしないはず。

手始めには買ったまま放置したドラゴンクエスト花嫁の奴があったはずです。


落ち着いたときにするためのゲームがやっとできる頃には、なんだかDSが壊れてしまいそうでそうなったら積みゲーは供養の行き場もありません。

flashだって終わるし、ハードは経年劣化するし、偽トロの会社は倒産しました。


ほんとうのことを言えば本もそうです、Amazonで買うだけ買って一度も開かない本が恐ろしいほどにあります。

食べたいコンテンツは本当にたくさんたくさんあるのに、なにもかもに時間がありません、遊びとか休息とかを抜きにして本当に消化が出来ない。

だから運と経験値振りで干渉する一方的なアニメみたいなゲームしかできない、ゲームの自動化を求めながら矛盾することも知っていてそれでも宝具スキップがほしいみたいに。

配信日の零時を回ると電波最速でライバーたちが新天地に踏み込むのを見るだけじゃなく、自分の目でそこに到達することが出来るはずなのに、逆転して「○○が○○するところ、○○ちゃんはどんな反応したんだろ、アーカイブアーカイブ!」みたいな鑑賞物としてしか見られない。

昔はそれはもう青鬼とIbを気持ち悪くやりこんでGM気分で実況を見るなんてクソガキな遊びもした覚えがあります、プレイしているのなら百倍マシです。

皮肉屋な誰かが誰かを推すことは他人の最大幸福を求めるために自分をないがしろにする危うい行為なんて言っていましたが、そこまでのことを思わなくとも自分で掴むべき初体験の物語の楽しみを他人の初体験で消費しているのには変わりがないんでしょう。


それらが中古500円でも☆1でも地雷でもクソでも構いません、いろんな物語をはじめてみる人になる気持ちを忘れないようにしなきゃだよ。

そうしないと世界がずれてるのか私がおかしくなっているのかわからなくなってしまいます、きっとそうなんだよ。

昔に貼りついていてもどうせ思い出は歪むんです、でも過去って美しいから困りますね。


人都でした。